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同人誌見本
TIGER & BUNNY > 兎虎 >
Eudaemonics-幸福論- 完売
(2011/07/18)
妻の死に目に会えなかったことを後悔したままヒーローを続ける虎徹は、バーナビーに告白された翌日ヒーローとしての能力を失ってしまう。 バニーちゃんの熱烈な口説き文句6ページを我慢できる人向。 虎徹を幸せにしたい人達の話です。
【R18/A5/60P/¥500】





4 バーナビーが迎えに来るまで虎徹は昨日のことをすっかり忘れていた。
朝の支度をして、出かけようとしたときインターホンが鳴って、バーナビーの声がした。
『おはようございます、虎徹さん。気分はどうですか』
玄関の扉一枚を隔てて、気遣いの言葉を発するバーナビーがいる。
音と気配で向こうも自分がすぐそこにいるのがわかっている。だから、早く返事をしてでなければ、いけないのに、動かない。
きちんと相手をしなければならないのに、バーナビーが怖い。昨日の様子から、きちんと対処しなければこの青年は引き下がらない。それはわかっているのに、腕が脚が声が体が動かない。
『虎徹さん? あの、やっぱり無理しないでいいですよ。僕からロイズさんには言っておきますから。また帰りに寄ります。じゃあ、』
「ま、待てって!」
帰りに来るなんて、そのほうが困る。扉を勢いよく開けて出てきた虎徹に、バーナビーはきれいな顔で笑顔をつくった。
「おはようございます。大丈夫ですか?」
「あ、ああ。おはよう」
ひきつった笑みで挨拶して、サイドカーに乗り込む。バーナビーは勢いよくバイクを走らせた。 アポロンメディアに到着しても、バーナビーは虎徹をデスクに向かわせず待機室に連れて行った。ヒーローが出動まで控えている部屋だが、宿泊設備も整っている。以前飛行船が止まった事件があったようなとき、ヒーローが長時間待機できるようにしてあるのだ。
「すみません、どうしても二人きりで話したいことがあって」
パートナーであるヒーローが能力を発動できなくなれば、それは話したいこともあるだろう。内容はわからないが。
「虎徹さんを送った後、緊急の会議がありました。アポロンメディアはあなたを解雇するつもりです」
「そうだろう、な」
不思議と、衝撃はなかった。知っていたことを、改めて口にされた、そんな感じだ。
「けれど、どうにか頼み込んで条件付きで延期してもらえました。一か月以内に能力が戻れば、またヒーローになれます」
「バニー?」
虎徹の前で、語気荒くこちらをまっすぐ見上げてくる青年の様子に、男は一歩下がりそうになった。
また、バーナビーもそんな虎徹の態度に拳を握りしめる。
「どうしちゃったんですか、おかしいですよ虎徹さん!」
「おかしいって、おまえのほうこそそんな怒鳴ってどうしたんだよ」
「どうしたもこうしたも、あなたヒーローでしょう!? それなのに、どうして、そんな。僕のパートナーの、鏑木虎徹はヒーローでなくなるのに、そんなこと言う人じゃない。そんな、他人事みたいにっ」
無性に、バーナビーの言葉に腹が立った。能力もなくてなにがヒーローだ。鏑木虎徹はそんなこと言わない? 勝手な理想押し付けるなよ。
ヒーローが理想を押し付けられるのは、ある種当然だったが、それでもバーナビーに言われたこで虎徹はひどく憤慨した。
「おまえに俺のなにが――」
「ええ、わかるわけないです」
なにがわかると、怒鳴ろうとしたのをバーナビーがもう否定した。次の言葉をぶつける前に、青年の言葉がぶつかる。
「でも、これまであなたと一緒にいて、わかってることはあります。理想を押し付けられるのがいやですか? ヒーローであった今までのあなたなら、僕にそんなこと絶対言わないですよね。裏返せば、今のあなたは僕に自分を見てほしいってことでしょう? その通りです、僕はありのままのあなたを見ていられます。本音をいえば、能力がなくったって、関係ない。僕は虎徹さんと一緒にいたい」
「っ、」
ストレートすぎる言葉に、男は言葉を失う。
「だから賭けをしましょう」
「か、賭け?」
いきなり話が飛んで、虎徹の思考が追い付かない。
「僕があなたの能力を取り戻します」
「はぁ!?」
もうさっきから全然意味が分からない。能力喪失は虎徹の問題だ。それを、バーナビーが取り戻させる?
目を丸くする虎徹を、バーナビーは抱き寄せた。以前と変わらない、腕と胸と、熱い吐息。
「ちょ、おま、はな――」
「俺が勝ったら、あなたをください。負けたらあなたの好きにすればいい」
抵抗しようとした腕を捕まえられ、耳元で囁かれた言葉がとどめのように虎徹を止めた。
音が聞こえる。
どくどくと、脈打つ血液の音、鼓動。
「虎徹さんが俺を好きだと認めさせてみせます。あなたの罪悪感を消し去りましょう、俺なしでは生きていけないほど、俺を愛せるようにさせてみせます」
そうすればあなたの能力が戻るはずだから。
自信と確信に満ちたバーナビーの言葉に、虎徹の気持ちはえぐられた。
「俺がおまえを、好き、だって、なに馬鹿な、」
「馬鹿はあなたです。僕のこと好きなくせに気づかないふりして、抑え込んで、その結果がこれですよ」
あなたは自分の気持ちに気付きたくなくて、僕から離れようとしているだけだ。能力がなくなれば、ヒーローでいられなくなりますからね。
「やめ、やめろ……っ」
「やめません」
抱きしめる力を強めて、バーナビーは言う。
「あなたが裏切ったから、奥さんが怒って能力を消した? ふざけないでくださいよ、あなたが愛した人は、あなたがヒーローであれと最後まで望んだかたでしょう。自分の気持ちに嘘をつく罪悪感を、人のせいにしないでください」
「――ッ!」
やめてくれ。
もうやめてくれ。
俺はいらないんだ。もう、今のままでいいんだ。これ以上はいらないんだ。
離してくれ、抱きしめないでくれ、見逃してくれ、怖いんだ。
俺は、俺はもうなにかを失うのは怖いんだ。
「うっ……く、っ」
震える背中を、バーナビーが撫でた。
こぼれる涙を、バーナビーの唇がすくった。
嗚咽のもれる口を、バーナビーに塞がれた。
「ん、ぅ」
差し込まれてきた熱い舌に、痺れる。
抱きしめられるのは心地がよかった。キスも、いやではなかった。むしろ、気持ちがいい。
バーナビーの言葉で暴かれてしまった心を、バーナビーの肌が蕩かす。乾燥したそれをひたひたにするくらい、注がれる。
行動が、言葉が、殻を割られたそこに浸みこむ。


TIGER & BUNNY > 兎虎 >
あたしのエロパロ動画見た相棒が「あなたじゃないと否定するなら証拠見せてください」って詰め寄ってきた。
(2011/08/28)
タイトル通りの内容。 兎が残念なイケメン童貞でどうしよう。バニーちゃんのむっつり妄想話。
【R18/A5/28P/¥300】- 書店:とらのあな


バーナビー・ブルックスJr.はモニタに映しだされた映像と文字に釘付けになっていた。
スクロールしていたマウスの指を止め、何度も何度もその文字を読み返す。信じられるわけがない。だが何度読み返したところで、文字列は消えもしなければ変化もしない。

