テイルズ オブ エクシリア > アルジラ >
アルヴィンは子供のころ、叔父が父親に犯される光景を偶然見てしまってから叔父が嫌いになった。ジルニトラが難破し叔父の世話になることに反発しながらも、アルヴィンは大人になっていく。ところがある日、叔父に「好きに生きろ」と言われ裏切られた気持ちになったアルヴィンは、叔父との関係を切りたくないがためにジランドを犯そうとする。 胸くそ悪い終わり方です。
今の状況は、薄氷の上に立っているようなものだ。
一歩でも、今の場所から動けば冷たい水底の餌食となる。
しかし、そのままいつまで同じ場所に立っていられるかもわからない。突然氷が割れてしまうかもしれない。
そんな状態で怯えているくらいなら、いっそ、こちらから壊してしまえ――
1
確か五歳くらいだったと思う。
俺はそれまで叔父が――ジランドール・ユル・スヴェントがまだ嫌いではなかった。かといって好きというわけではない。どっちかというと苦手、というか怖かった部類だ。昔っからあんなイカツイ顔してりゃ、そうだろう。常に眉間にしわを寄せ、声も態度も硬い。これで子供受けしろというほうが無理だ。
たった十三歳でスヴェントの分家当主の座についたジランドールは、本家であるウチにちょくちょく来ていた。ちょくちょくって、まあ、当たり前か。いくら分家の長だとて、ほんの十歳に毛の生えた歳の子供が一人だだっぴろい屋敷にいるなんて寂しいに決まっている。そもそも、こんな子供をどうして分家の当主にして本家を追い出したのか――いや、どうしてなんて今ならわかる。
父は、叔父が怖かったのだ。
優秀すぎる弟に、当主の座を追われるのではないかと不安になり、至った結果が分家の当主に縛り付けること。
一回りも歳が違うというのに、たかだか十数歳の子供にかすめ盗られると怯える。父が愚鈍だったのか、叔父が天才だったのか。あるいは両方か? 否、愚鈍が当主を背負えるほどスヴェントは軽くない。愚鈍ではなかった、しかし『平凡であれること』という非凡を徹しきることができなかった。平凡でいることの難しさを投げだして狂わねば心の平穏を保てなかったほどの、弟の非才。なによりの悲劇の始まり。
そのまま、父が何事も動ぜず普通を貫いていれば。
俺と叔父もまた、ああはならなかったろうに。
その日、俺はバランとのたわいない賭け事に負けて、屋敷の怪談を一つ解明してくるはめになってしまった。
当時の俺は情けないことに、すぐにぴーぴー泣く怖がりのガキで、膝をがくがくさせながら一人で屋敷の薄暗い廊下を歩いていた。
血の涙を流す肖像画だとか、真夜中になると段数が増えるだか減るだかの怪談だとか、暗殺された当主の亡霊が徘徊する廊下だとか、スヴェント本家はそういう話に事欠かない。
怪談の種類は自由に選んでいいということだったので、俺は一番安全そうで怖くなさそうなものを選んだ。すすり泣きの聞こえる客室棟だ。これはどういうわけか真昼間限定で、他の怪談が夜であることに比べれば、とガキんちょの俺は昼下がりに誰も使用していない客室が並ぶ廊下を検分しに行ったってわけだ。
掃除は使用人が何日かに一度はしているので、歩くたびに埃が舞うとか、窓が破れてカーテンが恨めしそうにばたばたはためいているとか、そんな恐ろしいこともない。すすり泣きが聞こえるなんて怪談を知らなければ、しごく真っ当なただの廊下だ。
パーティーを開くだとか大がかりな催しがないかぎり、客室棟は滅多に使われない。行き交う使用人すらおらず、自分ひとりきりというのは、己の家だというのに不思議な気分になった。恐怖は一歩一歩薄らいで、足取りは軽くなっていく。探検という心躍る単語が頭に浮かんだ。鍵穴から部屋を覗くたび、違う模様の部屋が広がってわくわくした。古い年代の様式がそのまま残っているので、知っている装飾の名称があると、俺は得意気になってもっと興味のおもむくままあちこちを物色した。
銀の匙しか咥えたことがない、物の価値は父親に徹底的に教え込まれて育ってきた。スヴェントとして一流たれ。名家の跡取りとして、恥じぬ知識と振る舞いを。誰にも引けをとってはならない。
父のそんな教えが窮屈で、元来気の弱いガキだった俺はよく母に泣きついていたが、赤ん坊のころから特別が普通だったもんで、まあ、違いのわかる人間だったってわけだ。
ついに俺は最初の目的を忘れて探検に夢中になってしまっていた。ところが、階を上がって冷や水をぶっかけられた。すすり泣きというより、抑え込んだ嗚咽のような、とにかく自然には発生しない音が耳に飛び込んできた。
エレンピオス人にとって賭けは絶対だ。腰が抜けたって目的は達成しなければならない。鼓動と共に荒くなる呼吸を無理矢理喉の奥に押し込めて、俺は音の出所を探るべく廊下を歩いた。昼間で明るいことが逆に恐怖を煽った、非現実を突きつけられた。
忍び足で進むごとに音は明瞭になっていく。音は声になっていく。人の発するものであると判明していく。
そして、とうとう見つけた。この扉だ。
板を一枚隔てた向こう側に、怪異が息づいている恐怖と緊張と高揚。恐ろしいが、なぜか興奮していた。
すぐそこまで近づいて、一人でなく二人分だと気付いた、新しい発見が拍車をかけた。自分は、とてもすごい重要な事実を掴むのかもしれない。そんな子供の空想が吸い寄せられるように鍵穴の向こうへ視線を導く。
荒い吐息。
詰めた嗚咽。
すると、新しい音が聞こえた。拍手……? 俺は鍵穴を覗く直前で動きを止めた。耳を澄ます。やっぱり拍手だ。緩慢に誰かが手を叩いている。いや、少し早くなった。だんだん拍手は勢いをつけていく。すると比例して聞こえる息が上がってきた。嗚咽も切羽詰まっていく。ほんの、時々合間に水音? 粘着質な音も聞こえる気がする。
『っ、ぅ…うっ』
扉の向こう側だというのに、まるで耳元で空気が震えた気がした。咄嗟に手で耳を覆ったが、生々しい感覚が耳朶に残って背筋を痺れさせる。
『ふぅッ、んっ…ぅん!』
嗚咽にしては、妙に絡みつくような声だった。
『ひ、ぅ…く…っ』
くらくらする。背筋の痺れが指先まで回ってきた。
『は…あぐッ…う、ぅう』
拍手の音と同じタイミングで、この声は聞こえる。
『ふぁ…ぅんッ、んん!』
まるで、引き結んだ唇が耐え切れず綻んでゆくように、声が漏れだしているような。
それに気付いたとき、俺はとうとう鍵穴を覗きこんだ。
ことを
後悔
し
『っあ、あぁッ』
一秒にも満たなかったかもしれない。
永遠だったかもしれない。
気付いたときには、俺は客室棟ではなく自分の部屋に戻っていた。
ベッドにもぐりこんで、寝具を頭から被り耳をふさぎ、ぎゅっと目をつぶった。体が震える。すべてを拒絶する。
だというのに、まるですぐそこに目の前にあるかのように、あの声が耳から離れない。まぶたの裏に、見てしまった鍵穴の向こうの光景が広がる。
始めに認識したのは、仰け反った真っ白な喉。
そこに汗で濡れた真っ赤な髪が張り付いて、鮮烈な対比に目を奪われた。
濡れた唇が赤く艶めいている。
揺れる髪が白く輝いている。
濡れた瞳が赤く艶めいている。
なによりも、その、あらわになった白い肌。
肌?
そうだ、あれは人間だ。それも一人ではない、二人。
その、白い肌に覆いかぶさって、白い肌は苦しそうに机に押し付けられている、ひと、は?
誰だ?
見たことがある。
あの後ろ姿は、父だ。
押しつぶされているのは、叔父だ。
父の腰が動くのと同じく、手を叩く音がする。ぐちゃぐちゃと耳に痒い音が響いて、叔父が啼く。
『っあ、あぁッ』
いてもたってもいられず、走り出す。
違う、違う違う違う違う。
あれは父ではない。顔は見ていない。
でも、啼いていた叔父は、顔を見た、あれは確かに。いつも眉間にしわを寄せてこちらを見下ろしていた。近づく前に父がいつも遠ざけた。父は叔父からいつも息子を取り上げた。まるで一緒にいたら息子が殺される、そんなふうに。
父は叔父が嫌いだったはずだ。
その、父と(違う父ではない)叔父が、
なに を して い た ?