『正義の壊し屋、ついに年貢の納め時!?! ワイルドタイガー凌辱祭!!!』

バーナビーは震える指先でその文字を――リンクをクリックする。切り替わった画面には動画のサムネイルとダウンロードボタン、そして卑猥な説明文。アダルトサイトではない。ファイル共有サイトのページだ。
『正義の壊し屋ワイルドタイガー、ついに年貢の納め時!?
賠償金が積もり積もったヒーローの行きつく先は、スポンサーとの枕営業だった!
賠償金まみれなタイガーの、むちむちボディにスポンサー様のザーメンがほとばしる! 破けたぴちぴちのヒーロースーツから、豊満な彼女の肉体が覗く姿はなんとも煽情的!
生ハメファックで喘ぎよがるタイガー丸ごと百二十分大放出!!!』
遠慮ない破壊行動、イコール賠償金、イコール枕。筋立てとしてはしごく説得力がある。いや、ありすぎて困る。
サムネイルはTOP MAG時代の旧スーツであられもなく股を開いているものだ。体型も、顔の輪郭も虎徹本人に良く似ている。きちんと別人かどうかは動画を見てみないと確証をえられないくらいに。
これが、もしただのアダルトサイトに置かれているものだったらまだ安心できた。よくあるヒーロー凌辱モノだと。
だが、こんな、普通に検索をかけただけでは引っかからないようなアングラ情報がひしめく場所に置かれていると、ひょっとして本人の流出映像ではないかと勘繰ってしまう。
ウロボロスについて調べるために、バーナビーはこうして非正規情報を漁ることもある。
もしもこれが虎徹本人だとしたら大事件だ。明るみにでもでたらヒーロー生命に関わる、もちろん、コンビであるバーナビーもとばっちりをくらうだろう。
「まったく、なんてことしてくれるんですか。おばさん」
サイト自体のセキリティチェックを完了して、バーナビーはダウンロードボタンを押した。アッパークラスマンションの高速回線は動画の重量などものともせず、すぐに保存が完了する。データ自体の安全も確認して、バーナビーは動画を再生した。
黒塗りの画面、砂嵐の雑音が数秒して、突然豪奢なベッドルームが映った。キングサイズのベッドには、所在なさそうにぺたりと座るワイルドタイガー。
アダルト動画をほとんど見たことのないバーナビーであったが、きちんとした設備で撮影されても編集されてもいない映像だということはわかった。ますます怪しい。
画面はタイガーにクローズアップする。不安そうな表情でカメラを見る彼女の髪は短い。少なくともヒーローデビューから五年間は髪が長かったと記憶しているので、MVPから転がり落ちた後というわけだ。
「待てよ、五年って」
その数字に引っ掛かりを覚えて、バーナビーは記憶を反芻する。
『あー、五年前に病気でね』
思い出した。彼女の夫が亡くなった年だ。
結婚していたのはなんとなく指輪で察していたが、その割には家庭の匂いがしないので不思議だったのだ。まさか子供がおり夫に先立たれているとは思いもしなかったので、市長の息子を預かったときに聞いて驚いたものだ。もちろんおくびにも顔には出さなかったが。
そして、もう一つ浮かび上がった事実にバーナビーは顔をしかめた。
髪を切った時期。
彼女がMVPから転落した時期。
夫が亡くなった時期。
五年前で全て符合し、こうして彼女は賠償金を躰で支払うまでに堕ちた。
苛立ちは、今気付いた結論に対してではない、今まで気づけなかった己へだ。
「くそ……っ」
バーナビーらしくもなく悪態をついて、頭を振ると動画に集中する。
『あの、本当にこれで賠償金の件、チャラにしてくれるんですよ、ね』
カメラに映されるタイガーの声が震えている。よく似た声だった。しなやかな体躯と、胸元で握りしめた拳。ひどく男をそそる。
そのタイガーの座る寝台の周囲には、複数の全裸の男たちがいて、みな目元を隠しており身元は不明だ。まあ、あのタイガーの破壊したものをチャラにできるスポンサーだ、身元が割れてはタイガー以上に困るだろう。
『大丈夫だ、きちんと書類にサインしただろう』
聞き覚えのない声だ。少なくともバーナビーは自分の知り合いの要人ではないと判断した。他の男共も、見覚えはない。その事実に安堵したことに、バーナビーはますます苛立った。
もし、もし知り合いがいたら? そいつになにをするかわかったものではないと考えてしまった自分に混乱する。
この気持ちが恋だなんて、幸せな気持ちであれば。
恋なんてしたことはないが、この気持ちは恋なんかじゃないと断言できる。虎徹のことを考えても温かい気持ちになどならない。焼き切れるような焦燥しか抱かない。胸が苦しい、吐き気がする。イライラする、腹立たしい。傍にいて落ち着かない、自分がなにをしでかすかわからない。
そう、自分が制御できないことが一番恐ろしい。
己の行動のタガを外させる存在として、バーナビーは虎徹を恐れている。
気付けば目で追っている、虎徹の唇や指先や時折覗くうなじや、深い琥珀色の瞳。すらりとタイトスカートから伸びた脚、まろやかな臀部、引き締まったウエスト、豊満な乳房、笑顔と共に屈託なく差し伸べる腕、細い手首と指と――指輪。
あんまりにもムカつくので、めちゃめちゃにしてしまいたくなる。
もし、もしもこれがまさか恋であるというならば、なんてキタナイ感情だ。バーナビーは、それこそ自分に怒り嫌悪した。
動画の中のタイガーは、まだおどおどとベッドの上でスポンサーになにか言っている。スポンサーの受け答え、下卑た笑い声、不愉快極まりない。
金銭をタテに女性に股を開かせるなんて、最低だと思うと同時に、彼女に対して抱いた己が劣情もあの浅ましい男共と同種なのだと気づき、はらわたが煮えくり返る。
『どうか、あたしにスポンサー様の慈悲をお恵みください』
画面のタイガーはゆっくりと膝を抱え、大きく開脚していた。震える躰に、誰かが喉を鳴らした音が聞こえる。男共の手が伸びて、さっそくタイガーに半勃ち状態のペニスを掴ませた。
『うっ、ぅ』
タイガーの口からすすり泣くような声が漏れた。両手に掴んだグロテスクな男根を、唇を噛みしめながらしごいている。
『ほらタイガー、こっちも開いているだろう』
『んぶぅ…ッ』
カメラが寄って、無理矢理男根を咥えさせられたタイガーが映された。だがアップになっても、歪んだ表情からは虎徹かどうか判断しづらい。
『あっ…ぉご…っふぐぅッ』
苦しそうなタイガーの声に、バーナビーは知らず知らず拳を握りしめ唇を噛んでいた。
だが、どうだ。
『が、ぁ…っあ、んぐ』
自分の雄はしっかり反応し、あからさまにズボンを押し上げているではないか。
『さあタイガー、だすからしっかり飲むんだよ』
はあはあと汚らしく荒い息を吐きながら、タイガーに口淫させていた男が言った。
『んっ、ふ…ぅぐッッッ』
タイガーの薄い琥珀色の瞳が見開かれて、彼女の口から汚らしい白濁が漏れた。
『が、は…うっ、うぅ』
『ああ、駄目じゃないかきちんと飲まないと。お仕置きが必要だねえ』
『も、もうしわけございません』
えづいて苦しかったのだろう、涙に濡れた瞳を揺らしながらタイガーが謝罪する。飲み込めなかった精液を顎からだらだらこぼして、それが見事に張り出た胸に、いやらしい染みを作っていく。
――限界だ。
バーナビーはベルトを緩め前をくつろげると勃起したペニスに指を絡めた。
恐怖と嫌悪に歪んだタイガーの表情は、元々彼女へ持っていたバーナビーの嗜虐心を煽った。彼女をめちゃくちゃにしてしまいたいという妄想に、まさにぴったりとはまりこんだ。
『まてまて。その前にタイガー、こっちもちゃんとイかせなさい』
『は、はい』
タイガーに手でしごかせていた男が言った。彼女は健気に両手に握る赤黒い肉塊をしごいた。
『ひぃ…ッ』
男二人のはぜた欲望が、タイガーの顔にぶちまけられる。べっとりとした濃い精子が、タイガーの涙と唾液と共に彼女の顔を穢した。
『なんてことだろうねえ。こんなに初々しい反応をしているというのに、君のここはもうじっとり濡れているみたいじゃないか』
『あっ、ち、違』
口淫させていた男が、タイガーの股間を指さす。カメラがズームになり、黒のレオタードに愛液が染み出てさらに黒さを増した箇所を映した。
『どうやら遠慮はいらないようだねえ』
もともと遠慮など微塵もする気がなかっただろうに。男は怯えるタイガーのレオタードに手をかける。
『や…いやああああ』
タイガーの悲鳴と被って、布が裂かれた悲鳴がスピーカーを揺らした。画面にぱっくりと開いたタイガーの、桃色の肉襞が映される。てらてらと蜜をたらし、ときおりひくりと震える。そこに男の無骨な指が無遠慮に挿し入れられた。
『ひぃんッ』
びくりとタイガーの躯が跳ねる。
『あっあっん、や、だめぇ…そっこはぁ…』
クリトリスを責めると、途端にタイガーの声が甘さを増した。ぶちゅぶちゅと漏れ出る蜜が音を立ててタイガーの興奮を代弁する。
『あ、っあ…んはっ、や、そこぉ』
さっきまでの引きつっていた表情はどこへやら。タイガーの瞳はとろりと愉悦に浸かり、艶やかな嬌声を濡れた唇から垂れ流している。
『ぃひっ、く、あぁっあ、いくぅッ、いく、も、いっちゃうううう!』
びゅくびゅくと潮を吹いて、タイガーは達した。焦点の合わない呆けた表情。それが、急に崩壊した。
『ひぎっ、そ、な…あああ、いきなりぃ』
カメラが引き、タイガーが男に赤黒いペニスを根元まで捻じ込まれている様子が映った。我も我もと他の男共も続き、タイガーの口や、手を使って欲望を満たさせようとする。混ざれない男達は、ペニスをしごき射精した精液を青いスーツにぶちまけた。
『らめぇ、そんっな…壊れちゃううう』
よってたかって男共にいいようにされているというのに、タイガーは表情も、声も、躯も、いやらしく乱れていた。
『あんんっ、もっと奥…ひいっ、はひいい、あ、そこいい…あ、アーッ』
あ。チガウ。
『はああ、しゅごいのおおお、おちんぽが子宮がつがつしてるうう、ここにぃ、スポンサー様のおちんぽみるくぶちまけてくだしゃいいい!!!』
コレ、虎徹さんじゃない。
『あっ、アアァア、イぐ、イちゃ…あぁあああッァァ』
バーナビーは自身を慰めていた手を離して、動画の停止ボタンを押した。
さっきまであんなにガチガチだったのに、ソッコー萎えた。とりあえずティッシュ二枚で先走りを拭う。
「馬鹿みたいだ」
大きく嘆息して、バーナビーはティッシュをゴミ箱へほうる。きれいな放物線を描いてダストシュート。
シーケンスバーを最後のあたりまで動かすと、案の定きちんとスタッフロールと制作会社がでた。画像の安っぽさは盗撮ものらしい臨場感を持たせる効果というわけか。
安心はした。が、ひどく虚しい。
確かにこの動画は偽物、というか、ただのヒーローモノAVだった。取り越し苦労もいいところだ。
けれども、もし、もしも。
映像には残されていないが、虎徹が枕営業をさせられていたとしたら。考えてもいなかった疑念がバーナビーの心をどす黒く染めていく。
虎徹には子供がいる。
少なくとも最低一人はあの人を抱いたのだ。
それだけでバーナビーは憤慨した。顔も知らない、見たこともない、死んだ人間に嫉妬した。自分の知らない虎徹の姿を見て、触って、味わった男の存在を疎ましく思った。枕営業をしていたというのなら、そのスポンサーを社会的に葬ってやりたくなった。
自分が必至で親の仇を、ウロボロスを探しているときに、あの躰をいいようにしていたのかと思うと、いてもたってもいられなくなった。逆恨みもいいところだが。
こんなただれた感情が恋であってたまるものか、ただの衝動、欲望だ。胸くそ悪い。
けれども、今回の件ではっきりとわかったことは、わかってしまったことは一つ。

俺は、どうしてもあの人が欲しい。




「バニーちゃん、おっはよ〜ん」
「おはようございます」
あとバニーじゃなくてバーナビーです。
お決まりのやりとりをして、いつもの朝を迎える。一つ違うことは、バーナビーは虎徹の顔をまともに見ようとしていないことだった。
「あれれ〜、どったのバニーちゃん」
なんか具合でも悪い?
虎徹が左背後から、バーナビーの顔を覗き込むようにしてきた。むちゃくちゃ近い、息が、頬にかかる。
「っ、なんでもありません」
右側を向くと、左の頬をつんつんと指先がつついた。
「嘘だあ。あたしにはわかるもんねー、バニーちゃんいつもとちょっと違う」
なんでもない、返答としては一番不適格だ。なにかありますと答えたも同然。
(おばさんは鈍感なくせに、こういう機微には聡い)
バーナビーは振り払うように虎徹の指を追いやる。
「なによう、邪険にしちゃって。あたしの顔、一度も見てないし。バニーちゃんわっかりやすうー」
それじゃあ、いかにもなにかありましたって言ってるようなもんじゃん。
虎徹の言葉にバーナビーは珍しく返答に詰まった様子を見せた。しばしの沈黙ののち、ため息を一つ。
「おばさん、今日仕事終わったらうちに来られますか」
「うん、いいよ。まったく、素直に最初からそう言ってくれればいいのに」
なになに相談? 人生の大先輩に任せなさい、と虎徹は胸を張った。バーナビーが最近少しずつ打ち解けてきてくれているのが相当嬉しいらしい。
鼻歌でも歌いださんばかりのご機嫌具合でデスクに座った虎徹を横目で見て、バーナビーは口元を歪ませた。
ああ、ちょろい。


TIGER & BUNNY > 兎虎 >
BEAST
(2011/09/19)
究極に病んでるバーナビー×反抗的な虎徹の、ボコリ愛・罵り愛本。普段の二人がこんな態度とるわけないので、ウロバニと海老っぽいなにかです。暗くて胸くそ悪い終わり方。バニーちゃんの病的な告白が5ページ以上続いても耐えられる人向け。
【R18/A5ステッチ本/24P/¥200】- 書店委託 とらのあな / K-BOOKs
憤りに染まった紅い瞳を見下すのが好きだった。
何度痛めつけても、彼は反抗的な態度を崩さない。どこまで耐えてくれるだろう、どこまで耐えられるだろう。その気概を粉々にしてやりたいと思う反面、いつまでも抵抗していて欲しいとも思う。
相反した気持ちを抱えたまま、彼と同じ紅い瞳を輝かせて青年は――バーナビーは脚を振り上げた。
「が……はッ」
男の腹部に見事に決まったそれに、百八十センチの長身が吹っ飛ぶ。けれど今だって、蹴って壁に背を叩きつけられても、男は不敵にこちらを見上げていた。
「おや、まだ可愛がり方が足りないようですね、虎徹さん」
バーナビーはいやらしく口角をあげた。虎徹と呼ばれた鏑木・T・虎徹にそっくりな瞳の紅い男は、近寄ってきたバーナビーの顔に唾を飛ばす。青年は難なく避けると、ぐっと顎を強く締め上げた。
「まったく。学習しないひとですねあなたも」
困ったものだ。と言う割には青年はしごく嬉しそうに笑んでいる。
彼もまた、バーナビーと呼ばれているし自身もその名であると認識しているが、シュテルンビルドの平和を守るヒーロー、バーナビー・ブルックスJr.とは違う。
虎徹はこんなふうにバーナビーに敵意を向けないし、バーナビーもこんなふうに虎徹を扱いはしない。
紅い瞳の彼らが存在することはありえないのに、まるであたりまえのように違和感なく、二人はここに在った。
「本当に、どうして理解して下さらないんですか? ただあなたは僕だけ見ていればいいのに」
子供でもできることなのに、とおおいに嘆息するバーナビーに、虎徹はヘッと皮肉気に表情を歪ませる。返事を聞こうと青年が掴む力を緩めると、男は吐き捨てるように言った。
「なぁにが『僕だけみてればいい』だよ、変態偏執倒錯ウサギちゃんよ。てめえなんかの言うことなんざ聞かねえって、そっちこそ学習しやがれよ」
「またそうやって汚い言葉を使って。いけませんね」
「――ぐぁっ」
バーナビーはわざと爪を立ててきつく虎徹の唇をつまんだ。ねじるように引っ張ると、苦痛の色を浮かべながらも男の紅い瞳はこちらをにらみ上げた。
「こう毎回毎回躾をするのも疲れるんですけど」
「むっぐぅ、んんむんむー」
「『だったらやめればいい』? 馬鹿言わないでください。話せないくせにむごむご言ってる姿は可愛いですけど、僕はあなたにそんなことを言ってほしいわけじゃない」
きっちり発音されなくとも虎徹の言葉をバーナビーは理解した。眼鏡を押し上げて、染まった頬を恥じるように少し虎徹から顔を反らす。台詞通り、本当に可愛いと思っているらしい。
「んぐう」
「『きもい』? はあ、上等ですね。決めました、今回はいつもよりキツめにやります」
「んんん!」
これはバーナビーでなくともわかるであろう。やめろと制止の声を咥内であげた虎徹を、バーナビーは張り倒した。側頭部が床に容赦なく激突した音が響く。唇は解放されたので、同時に虎徹の悲鳴もバーナビーの耳を愉しませた。
「あがっ」
「いい声で啼いてくださいよ?」
頭を床にきつく押しつけながら、バーナビーは虎徹の耳元で囁く。甘く、腰に絡みつくような低い声。こんな音色で鼓膜を至近距離から震わされて、堕ちない人間などいないような。だが、それは虎徹にとって、死神が鎌を振り上げる音にも等しかった。
「く……っ」
躰は仰向けにされたのに、頭は変わらず横向きにされて虎徹は苦悶の声を漏らす。
「さて、今日はどこからどうやって料理して差し上げましょうか」
男の躰に馬乗りになり、抑え込めるようにすると、バーナビーは頭を押さえる手を離した。手入れの行き届いた指先で耳朶から腮、頤をなぞる。虎徹の躰がびくりと震えたのを太ももで感じ、バーナビーは恍惚の表情を浮かべた。それを見た男が、胸くそ悪いと眉根を寄せる。
「逐一うるせえ、黙れよ色情狂。ひとをいたぶってるくせにいい顔しやがって」
「あなたが僕の嗜虐心をいちいち煽るのが悪いんですよ。反抗ばっかりして、そんなに僕に躾けられたいんですか?」
「はっ、とんだ勘違いだぜ坊や。誇大妄想は聞き飽きた。言ってて自分で恥ずかしくないのかよ」
「全然。あなたにしか言わないし、あなたにしか聞かせません。恥ずべきことも偽りもない。本当の気持ちしか口にしない。あなたを愛している」
「だからそれ。そーゆーの」
どうして通じねえのかな。虎徹は憎しみから一転、憐憫の視線になった。
「愛してるって言いながら、俺を殴るのかよ。愛してるって言いながら、俺と話し合わないのかよ。愛してるって言いながら、俺の幸せを望まないのかよ。それは愛じゃない。おまえは勘違いをしている」
虎徹の言葉に、バーナビーはまるでペンギンが空を飛んだような表情をした。
「――ああ。そう、ですね。その通りだ、僕は勘違いをしていました」
だが、すぐにそれは長年の疑問が氷解したような、晴れやかなものに変わる。つられて、虎徹も緊張を緩めた。紅い縦長の瞳孔が、少し広がる。
「わかってくれたようでなによりだ」
だからはやく退いてくれ、そう言おうとした虎徹の声は、途中で尻すぼみになった。見下ろす、バーナビーの顔。晴れやかな顔、清々しいほどにふっきれた。見惚れるには命がけなほどの、整いすぎたうつくしい。妖艶というにはあまりにも邪気がなく。理解できない。
ぞっとした。
「失礼。そうそう、そうでした。これは愛なんかじゃありません。似て非なる、同じ位置にありながら階層の違う、愛よりも強烈な感情です」
理解させてくれたことに感謝しますとばかりに、バーナビーは微笑んだ。子供が新しい知識を与えられて無邪気に喜ぶように。あまりにも、ただただ、ただただ、無垢にひたむきにまっすぐに。見つめるバーナビーの血よりも濃い瞳の色が、虎徹の心を凍らせる。
「弁解させていただきますと、愛と呼ぶほかないのです。今は明確に違うと理解していますが、けれど理解していたとしても僕は愛と呼んだでしょう。」
この感情は、他に名前をつけてもらっていない。だから、僕はこれを愛と呼びます。愛すらはるかに及ばない大きな感情ですが、愛以上にこの大きな感情を表す言葉が定義されていません。ですから虎徹さん。これは愛です。
とうとうと語るバーナビーは、己が感情の愉悦に浸りきっていた。
「僕はあなたを愛している。愛よりも、余程愛している」
だから僕はあなたに言うことを聞いて欲しいから殴るし、あなたに言ってもらいたい言葉をくれない話など意味がないからしないし、そもそも
「幸せなんていりません。あなたがいればいい。僕はあなたとだったら、不幸でもなんでも受け入れます」
相手の総てを否定しながら肯定する。
決して愛ではない。しかしそれを形容する言葉はなく、また名前を付けることもできない。
恐怖とは、理解できないものに抱く感情だ。虎徹には理解できなかった、だからバーナビーを恐れた。胃の腑に氷の塊を押し込まれたような怖気と吐き気。
「もっとあけっぴろに言ってしまえば、僕は別にあなたに愛されなくったっていい。あなたが僕だけを見てくれれば、それだけでいい。あなたの一番になれるなら、あなたに憎まれたっていいんです。愛されずとも、ね」
バーナビーの手がゆっくりと虎徹の頬を撫でる。恐怖で震えだしそうになるなど、大の大人が情けないと思うが、それでも男は触れてきた青年の皮膚に叫び出しそうになった。そこから、まるで侵食されていくような錯覚に陥る。
近づくバーナビーの顔。蛇に睨まれた蛙のように、逃げられない。逃げ出したいのに。
そうして、触れ合った唇はひとの味がした。冷たくもなく、固くもない。温かく、柔らかい。いっそ固く冷たく、それでなくとも血の味でもすれば。すぐにでもこれを殴って逃げようと思えたのに。
「ぐっ、ぅ」
うかがうように、ちろちろと青年の舌が男の唇を舐める。引き結んだ口の綻びを探すように、合わさった皮膚の谷間を熱いぬめりが滑った。咥内でなくとも唇は敏感にその感触を脳に送り、男の肌が総毛立つ。
「あなたに嫌われようとかまわない。現に、こうしてあなたは僕のこと、大嫌いですものね。けれどもそれじゃあ不十分です。全然足りない」
ぴちゃりと、わずかな隙間も侵食していく水のように唾液を滲ませて、男の心に侵入するように青年は虎徹の唇を食 み、味わう。
「あなたを手に入れるためなら世界を滅ぼすしかないといわれようとも、僕は躊躇などしない。それと相対するほど、あなたは僕を憎んで、嫌ってもらわなくては。でも、愛してくれるならほんの少しだけでいいんですよ。僕が世界で一番だって思ってくれるだけでいいんです」
大きな対価と小さな対価。まるで詐欺師の口説き文句だ。あたかも愛することが労力を伴わず、楽で、簡単で、最良であるのだと誘導する。
「誰がおまえの口車に乗るかよ。寝言は寝て言え」
「実に残念ですね」
「うごっ」
口を開いたのがあだとなった。バーナビーは素早く虎徹の咥内に指を突っ込む。
「僕なりの精いっぱいの譲歩だったのに」
「ぐ、ぇあッ」
喉の近くまで突っ込まれて、虎徹は反射的に嘔吐く。涙の滲んだ目元を、いかにも美味そうにバーナビーは舐めた。皮膚の薄い目蓋をぐりぐりと舌先で押されて、閉じた暗闇に極彩の滲みが広がる。
まつ毛の一本一本まで探るような動作は、無理矢理眼をこじ開けて眼球まで舐めてきそうで怖ろしかった。
「や…めろ」
虎徹は腕で振り払おうとしたが、さきほどまで口腔を蹂躙していた手をあっさりと引き抜かれて、やすやすと拘束され手首を壁に縫い付けられる。
バーナビーの握りしめた男の手首は、ぎちぎちと音を立てて血管ごと圧迫されていた。合わさった皮膚を押し返すように脈がどくどくと打たれる感覚。だんだん指が痺れてきた。このままではいけないと、虎徹は力を抜く。
そこでようやくバーナビーは手を離した。てっきり懇願するまで解放しないと思っていたのに。意外に思ってぎゅっと閉じていた眼を開けると、したり顔で微笑む青年と目が合う。
しくじった。
「虎徹さんの眼、前から思ってましたけど美味しそうですよね。食べてしまっても?」
本気か冗談か、はかりかねる。バーナビーだったら本気で言っているとも限らない。
「腹ぁ壊しても知らねーぞ」
それでも虎徹は笑い飛ばすように答えた。ここでやめろだなんて、死んでも言えるはずがない。
「あなた、僕の体の一部になろうとしても反抗するんですね」
嬉しいなあ。
ぞり、とバーナビーの舌が眼球を舐めた。
痛みはないが、強烈な違和感と急所を握られた恐怖にひゅっと喉を鳴らしてしまった。失態だ。バーナビーがそれを聞き逃すはずがない。案の定、ふふっと機嫌よさそうに青年は唇から息を鳴らす。
「あなた、本当に馬鹿ですね。ここまできてまだわかりませんか? ああ、それとも理解したくない。うん、どっちでもいいや」
バーナビーがこういうとき饒舌なのはいつものことだが、それでも今回は特に言いたくて言いたくて仕方がなさそうだった。例えるなら、自分の誕生日の日に『今日は何の日だか知っている?』そう質問する子供のような。
当ててくれれば嬉しいし、当たらなくてもむくれて詫びにプレゼントを要求できる。どっちに転んでも本人の得になる質問。
「おまえの考えてることが、理解なんかできるわけないだろ」
「予想通りの答え、ありがとうございます」
吐き捨てるように言った言葉にさえ、バーナビーはしごく嬉しそうに礼を言った。言葉の内容に関してより、自分の予想が当たったことが嬉しくて仕方ないのだろう。そのほうが、より虎徹を嬲れるから。
「いいですか、虎徹さん」
とっておきの秘密をこっそり伝えるように、青年は男の耳元へ唇を寄せる。
「虎徹さんを屈服させたいけれど、別に、ずっと反抗的なままでもいいんです。むしろ、どこまで己の意志を貫けるのか、楽しみなんです。もちろん、僕の手に堕ちても嬉しい」
かすれた低い声が毒を流し込む。
「ね、だからあなたの行動は全部無駄なんです。僕はなんでも嬉しい、僕は虎徹さんを愛しているから、虎徹さんの総てが愛おしい。なにをしたってどっちにころんだって、ね」
耳から、
脳から、
心を、
染まっていく。
毒、が
「僕を――俺を諦めさせることは、不可能だ」
ぞり。耳孔を犯した舌が、不協和音を響かせた。
唐突に虎徹は理解した。
そうだ、たった一つだけあった。
バーナビーの感情に対応する言葉が名前が定義が。
――狂気だ。