わからなかった。
知らなかった。
まだ子供だった。
けれども、絶対に見てはいけないものを見たということは、それだけはわかった。
嫌いな人間を折檻しているのだと、思えたらどんなによかっただろう。それは違うと、なぜかわかった。
誰にも言ってはいけない。
誰にも知られてはいけない。
当人たちには気付かれなかっただろうか。それだけがただただ心配だった。
大丈夫だ、音は立てなかった。はず。
塞いだ耳に、どくどくと血管が脈打ち流れる音が響く。
はやる呼吸が、大丈夫だ心配ないと落ち着けようとする思考を揺さぶる。
落ち着け、落ち着け、落ち着け。
今にも泣きだしそうになりながら、小さな子供は目と耳を塞ぐ。俺にはそれしかできない。拒絶するしかできない。
ちらつく赤と白と声を振り払う。
あれは違う、/なにが違う?
違うという元は、比較対象は、正しいあるべきは、なんだ。
わからない。
混乱して、ならば全て蓋をする。
遠ざけることで心の均衡を保つことしかできなかった。
俺は、叔父を嫌いになることにした。
2
秋から寄宿学校に入学することになり、叔父とその後まっとうに顔を合わせることなく離れられたことにほっとしていた。親元を離れるのは酷く寂しかった。特に母とは。よく泣きごとを書いた手紙ばかり送った。寂しい。寂しい。
それでもスヴェントの名前は絶大で、それなりに友達みたいなものもできた。こびへつらうやつ、反発するやつ、とにかく今までにない色々な人間がいた。勉強も人付き合いも忙しい。手紙を書く頻度は少しだけ下がった。実家のことを思い出すことは、つまり叔父に関係あることを考えることは少なくなった。
だのに、せっかく平和にすごせていたのに、父が家族で旅行にいこうと言い出したことで、俺の平穏は再び破られた。
なぜ、父と母と息子の三人でなく、叔父まで一緒なのか。
それでも長期休暇に帰省した俺は、逃れることもできず旅行についていくしかなかった。久しぶりに会った父は、常に笑顔で、比例するように叔父の表情は硬かった。
おかしい。
確かに父は普段からおだやかな表情をしている人だったが、ここまであからさまにご機嫌な人間ではなかった。叔父も、渋面が化石のように張り付いた顔だが、それにしたってここまでこわばってはいない。
久しぶりに家族そろって旅行にでられるのが嬉しいと、父は言いながら船に乗り込んだが、それならなぜ叔父がいる。父にとって叔父は家族ではないはずだ。荷物も多いし、使用人もこんなに連れてきて邪魔ではないだろうか。
不自然さが奇妙で、俺はとにかく父と、なにより叔父から離れたくて母にべったりと張り付いていた。
「アルフレドったら、大丈夫よ、お船は怖くないわ」
気晴らしにデッキへ行きましょう。
母の言うとおり実は若干、というか結構船が怖かった。海に初めて来たと言うこともある。薄暗い大きな水たまりが、まるでこちらを呑み込もうと舌なめずりをしているように感じた。デッキへ出てもその思いが強くなるだけで、気付いたら医務室に寝かされていた。母が泣きそうな顔で手を繋いでいて、俺はたまらず抱きついた。
ジルニトラは振動制御のとれた豪華客船だ。滅多な大波以外、揺れは少ない。医者に珍しがられながら船酔いの薬を処方されて、俺は仏頂面で受け取った。好きで繊細なわけではない。そもそも今回は船の揺れでなく環境の変化と父と叔父のせいだ。が、そんなこと言えるわけもない。おとなしく薬を飲むと、それでも若干気分が改善された。
きらぎらしい豪華客船の内部は、寄宿学校にいたためか懐かしく思えた。デッキではなく船内の遊技場で暇をつぶすのは気が紛れた。
とにかく、叔父と一緒の空間にいたくない。父と二人きりにさせてしまったことまでは、考えたくなかった。
「さあそろそろ晩餐会の支度をしましょうね」
子供なのに、仕立てのいい燕尾服を着せられて飾りたてられる。スヴェントの次期当主として衆目にさらされる。俺はまた気分が悪くなった。なにより、叔父が射殺しそうな目で俺たち家族を見ていた。それが、ひどく、吐き気を催して俺は泣きながらぶっ倒れた。