TIGER & BUNNY > 兎虎 >
あたしの相棒が天使みたいに無垢な顔で「オナニーってなんですか?」って尋ねるから教えることになった。
(2011/10/23)
タイトル通りで、バーナビーが美貌と年下男の武器を最大限に使って虎徹♀に甘え、性的に色々手取り足取りしてもらうごにょごにょな本。『あたしのエロパロ動画見た相棒が〜』の一応続きだけどこれだけでも大丈夫だと思う。 ちょっと切ない終わり方。実は次(11月発行)で完結。
【R18/A5/28P/¥300】- 書店委託:K-BOOKs快適本屋さんとらのあな
〜3ステップでわかる前回までの出来事〜
※前回→『あたしのエロパロ動画見た相棒が「あなたじゃないと否定するなら証拠見せてください」って詰め寄ってきた。』
1、バーナビー、ワイルドタイガーのエロパロ動画を発見し、虎徹が好きなことを自覚する。
2、バーナビー、動画をダシに虎徹を自宅へ呼び証拠を要求するため虎徹の服を脱がせようとするも、途中で童貞チキンが勝って止めに入ってしまった上に、そもそも虎徹に男として見られていないことに気づく&傷つく。
3、バーナビー、こうなったら「かわいい手のかかる甘えたな後輩男として、虎徹にすりよって、支えてやろうと伸ばした手を決して離さず、気が付いたらがちがちに囚われている、そんな状況へ追い込んでやろう」と、決意。
した翌日からのお話。




「っはよー、バニーちゃん。昨日はよく眠れ……てなさそう」
勢いよく挨拶した虎徹の声は、バーナビーの表情を見た途端しぼんだ。明らかにどんよりしたバーナビーの雰囲気に、声をかけるのもはばかられる。
「ど、どしたの今度は」
それでも、虎徹は遠慮がちに尋ねた。
「その、実は……いえ、やっぱりだめです。先輩に、とてもそんなこと頼めません、頼んじゃいけない」
「ちょっとちょっと、そこまで聞いてはいそうですかって引っ込めるわけないじゃない。遠慮なんてしないで」
「でも、本当に、今回は……確かにあなたでないと解決できない事柄なんですけど、でも、だからってお世話になるわけには」
「はあああ? ならなおさらじゃない。いい、今日バニーちゃんちいくから! ダメって言っても押しかけるからね。今度こそご飯だってつくったげる」
ちょろい二度目。
またしても同じ手に引っかかるなんて、このひと、今まで無事でいられたのが不思議なくらいだ。バーナビーは己以外の人間にたぶらかされないか、いっそ心配になった。自分が手を付けるまで何事もなかったのは奇跡だ。
これは既成事実を作って周囲に自分のものだと宣言するに限る。といってもいきなり押し倒したら拒絶されるのは目に見えている。じっくりゆっくり時間をかけて。
バーナビーは暗い笑みに口元を彩らせた。



「ごちそうさまでした。すごくおいしかったです」
「そっか、よかった」
言葉に示された通り、虎徹の作った夕食をきれいにたいらげられた皿を見て、虎徹は満足そうに微笑んだ。
「あ、片づけは明日ハウスキーパーにさせるので結構です」
「ん、そう?」
皿をシンクに片づけようとした虎徹の手を、バーナビーは握って引き留めた。一瞬、触られて虎徹がびくりと肩を揺らしたのは気のせいだと思いたい。無意識に警戒されている? まさか、たんに腕を突然とられて驚いただけだ。
そもそも、今更警戒されたところで遅い。
「先輩、こっちへ」
バーナビーはそのまま手を引いて虎徹を寝室まで連れて行こうとする。
「え、え、ちょっと、バニーちゃん?」
「リビングには、椅子が一つしかないですから」
「床に座るからいいって」
「女性のお客を床に座らせるようなことはできません」
「で、でも独り暮らしの男の寝室に女を連れてくのもどうかと思うんだけど」
「驚いた。あなた、僕のこと男として見てたんですね」
「あ、あのねえ」
寝室のドアを開けながらバーナビー言った言葉に、虎徹は脱力する。その隙をついて、青年は女を完全に寝室へ押し込めた。
「きゃっ」
「ああ、すみません急に引っ張ったりして」
よろけた虎徹を支えたバーナビーは、笑顔を向けるが相手の表情はこわばったままだ。
『驚いた。あなた、僕のこと男として見てたんですね』
まだ、この言葉が彼女のなかで最後の砦を守っているのだろう。バーナビーにとって二重の意味を含ませた言葉であるが、虎徹には片方しか理解はできていないはずだ。虎徹が、まさか自分を男として見ていたのかと、そんなこと思ってもみなかった驚いた、と。
「離して、もう大丈夫だから」
「そうですか、ではそこに適当に腰かけてください」
青年が指をさした先は、キングサイズのベッドだ。虎徹の頬が引きつった。
「あ、ええっと」
「どうぞ、遠慮なさらず」
「ば、バニーちゃんはどこに座るの」
「あなたの隣に」
「ね、やっぱり出よう、話はちゃんと聞くから、ばにーちゃ、」
「僕を、拒絶しないでください」
バーナビーは虎徹の言葉をさえぎった。が、言葉の内容とは裏腹に、青年は一歩虎徹から離れた。
「バニーちゃん?」
「あなたは僕のパートナーだ。大丈夫です、わきまえてます。ええ、だから僕、今すごく苦しいんです」
バーナビーは震える躰を押さえつけるように、自身を抱いた。
「あの動画を見てから、先輩の、肌を見てしまってから、どうしてもその映像がまぶたの裏から離れなくて。こんなこと、いけないってわかってるのに、どうしてもあなたの艶めかしい姿を想像してしまうんです」
声を震わせて、苦悩するバーナビーはよろよろとへたりこんだ。
「僕、特定の相手とも付き合ったことないし。そもそも、あなた以外こんなこと相談できる人もいない。けど、その本人に相談するのも、気が引けて。だから、朝先輩が『ならなおさらだ』って言ってくれたの、すごくうれしかったんです」
「バニーちゃん……」
「ほんと、すいませんこんな。でも、でも僕、もう、どうしたらいいかわからなくて……!」
我慢していた涙が、つ、と頬を一筋伝う。
「ご、ごめん。泣かないで」
虎徹はそっとバーナビーの目じりに手を伸ばし涙をぬぐう。
「そっか、バニーちゃんそういうの全然免疫なさそうだもんね。それでいきなりあんなの見ちゃって、身近な人間だったら混乱しちゃうよね」
や、まあ、あれはあたしじゃなかったけど。
虎徹はしゃがんで、バーナビーと同じ目線になると優しく頭を撫でた。
「まったく、こんなおばさんの下着姿で悩んじゃうなんて」
若いねえと、虎徹は苦笑する。
「気持ち悪いとか、思わないですか」
「んーん、ぜ〜んぜん。むしろバニーちゃんがちゃんとそういう感情、っていうか衝動? 持ってて逆に安心したわ」
「僕も、少し驚いています。今まで復讐することだけしか考えてきませんでしたから」
「いーっていーって、バニーちゃんも男なんだからさ、えっちなこと考えてもおかしくないのよ。むしろそれくらいの年齢だったら、いつも考えてても変じゃないんだから」
すっかり虎徹は警戒をとき、お母さんモードになってバーナビーをあやしていた。ここまで計画通りだと、反対に怖くなってしまうくらいだ。
「でも、急にこんなことになってしまって、どうしたらいいか」
「あー……、どうしたらって、そりゃ」
「昨日、あのあと勃っちゃって、つらかったです」
「バ、バニーちゃんつかぬ事を聞くけど」
「なんですか?」
虎徹のうろたえる声に、バーナビーはうるんだ瞳で小首をかしげた。まさしくその姿は穢れを知らない天使だ。
「オナニーとか、したことない、の?」
そんな天使に自分はなんてことを聞くんだろう。罪悪感が浮かぶ虎徹の表情からありありと伝わってきた。
「お、なにー?」
バーナビーは、これまでの人生で一番可愛らしいく無垢で庇護欲をそそる態度を作って、先ほどとは反対側に首をかしげた。
「え、えええと。割と、男ってムラムラしたら自分で自分のいじって処理してるんだ、けど」
「え、そうなんですか」
なあにそれ全然知らない聞いたこともない。なああんて、二十四の男がそんなはずねえだろというツッコミは、虎徹の口から発せられはしなかった。どこまで純粋なんだこの人は。「う、うん。あたし女だから詳しいことわからないけど」
そもそもバニーじゃ顔が割れてるから、ヘタに風俗とかいけないしなあ。虎徹はぽりぽりと指先で頬をかく。
「すみません、僕、友達とかそういうの教えてくれる人とか身近にいなかったので。あの、ご迷惑じゃなければ先輩、もっと教えてくれませんか」
「えっ、えええええええええ」
バーナビーのとんでもない申し出に、虎徹は昨夜証拠に服を脱げと言われたときより素っ頓狂な声を上げた。
「そういうのはアントニオとかに聞いた方が」
「いやです。二十四にもなってあなた以外にこんなこと知られたくありません」
きっぱり言い切るバーナビーに、どうしたものかと虎徹が頭を抱えた。
「それに、あなた以外に言えるわけないじゃないですか。鏑木・T・虎徹のことを考えると興奮してしまうなんて」
「お、おう……」
「で、具体的にオナニーってどうするんですか」
「ど、どう!?」
まさかの質問に、虎徹は驚きのあまり両手を右上に上げた。ああもういちいちリアクションが可愛い。
しかも、律儀に答えるあたりが彼女らしい。
「いや、うん、普通に握ってしごけばいいとおもうよ?」
「実は今、勃っちゃったんですけど」
「ええええええええええ」
虎徹は咄嗟に体を引き、尻もちをついてしまった。普段のバーナビーなら、大丈夫かと手を伸ばすところだが、現在の状況ではそうもいかない。
バーナビーはなにも言わず、うろたえる虎徹をじっと見る。碧い大きな瞳を小動物のようにうるませ、ただ、見る。
「うっ」
見捨てないで。助けて。お願い。
「うぅっ」
虎徹は倫理感と罪悪感の狭間で苦悩のうめきを漏らす。よし、ここまでくればあと一押し。
「お願いです、助けてください。見捨てないでください」
「ぅ、えっ、と」
「僕には、あなたしかいないんです」
「で、でも」
押してダメなら引いてみる。
「……そう、ですよね。いくらバディでも、やっぱり駄目ですよね。先輩は相談しろって言ってくれましたけど、さすがにこんなこと、できるわけないですもんね。僕が考えなしでした、すみません」
究極に消沈した声音と表情を作り出し、バーナビーはか細くため息をとどめについた。
「わ、わかった! わかったからバニーちゃん、そんな悲しいこと言わないで」
虎徹は慌ててバーナビーの手をとり、言った。
「え、いいんです、か?」
「いいからいいから! こっちこそごめんね。そうだよ、ね、バニーのほうが大変なのに、あたしに言うのも、勇気いったのに」
「ありがとう、ございます。ありがとうございます先輩」
バーナビーは、これまで虎徹には一度も見せたことのなかった極上の笑顔で礼を述べた。決して作り笑いではない。なにせ、本当に、心の底から嬉しかったのだから。
「あ、う、うん、そんな大げさに喜ばなくても」
案の定というかなんというか、虎徹は真っ赤になった。こんな満面のバーナビーに笑いかけられたことなど、虎徹は一度としてなかったのだから。しかも美形。すごく美形。めちゃくちゃ美形。
バーナビーは己の容姿を充分熟知している。虎徹はバーナビーの営業スマイルに敏感だ。ゆえに、バーナビーの本当の笑顔は虎徹にかなり有効と踏んだ結果、これは大成功といっていい。つられて虎徹がはにかむように笑んでくれた。彼女はもう、憐れな後輩を助けてあげられるのは自分しかおらず、それは喜びであると認識した。
バーナビーは握ったままだった虎徹の手を、そのまま腰まで持ってこさせる。
「その、じゃあ、お願いします」
「お、おう」
虎徹は恥ずかしさでバーナビーの顔から視線を外し、下を向いた。だが、バーナビーが手を離しズボンをくつろげたため、その様子をしっかり見てしまうことになってしまう。
「先輩?」
「っ、あ、うん、握る! とりあえず! こう!」
「わわっ」
怪訝そうに、青年は女を下から覗き込むようにして声をかけた。瞬間、虎徹はまだ下着を押し上げているだけだった青年のペニスを、目にもとまらぬ速さでパンツに手を突っ込み引きずり出して握りしめた。さすがのバーナビーもこれには驚く。
「あ、その、ごめん痛かった?」
「いえ、大丈夫です。ただちょとびっくりしただけですか、ら」
「よ、よかった」
虎徹は安堵したが、それはバーナビーもだった。
(よかった、萎えなくて)
いきなりの出来事にもかかわらず、未だ元気、どころか三倍くらい元気になった息子に、バーナビーは心の中で胸を撫で下ろす。その撫で下ろした胸は、虎徹に触られて動悸が激しく爆発しそうだ。
「と、とりあえず、う、動かすね?」
虎徹はなにか吹っ切れたのか、やけに積極的だ。表情と言葉は恥じらっているが、手つきにためらいがない。
「は……くっ」
虎徹はバーナビーの雄芯を手慣れた様子でしごく。
「こんなふうにしてみればいいと思うんだけど、どう?」
「す、すごく気持ち、いい、です」
虎徹の指使いに、早くも先走りが漏れ腰がうずく。予想以上だ。女の指先は、的確に男が感じる部分を心地よく愛撫した。しかも一般的な感じる箇所を漫然といじるわけでなく、バーナビーの反応をうかがいながら、どこが一番佳いか探りだしている。
「ふ、う…ぅ、あ」
息が上がる、声が出る。虎徹にしてもらっているという事実と、彼女自身の技量が急速にバーナビーを追いつめる。
もうイきそうだ、そう思った瞬間だった。
「じゃ、バニーちゃんやってみて」
「えっ」
虎徹はそう言って、あっさりと手を離した。うっかりバーナビーは素に戻ってしまう。
「えっ、て……あのね、あたしはやり方教えるだけなんだから。あたりまえでしょ」
「あ、そ、そうですね」
呆れた様子の虎徹に、バーナビーは急いで張り詰めた怒帳を握る。だが、やはり自分でするのと虎徹にしてもらうのでは雲泥の差だ。先ほどの愛撫が気持ちよすぎて物足りない。
「うーん……。そうだ、バニーちゃんちょっとごめんね」
しかめっつらになって自慰をする青年に、虎徹はなにを思ったかバーナビーを背後から抱きしめるように移動する。
「え、先輩?」
「こうしたら、うまくいくと思うんだけど。どうかな?」
「あ……」
虎徹はバーナビーの手を覆うように、自らの手を重ねる。そして、青年の手ごと漲りをしごきだした。
「うっ、ふぁ…」
「やっぱいきなり自分だと上手にできないかなって、思ったんだけど、これならいいでしょ」
「あ、はい…せんぱッア、ぁあ…」
なんということだ。虎徹はバーナビーの渋面をうまくしごけないからと勘違いしたらしい。それだけならまだしも、こうして己の手で指導してくれるなんて。
(あああもう、背中に胸おもいっきり当たってるし!)
もしこれが自分じゃなかったら、このおばさんとっくに押し倒されているに違いない。
いい匂いはするし柔らかいし、耳元でしゃべられるし息がかかるし、体温あったかいし……この無自覚天然えろえろおっぱい未亡人め!
バーナビーは自身の理性を保つため、あらんかぎりに虎徹を罵倒した。その間にもあつい熱を解放させようと女の手がしごいてくる。先走りと互いの手のひらの隙間が混ざり、ぬちょぬちょといやらしい音がはじける。
「あ、もぅ…」
「え、ちょ、ちょっと待」
「――ッ!」
虎徹の制止より先に、バーナビーは吐精した。びゅくびゅくと勢いよく白濁が手と被服、そしてシーツを汚す。
「あー……」
やっちまった、と虎徹が背後で脱力した。
「バニーちゃん、射精するときはティッシュとかなんかで覆うようにしないと」
「すみません、気持ち良すぎちゃって」
「いや、うん、今のはあたしの配慮も足りなかった」
そのまま動かないで、と虎徹はバーナビーから離れベッドサイドからティッシュボックスをとってくる。
「ちょ、ちょっと! さすがにそれは自分でしますから」
てっきり虎徹がティッシュだけ差し出してくると思っていたバーナビーはたじろいだ。虎徹は自分の手でバーナビーの粗相を拭きだしたのだ。
バーナビーの当惑したいたたまれない声音に、虎徹は面をあげた。目があった虎徹は無表情、かと思いきや青年の慌てふためく真っ赤な表情を見て、ニタァと口角を釣り上げた。
「せ、先輩……?」
バーナビーは今、表情を作ることはしていない。全て心からのものだ。といっても虎徹は騙されやすいくせに、バーナビーの無理や営業スマイルはほぼ見抜いてしまう。万全を期して、バーナビー自身なるべく気持ちに沿うように行動はしている。しかし、まさか、まさかオナニーしたことないなんて嘘だって、最初からバレていた!?
動転し硬直するバーナビーを見上げる虎徹の表情からは、そうとしか読み取れない。
「バニーちゃん」
「は、はいっ」
怒られる! ぎゅっと目をつむったバーナビーに、しかし次にかけられた言葉は予想外の出来事だった。
「かーわいいなあもう」
「……へ?」
ぽかんと、美形を自覚している者にはあるまじき表情を浮かべて、青年は間抜けな声をだす。
「いやー、ごめんね」
謝罪されて、頭を撫でられた。バーナビーは事態が飲み込めず、まだ呆けた表情を浮かべたまま。
「かわいいとか、思っちゃいけないんだけど、普段クールなバニーちゃんがが真っ赤になったり必死になったりしてさ、うん、それがやっぱかわいくてさ」
「えっと……?」
「こんなことするのはどうしようかと思ったけど、やっぱよかったわ、バニーちゃんのこと突き放さなくて。改めて謝るけど、最初びびっててごめんね? かわいいと思われるのは不服かもしんないけどさ、なんかふっきれたつーか、あたしちゃんとバニーのこと受け止められるって、思う」
「先輩、それって」
まさか、そんなまさか?
バーナビーの見開かれた目が、碧くうるむ。
「頼ってもらえて嬉しいよ『相棒』」
虎徹は、極上の笑みでトドメを刺した。
ええ。ええ、ええ、ええ! えーえーそうでしたね、そうでしょうね! あなたそういう人でしたね!
「あたし、大丈夫だから。安心して。絶対バニーちゃんを裏切らない」
だから今みたいな恥ずかしいことだろうと、相談してほしいと、まるで母のような慈愛に満ちた態度で頭を撫でられて、バーナビーの心はどす黒く染まった。
(じゃあ、俺が裏切ったら虎徹さん、あなたどうするんだ)
バーナビー・ブルックスJr.は鏑木・T・虎徹を手に入れたい、それだけ。
「はい。ありがとうございます、先輩」
バーナビーも、同じく極上の笑顔で応える。作り笑いじゃない。だから、この人は見抜けない。
あなた、僕が裏切っても、変わらずそう言って頭を撫でてくれますか?