そのとき俺は夢を見た。
誰かが泣いているなと思ったら、やっぱり俺で同時にずいぶん目線も低いなと思った。六歳の俺じゃなくて、もっと小さい、俺も無意識でなきゃ思い出せないような何歳かもわからないときの記憶なのだと、なんとなくわかった。
泣いている俺を必死であやしてくれる相手も、もちろんいた。あったかい手。母より小さくて、柔らかくない。誰だろう。俺は視線を上げる。すると、血みどろの叔父がいた。
『っひ!?』
驚いて気付いた、痛いのは俺もだった。地面に血溜まりが広がっていく。怖くて、また泣いた。それを必死に叔父があやす。
『アルフレド、大丈夫だアルフレド。あいつらが戻ってくるかもしれない。はやく逃げて、大人を呼んでこい。アルフレド』
叔父は足を怪我したのか動けないらしかった。俺が怪我したのは自分を庇った手で、そこだけどくどくと血を流し、熱を持って痛かった。それでも走れと言われれば走れた。俺はやっと涙を拭って走った。本邸へ帰ったとたん使用人がわらわらと俺を取り囲んで、母がきつく抱きしめてきた。父が血相を変えて私兵を連れて俺の血の痕を辿って走っていった。
『ジランドール叔父ちゃんを助けて!』
ようやく俺は叫んで、やっぱりまたわんわん泣き出した。手当をされても安静にせず、門の前で叔父を待つことをガンとして譲らない。何時間かして父が戻ってきたとき、俺は兵にかかえられた叔父を見て、また泣いて傷の熱でぶっ倒れた。隣の母が支えてくれなかったら、頭から地面にコンニチハしていたくらい勢いよくぶっ倒れた。
そうだ、思い出した。あの射殺しそうな目。あれは叔父でなく戻ってきた父の叔父を見る目だ。
父は、弟が息子を襲ったのだと勘違いした。
本当は、俺が癇癪を起こして家を飛び出てついてきてくれた叔父が、スヴェント本家の息子を誘拐しようとした悪漢から助けてくれただけなのに。
それから叔父は分家の当主にされた。だから、あれはきっと俺が三歳かそこらのときだ。
それからしばらくを、俺はベッドで過ごした。
考える時間だけは腐るほどある。
酔い止めの薬だけでは収まらない眩暈と気持ち悪さにさいなまれながら、思考すら体を蝕んだ。
六歳の頭の足りないガキが、悩んだってどうにもらなないくせに、考えて、考えて、考えた。
自分は叔父をどう思っているのだろう。
一緒にいたくない、から、嫌い?
違う、考えたくないから、遠ざけるために、嫌い。
じゃあ今考えているのは? よくわからない。
泣いて、寝て、悩んで、泣いて、夢と現実が曖昧になる。
叔父が見下ろしていた。
『アルフレド、おまえ、見ただろう』
夢か、幻覚か幻聴か。とにかく衝撃に寝台から落ちた。
落ちたのは衝撃、そう、滅多にゆれないジルニトラが、大きく揺れていた。
「アルフレド!」
母が飛び込んでくる。俺を抱えて、女とは思えない力で甲板を目指そうと走る。使用人が荷物を持って後からわらわらとついてくる。
抱えられて自分の足で歩いているわけではないのに、母の一歩一歩に歪みを感じた。平行が崩れる。取り巻く周囲の環境ごと捻れる感覚に息が詰まる。怒号と悲鳴が遠い世界のように聞こえる。明滅する明かり。それもついに切れて、真っ暗闇になる。それは俺の意識が途切れた景色だった。
§ § §
ジルニトラは破れた断界殻を越えて、リーゼ・マクシアに漂着した。もちろんそんなこと当時はわかるはずもなく、船の内部は混乱を極めた。それを、たった一人でまとめあげた人物が、叔父だった。
若干十五歳の、スヴェント分家当主。
「兄さんは死んだ」
血に染まった被服と、スヴェント本家当主の証である銃を持って、そっけなく叔父は言った。母は泣き崩れた。俺は何となく、叔父が父を殺し損ねてしまったんだろうなと思った。父は死んだが、手を下したのは叔父ではない。本当に事故だったのだろう。叔父はとどめをさせなかった。叔父の苦しそうな表情は、俺には悔しそうに見えた。
父が死んでも、むしろ父が死んだからこそ俺は叔父のそばにいたくなかった。ひっそりと陸で暮らしたが、すぐに蓄えはなくなり、俺は叔父に助けを求めるしかなくなった。
3
十発中六発。
マトに残った弾痕を数えて俺は顔をしかめた。
「おまえ、それでもスヴェントの人間か」
追い打ちをかけるように、叔父の言葉がさらに俺の顔を滑稽なものに変えていく。
それでも言い訳はしなかった。叔父は鼻で笑うように嘆息すると、自身の銃をかまえる。
「よく見ていろ、こうだ」
続けざまに、森の中で十発の発砲音が響く。
「子供だから仕方がないのかもしれないが、反動を無理に殺そうとしても無駄だ。体格で補えないなら、バネを利用しろ」
これみよがしに父の形見の銃を振りながら叔父が言った。マトを見ても、弾痕は十一。一つしか増えていない。新しく増えた、真ん中の穴を俺は睨みつけた。
「見てるだけじゃ上達しないぞ。構えろ」
言うとおりにするのはシャクだが、そもそも頭を下げて教えをこうたのはこちらだ。エレンピオスに再び帰還するために結成したジルニトラの人々の組織、アルクノアを統率することで忙しい叔父は嫌々ながら引き受けてくれた。
忙しいというのなら、他の腕の立つ人間をよこせばいいものを。たぶん、そう言っても『スヴェントの名がすたる』とか言って絶対叔父自身がやってくるのだろうが。
俺たちは、お互い素直になれなかった。いや、それは俺の方で、叔父は甥を扱いあぐねているといったほうが正解かもしれない。
あのときの俺としては、叔父に近づくことが怖かったので、正統な跡継ぎである自分から銃を奪った相手という、わかりやすい態度で接することにした。
態度は鏡だ。そのまま返ってくる。だから、叔父も甥から当主の座を奪った人間として振る舞うようになってくれた。
憎むことはたやすい。
俺は、かたくなに叔父を受け入れない態度を貫いた。
どうしてこんなにも叔父を嫌いになりたかったのか。十五の年で、おれはようやく気付いた。否、気付いてしまった。それを、酷く後悔した。
ジュードにも話したことがあるが、十五の俺はもう傭兵として生計を立てていた。母は狂い、叔父の手の届かない土地へ引っ越し、稼いだ金は全部母の治療に使い、質素な生活を営んでいた。
汚い仕事も随分こなした。心だけは、もう一丁前に大人だった。人前では年相応の少年として振る舞っても、心の中は冷め切っていた。人を殺すことに躊躇はない。子供なのにと薄気味悪がる人もいたが、逆にそれがプロだと腕前を認めてくれる人もいた。
だが腕前はきちんとしていても、十五の子供が受ける仕事なんてたかが知れていた。時々、生活に困ってどうしようもなくなったときに限り、俺は叔父を頼った。
胸くその悪い仕事だった。初めて寝た相手を殺した。女を殺すのは、母のこともありあまり好きではなかった。裸体を伝う血と、恨めしげな瞳に思わず吐いた。
そもそも、俺は誰も好きになることなんかできない。
俺はエレンピオスに帰るのだから。
ならばアルクノアの構成員とでもと思われるかも知れないが、あいつらは俺の素性を知っている。アルクノア首魁である叔父と甥の不仲は周知の事実だ。そんな俺に好き好んで好意をよせてくる奴なんか、下心のある人間ばかりだ。……もしかしたら、本当に好きで打算もない人間もいたかもしれない。でも俺は自分と母のことで精一杯で、そんな気持ちに気付いてあげられる余裕なんかなかった。
女の死体の横でげえげえ吐いて、それで、俺は唐突に理解した。
父が叔父になにをしていたのか。
どうして叔父を嫌いにならなければいけなかったのか。
俺は女ののぞける白い喉に叔父を見ていた。
俺は、叔父を欲望の目で見ないように必死だったのだ。
不快で仕方なかった。
吐くものがなくなって、胃液の不味さに鼻をやられながら俺はまた吐いた。
吐いて、吐いて
吐いても、吐いても
気付いた気持ちは、出て行かなかった。
ジランドは父に犯されていたのだと気付いてから、俺はますますジランドと疎遠になった。年もとって子供だからと見くびられる機会も減った。仕事は増えた。若造が、という目で見られるようにはなったが、それでも『子供だが腕が立つ』より『若いが腕が立つ』のほうが格段に扱いが違う。