TIGER & BUNNY > 兎虎 >
Genethliacon
(2011/10/30)
バニー誕生日本。犯罪組織を倒すため、バーナビーは自分の誕生日パーティーを囮にすることを提案する、他1編。空白の26歳と、復帰後の27歳の物語。柚さんと合同誌。
【R18/A5/52P/¥500】- 書店:K-BOOKsとらのあなリブレット
1
一九七八年十月三一日

もうすぐ日付が変わる。
バーナビーはすっかりとっ散らかった部屋を見渡した。
ビールの空き缶、シャンパンとワインの空き瓶、ピザの外箱に、オードブルが少し残った皿。そして、ホールケーキの残骸。
その中に気持ち様さそうな寝息をたてて、まるで食べ残しみたいに虎徹が転がっている。
「僕の誕生日祝いなのに、僕が片付けさせられるなんて」
おおいに嘆息して、バーナビーは部屋を掃除し始める。
バーナビー・ブルックスJr.が、ワイルドタイガーこと鏑木・T・虎徹とヒーロー初のコンビを組んで、一年と一ヶ月。
一度目の誕生日は、虎徹が提案したサプライズ。
虎徹からはポイントを、仲間達からは兎のぬいぐるみをもらった。
あのころは、無遠慮に人の心を荒らす虎徹が酷くうっとおしくて、なのにそれを少し嬉しいと感じてしまった自分が嫌で、ますます虎徹を拒絶しようとしていたっけ。
二度目の誕生日、つまり今日は虎徹が普通に祝ってくれた。
名前入りのプレートを乗せ、年齢分の蝋燭を挿したホールケーキなんて二十年ぶりだ。いい歳をしてと思ったものの、それでも純粋に嬉しかった。
虎徹が、心からバーナビーの誕生日を祝ってくれたということが、もうそれだけで嬉しかった。
一年前とはえらい違いだ。
形として残るプレゼントは今回も贈られなかったが、祝ってくれたその気持ちだけでバーナビーは満足だった。
「虎徹さん、寝るならベッド行ってください。片付けの邪魔です」
「んー……」
青年は眠る男を揺さぶる。うっすらと目を開けたものの、虎徹は起きようとしない。
「もう、また。仕方ないですね本当に」
こうするのはもう何度目か。バーナビーは酔いつぶれた虎徹の腕をとり肩にまわすと、ずるずると引きずるようにして男を隣の寝室へ運ぶ。
虎徹は市長の息子を預かってから、よくバーナビーの部屋に酒盛りをしに来るようになった。そして、頻繁にこうして眠ってしまう。最後まで起きて片づけを一緒にしてくれるのはまれだ。
虎徹いわく『いや、俺ちゃんと片付けようと思ってるよ。でもバニーんちキレイだし広いし夜景最高で、つい飲みすぎて気持ち良くそのまま……ってなっちまうんだよな〜』だそうであるが、なんという言い訳だ。
翌朝、必ずバーナビーは虎徹を叱るが、そうやって次にきちんと起きて片づけてくれたためしがない。
(ぶん殴ってでも起こさない僕が悪いのかもしれないけれど)
バーナビーにとって、虎徹の無防備な姿は信頼と一緒だった。まあ、このひとの場合、相手が誰であってもそうするだろうけれど。でも、そんな態度をあなたにはとれますよ、と示してくれることに違いはない。
バーナビーは、それを同じ寝台に眠ることで応えた。
不本意ですが仕方ありません。一つきりしかないですし、広いからやむなく寝かせてあげているだけです。
虎徹は、きちんとわかってはいないだろうが感覚的には理解はしているはずだ。
そういうわけで、今晩もバーナビーは虎徹をベッドへ寝かせる。一旦リビングに移り、すっかり片付け終わって眠る支度をしてから、バーナビーは寝室に戻った。
バーナビーはベッドの横に立つと虎徹を見下ろした。
今日までは、そうやってお互い態度で信頼を示してきた。バーナビーと虎徹はいいコンビだった。
けれど。
バーナビーはそっとベッドに乗ったが、最高級のスプリングは弾力を返して虎徹の躰を揺らした。
バーナビーの心が、その何倍も揺れる。
揺れるな。揺れるな。揺れるな。
しずまれ鼓動。あがるな息。どうか平静を。
「虎徹さん」
震える指先で、健やかに休む男の頬を撫でた。反応はない。バーナビーは虎徹が決して起きないことを確信する。
確信しても、鼓動は早鐘を打ち震えが止まらない。荒くなる呼吸を必死に押さえつけ、少しずつ虎徹の顔に近づく。
意外と長いまつ毛。
鼻腔をくすぐるプールオムのラストノート。
手のひらから伝わる、頬の熱ときめ細やかな肌の感触。
今ならまだ引き返せる。
今ならまだ間に合う。
今ならまだ。
耳の奥にぜいぜいと呼吸音が障る。脈がどくどくと早鐘を打って、からからに喉が渇いてる。ごくりと唾を呑み込んだ、中途半端に張り付いた粘膜が痛い。
後戻りなど、できなくてもいい。後悔はしない。絶対に。
決意し、もう一度喉を鳴らして喉を潤す。
発音は明瞭でなければならない。声量は小さくなければならない。聞き間違いなどと思わせてはならない。
ゆっくりと深呼吸をする。吐き出す息に想いを乗せた。
「好きです」
バーナビーは越えてはいけない線を、越えた。
虎徹の唇に触れるか触れないかのキスをする。
ほんの一瞬、かすかにしか合わせなかったというのに、燃えるように唇が熱い。熱は即座に拡散する。
顔が熱い。首が、胸が肩が、腕が腹が腰が、背が腿が脛が足先が。
とうとう溢れ出てしまった気持ちが、躰を焼き焦がす。
静かに目蓋をつむり呼吸をする虎徹の顔を間近に見下ろして、バーナビーは男の頬から手を退かせる。
名残惜しそうにゆっくり体も離し、一回半は寝返りせねばぶつからない、ほぼ端っこに寝転んだ。熱い躯にシーツが冷たい。暴れ出しそうな熱を無理矢理押さえつけて、バーナビーは眠りに落ちる。
まるで、何事もなかったかのように。
明日からも、二人はバディだ。