ジランドと、アルクノアと接する機会が減って、俺はご機嫌だった。そのまま順調に傭兵家業を続けられると、思っていた。矢先に母の病状が悪化した。エレンピオスの技術、つまりジランドを頼る自体に再び陥ってしまった。
久しぶりに会ったジランドは、また一段と厳めしい顔つきになっていた。
「しばらく見ねえうちにでかくなったな」
リーゼ・マクシアに漂着して十二年。振り返れば一瞬だが、子供が大人になるには十分な歳月だ。
「あんたは小さくなったな」
「ぬかせ、そっちの背が伸びまくっただけだろうが」
叔父を見下ろして言った俺の言葉に、ジランドはまともに答えた。少し、意外だ。
ジランドはラ・シュガルの王、ナハティガルに取り入り黒匣の開発を行っていた。ようやくここまでこぎ着けることができた、そう、きびしさを増した表情には書いてあった。
「それで、義姉さんの病状が悪化したって?」
「あんたなら、どうにかできるだろ」
叔父の口調はエレンピオスのころより乱暴になった。それでも母を呼ぶときだけは、なんとなく柔らかくなるような気がして、俺はいらいらした。
「イスラという女がいる。若いが医者としてなかなかの腕だ。アルクノアの一員じゃないが、弱みを握っている。そいつに渡りをつけておく」
「……ありがとう」
礼を言うと、ジランドの瞳がはっと見開かれた。
「なんだよ」
「いや、それなりに礼儀はわきまえているようだな」
「母さんのことがなきゃ、誰があんたなんかに頼むかよ」
叔父の言い方にかちんと来て、思わず言葉を返す。ジランドの表情が元に戻った。
「前言撤回だ。やっぱおめーは昔から変わらずかわいくねえガキだ。せっかくラ・シュガル軍から仕事持ってきてやったのに、その必要もねえみてえだな」
「なっ、おい、そりゃねーだろ!」
俺はしぶしぶ頭を下げる。
「お願いします」
「よし」
顔を上げると、ジランドがニカッと気持ちよさそうに笑った。
なんだ、それ。
嫌悪感で胸がいっぱいになる。
叔父は、こんなふうに笑う人間だったろうか。
俺なんかよりよっぽど大変なくせに、どうしてそんなふうに笑えるんだ。俺は、もう随分と薄っぺらい上っ面の笑みしか浮かべてこなかったのに。どうして、そんな、あんた、普通に笑ってるんだ。
カッと血が上る。衝動的に殴り飛ばしたくなって拳を握りしめた。力を入れすぎて震える。
嫌いな相手に、どうしてそんな顔ができる。俺があんたを嫌いだって、知ってるだろ。俺があんたに笑いかけたことなんて今までにあったか? 覚えていない子供のときくらいだろ。少なくとも、あの誘拐されそうになった事件以来はないはずだ。
だがしかし、問おう。
俺はジランドール・ユル・スヴェントのなにを見てきた?
なにも知らない。知ろうともしなかった。知りたくなかった。けれども知ってしまった。
父が叔父になにをしていたのか。
そしてそれを見た俺が抱いた感情がなんだったのか。
まただ。吐き気がする。
「おい、アルフレド?」
口元を押さえてしゃがみこんだ俺に、ジランドが手を伸ばす。俺は反射的に振り払っていた。
「さわるな!」
そうしてまた俺は気分が悪くなる。だから、なんで、そんな。俺に拒絶されて傷ついたような、顔、するんだ。
ほんの一瞬だったが、振り払って顔を上げたときに見えてしまった。
「最近あんま飯食ってねえから、ちょっと立ちくらみがしただけだ」
苦しい言い訳ではあったが、意外にもジランドはあっさり信じた。
「ったく言わんこっちゃねえ。そんなぎりぎりまで意地張って、死んだらもともこもねえだろうが」
「は、傭兵家業してる人間に言うことかよ」
俺は立ち上がると、ジランドから仕事の契約書をせびった。とくにもったいつけず叔父は書類を差し出してくれたのに、俺は引ったくるように受け取ると、挨拶もそこそこに別れた。
もう一分一秒でも、あそこにいて己を保てる自信がなかった。
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