2

『黙れ! 二度とワイルドタイガーの名を穢すな!!』
バーナビーを二度と悲しませたくない。
その気持ちの本心は、悲しむバーナビーを見たくないという、むしろ自身の感情だったことに虎徹は気付いてしまった。
失ってから初めてわかるというのは、陳腐で使い古された理論だとわかっていても、まったくその通り過ぎて言葉もでない。
隣にいるのが当たり前になっていた。十年間も独りでヒーローをしていたのに、たった一年ちょっと一緒にいただけの相手へこんな感情を抱くようになっていた。
バーナビーの記憶が改竄されて感じた、胸の痛み。ジェイク戦の前に投げつけられた信じてくれなかったのかとう言葉よりも、何倍も鋭く胸を引き裂いた。
離れたくないのは自分のほう。
一緒にいたいのは自分のほう。
バーナビーといられないことに、耐えられない。
だから自分から離れた。
もう二度と、失って悲しみたくないのだ。
想いを通わせた歓びより、捨てられてしまうかもしれない恐怖が勝る。
なんて臆病な自分!
しかも、卑怯だ。こうして無為の日々をすごすことが、酷く虚しい。なのに自分からはなんの行動も起こさず、こうしてふてている。
逢いたい。
バーナビーに逢いたい。
彼は今、どこで何をしている?
この半年、連絡もなければテレビや雑誌といったメディアにもバーナビーは一切登場していない。一般人となったからにはそれは当たり前だが、世間がバーナビーをほおっておくほうが難しいことを虎徹は知っている。現に、引退した虎徹へバーナビーと共に取材させてほしいという依頼もいくつか届いている。しかも必ずバーナビーを説得して欲しいという文言付で。
彼は再び殻をまとってしまったのではないか。
復讐と、ヒーローを取り上げて、バーナビーはどうするのだろう。
なのに、どれだけ心配しても虎徹は自ら連絡をとることはしない。できない。
もし、本当にバーナビーがまた閉じこもってしまったようなら助けたい。しかし再び彼に手を差し伸べることは、弱みに付け込み永遠にバーナビーを捕えることになってしまう気がしてならない。
ようやく、彼は自分の人生を歩むと決意してくれたのに。
失うことを怖れる虎徹には、過ぎた誘惑だった。手を差し出して、バーナビーが二度と離れないようにしてしまえる。彼が立ち直り、虎徹の手を離してしまうことは耐えられないだろう。
バーナビーを助けたい。それは純粋な想い。しかしそれ以降は不純。
喪失の痛みを伴いたくない。己が身の可愛さに相棒を助けに行けない自分に反吐が出る。


そんな日々にバーナビーから一通のメールが届いた。
件名もない、短い本文。読むなり虎徹は後先考えずシュテルンビルドへ向かった。
そうだ、うだうだ考えることなど、性に合わない。
たとえ選択した行動の先にさらなる孤独と喪失が待っていようとも、求められればその手をとる。
バーナビーから届いたメールにはたった一言。

『助けてください、虎徹さん』





3

一九七九年十月

帽子を目深に被った人物相手に、高級ホテルのフロントスタッフは警戒したが、名前を告げたとたんいかにもほっとした表情を見せた。
鏑木・T・虎徹。去年のサマンサ・テイラー殺害事件に端を発した一連の騒動で、ワイルドタイガーの本名はシュテルンビルド中に知れ渡った。元ヒーローの来訪に、スタッフは恭しくこうべを垂れる。
「バーナビー様のお部屋へご案内いたします」
ホテルマンを紹介されて、虎徹は絨毯に足の埋まる慣れない廊下を歩く。こちらへ来るまでの間に、虎徹は何度かバーナビーから行先変更のメールを受け取っていた。
「バニー、俺だ」
こちらのフロアです、とホテルマンと降りたエレベーターの先の扉に、虎徹は呼びかけドアホンを鳴らす。
(部屋じゃなくてフロア丸ごとかよ……)
エレベーターはVIP用特別区画からの直通だった。窓もないのでここが何階かはわからないが、最上階かほぼそれに近い階だろう。
「虎徹さん!」
「うお!?」
そんなことをぼんやり考えていたら、扉が突然開きバーナビーが抱きついてきた。中の物音はまったくしなかった。どれだけ気密性が高いのだ。
「なに驚いてるんです。気配も察知できなかったんですか?なまりりましたね」
「おまえ相手に構えてどーすんだよ」
別になまってなんぞいないと、虎徹は拗ねたように返す。
よかった、久しぶりに会ったバーナビーは変わっていなかった。お互い乱暴に、回した腕で背を叩く。
「どうぞ、中へ入ってください」
バーナビーに先導されて虎徹は玄関と呼んでも差し支えのない入口をくぐる。案内を終えたホテルマンは控えめに挨拶して退出した。
「おおっ、すっげーな!」
大理石の玄関部分を抜けると、これまた足首まで埋まりそうな絨毯の敷かれた廊下が続き、左右に扉がいくつも並ぶ。最奥の扉が開かれると、シュテルンビルドの大パノラマが広がっていた。
「口、開いてますよ。いくら僕相手だからって、そんな間抜け面晒さないでください」
「仕方ねえだろ。おまえんちより広くて窓もでかくて高いんだから」
バーナビーに逢うために、わき目もふらず大急ぎでやってきた虎徹は、久しぶりのシュテルンビルドの光景に改めて感動していた。昼なので夜景のきらぎらしい美しさはないが、人の生活の営みを感じることができる。
広告を流す飛行船、プレートを走るモノレール、三つの階層には、小さくとも人々がうごめいている。
十年以上守ってきた、街。ウロボロスとヒーローによって演出されていた仮初の守護だったとしても、やはり感慨深いものがあった。
「どうぞ」
「お、わりいな」
思いのほか長く外を眺めていたらしい。値段を聞いたら味が分からなくなりそうなコーヒーカップをバーナビーがテーブルの上に置いた。虎徹はスプリングの抜群にきいたソファに腰を下ろし、遠慮なくドリップされたコーヒーを飲む。砂糖の数もミルクの量も、バーナビーは忘れてはいなかった。
バーナビーも、虎徹の向いに腰を下ろすと一口すする。
「で、どうしたんだ急に。何カ月も音沙汰なくていきなり助けてくれだなんて」
「何カ月も音沙汰がなかったのは、虎徹さんも一緒でしょう」
ふっと皮肉気に発せられたバーナビーの言葉に胸が詰まる。
「それはその……悪かったよ」
「おや、素直に謝るなんて珍しいですね。あ、でも僕は謝りませんよ。外部との関わりをなるべく遮断する必要がありましたから」
「バニー、それどういう」
まさか、やっぱりこの一年近くずっと閉じこもって……。
虎徹は後悔した。我が身かわいさにバーナビーと距離を置いたことに、酷い罪悪感を覚える。
「あの、なにか勘違いしてません?」
眉根を寄せた男に、背年が呆れたように言った。
「僕は今までウロボロスのことを引き続き調べていたんです。あいつらにとってバーナビー・ブルックスJr.は要注意人物ですからね。一般人、しかも能力が減退したあなたに頻繁に連絡を取っていたら、あなたが危険に晒される。ええ、むしろ虎徹さんのことですから、毎日『なーなーバニーちゃん今日なんかあった? つか俺んちのキャベツが収穫されたんだけど送ろうか』とか、くだらない電話だかメールだか、してくると思ってて、それをいかにやめてもらおうか悩んだんですけどね。ぜんっぜん連絡よこさなくって、助かった反面拍子抜けですよ。僕の悩んだ時間返してください」
「それ逆恨みだろ……」
てゆーかなんで俺んちの畑にキャベツ生えてること知ってんの。突っ込めば、おや本当に生えてたんですかとバーナビーは素で驚く。なんだか急におかしくなって、虎徹は声をあげて笑った。つられて、バーナビーも同様、声を出して笑う。
バーナビーの笑顔が見れた。ほんの、たったそれだけのことなのに虎徹はなんだか泣きたくなってしまった。久しぶりに見た、バーナビーの屈託のない笑み。見ているだけで心が満たされるなんて。
「ちょっと、虎徹さん笑いすぎですよ」
目じりに浮かんだ涙を、バーナビーが目ざとくみつけて憤慨した。バーナビーはからかわれることは好きではないので、こうやって目くじらをたててきたのだろうが、事実を知ったらどうなるだろう。
(ばーか。教えてやるわけねえよ)
瞬時に打ち消して、虎徹は口元をただした。
「話戻すぞ。なにがあった」
「単刀直入に言えば、僕、狙われています」
「ウロボロスか?」
「いいえ」
狙われているのは予想通り、ウロボロスでなかったのは予想外。虎徹はバーナビーに説明をうながす。
「僕は顔と名前が出ていますから。家族は……近しい人ももういませんので、僕自身が標的になりました。最初は先々で事故が起こったり、運が悪いなと思う程度でしたが、先日爆弾がマンションに送り付けられてきました。無事解体はできたので事なきを得ましたけどね。そしてアポロンメディアに犯行予告が送られてきました。『レヴィアタン』、覚えていますか? 去年の夏頃潰した、シュテルンビルドに手を伸ばそうとしてきた組織があったでしょう」
「あー……。つまり、そこからの報復?」
「ええ。外部組織はウロボロスにとって邪魔ですからね。早々に僕らに叩き潰させた。そしてウロボロスの支配力が弱まった今、やつらは真っ先に僕に狙いを定めた」
僕を刈り取ることができれば、ウロボロスの支配力が弱まったことを世界中に知らしめることができますからね。
「きたねえな」
虎徹は心の底から嫌悪の表情を浮かべる。
バーナビーは、いうなればウロボロスの申し子だ。マーベリックの描いたシナリオで最高のショーを演じ続けた、美しい操り人形。
バーナビーが望むと望まざるにかかわらず、彼はウロボロスとヒーローTVの暗部の体現であり、彼が潰えるということはウロボロスの力がすでに及ばないことを示す。
「ええ、本当に。僕はある意味ウロボロスによって守られてきた。皮肉ですよね。他の犯罪組織から街を守るために、ウロボロスの権威をまずは守らなければならないなんて。しかも、それは僕自身の身を守ることと直結している。ウロボロスはこの街と表裏一体です。ここ数カ月調べて、僕はその強大さと巧妙さに震えましたよ。僕はウロボロスを滅ぼしたい。しかしウロボロスが消えた穴は……また別の犯罪組織が埋めるでしょう」
「考えすぎるな、バニー。まずはレヴィアタンを退ける、おまえを守ることが先決だ」
腿の上に肘を乗せ、両手を祈るように組んでいたバーナビーは、その手に額をすりつけて悲痛にうめいた。虎徹は立ち上がると、そっとバーナビーの肩に手を置く。
「そう、ですね。すみません。とにかく宣戦布告されたからには受けて立つということで、司法局とアポロンメディアに協力していただくことになったんです」
「えっ、そうなの」
虎徹は、てっきりバーナビーは一人で抱え込んで、でもどうしようもなくなって自分に助けを求めてきたと思っていた。それだけにひどく肩すかしをくらった。
え、なにそれ俺ってじゃあなんのためにここに来たの?
「現在、身元が割れているヒーロー、元ですけれど、それは僕と、虎徹さんあなただけだ。僕のバディであったあなたにも危険が及ぶと考え、ここに来てもらいました」
「っ、な、俺に、って」
虎徹は一気に血の気が引いた。自分に危害が及ぶことに対してではない。母と兄と、そして娘にまで危険に晒されるかもしれないからだ。
「落ち着いてください。だから僕はあえて情報を流すことにしました。レヴィアタンが虎徹さんの家族に行きつく前に、シュテルンビルドにワイルドタイガーとバーナビー、両元ヒーローがいると」
これで真っ先に僕らが狙われますから、安心してください。
バーナビーはさらっと恐ろしいことを言ったが、これくらいの危険日常茶飯事だ。
虎徹はほっとして、大げさに肩を落とす。
「なんだ、そうだったのか。って、最初からそう言ってくれよ。すっげえ心配したじゃねえか」
「ええ、心配してください。別に、全然まったく一年近くも連絡よこさなかったこと、僕から連絡させたことなんて、これっぽっちもみじんこも! 気にしてませんから」
バーナビーは言った。見るものが震えあがるような、極上の笑顔でだ。虎徹は戦慄した。
(やばい。バニーちゃん怒ってる。超超超めちゃくちゃ弩級に怒ってる)
「ごめんなさい。俺が悪かったです」
今にも土下座せんばかりの勢いで、虎徹は腰を折り頭を下げた。
「はあ、そうですか。虎徹さん謝ってすむと思ったんですか、その程度ですか。ショックですね」
「な、なんでも言うこと聞くから!」
頭上に降り注いだバーナビーの冷たい声に、思わず虎徹はそう言ってしまっていた。気付いて面をあげると、そこには酷く凶悪な笑みを浮かべる元KOH。こんな顔、とても視聴者には見せられない。
「言いましたね。その言葉、忘れませんよ」
ひとまずはバーナビーの機嫌が直ったことに感謝しつつ、虎徹は新しい危機に陥ったことをそっと心の中で嘆いた。
「さて、事情を説明したところで、今後のことについてご相談なんですけれども」
バーナビーは足をくむとソファにふんぞり返った。もうどこをどうひっくり返せもしない。バーナビーの天下だ。
「虎徹さん、今能力どれくらいききますか?」
「最近発動してないから正確な数字はわからねえけど、だいたい一分ってとこだ」
「……思ったより短いですね」
虎徹の能力発動時間を聞いて、バーナビーは瞠目する。無理もないだろう。去年あのアンドロイドと戦ったときは、まだギリギリ三分持っていた。
「んー、でもな。なんつーか下げ止まったつうの? 一分は切らないみてえなんだ」
「そうですか。わかりました。大丈夫です、一分もあれば上等ですよ」
そうでしょう、ワイルドタイガー?
バーナビーに挑発的に見つめられて、虎徹は鼻で笑うともちろんだと答える。
「で、レヴィアタンどうにかするって……司法局とアポロンメディアに協力してもらって、具体的になにするんだ」
男の疑問に、青年はよくぞ聞いてくれたと最高のイタズラを思いついた子供のように、碧い瞳を光らせて答えた。
「僕の、誕生日パーティーですよ」



TIGER & BUNNY > 兎虎 >
あたしの相棒にヒーロー辞めるってったら「虎徹さん愛してます、結婚して下さい」ってプロポーズされた。
(2011/11/20)
あたしの〜シリーズ完結編。タイトル通り大団円。今までよりはラブ度が高めです。前半若干バニーちゃん病み気味ですがいつものことだった! 今までバニーをどう想っていたのか虎徹側の心情もあります。
【R18/A5/28P/¥300】- 書店:とらのあなK-BOOKs快適本屋さん


じゃあ、俺が裏切ったら虎徹さん、あなたどうするんだ。

ワイルドタイガーとバーナビーはバディだ。
二人は相棒を信用し信頼し背中を預けた一蓮托生、二人で一人、別ち難く離れることは出来ないと誰もが認識している。
彼等の仲はとても親密であり、男女であるがため付き合っていないというほうが、むしろおかしいくらいだ。実際、下世話な記者がときどきそういった質問を投げかけてくることがあるが、ワイルドタイガーもバーナビーも清々しいほどきっぱりと否定する。
『あたし達は/僕達は、バディです』
いっそこちらが赤面するほどワイルドタイガーとバーナビーは仲睦ましい。なのにお互い恋愛感情は持ち合わせていないという。
恋愛感情ではなくそれよりももっと大きい感情。ただ相手が大好きで、二人でヒーローをしていたい。そんな気持ちでいるのだと――。
(思っているのは、虎徹さんだけだ)
バーナビーは大きく嘆息して、自室の大型モニタの電源を落とした。
録画したワイルドタイガー&バーナビー特集のヒーローTVを見終わり、バーナビーは酷く苛立っていた。いや、心がかきむしられるような感覚でいえば苛立つに近いが、切なく締め付けられるようでもある。我ながら感傷的な表現だが、とにかく、そう、苦しい。
自分は徹底して虎徹に対し『僕はあなたのバディです』と言い続けてきた。キスとセックスはしない他は、まるで恋人のような態度でバーナビーは虎徹に接してきた。手をつないで買い物をしたり、一緒にお風呂に入ったり、ベッドで眠ったりもできる……いや、これは恋人なんかじゃあない。
(小さな子供と、その母親だ)
確かに、虎徹と始終一緒にいられることは嬉しい。だが一緒にいればいるほど、バーナビーのほの暗い欲望の炎が燃え上がる。
もう、頭の中で何度虎徹を犯したか知らない。
『あっ…はんっ、あっアア!』
『っや、ぁ…だめッ……ばにーちゃ…』
『……も、ぃく、いちゃ…ああんッ』
虎徹の顔を見るたびに、十カ月前に抱いた淫らな表情と嬌声が蘇る。気が狂いそうだ。
いっそ、あれは幻だったのではないかと。そう思えればどんなに楽だろう。あそこで虎徹を抱いていなければ、まだチャンスはあったのではないかと。彼女を手に入れたいがために、目先の欲に焦ってしまったことを、酷く後悔する。
虎徹のことだ、おそらく今でもバーナビーの求めを拒否はすまい。だが、所詮は躰だけの関係だ。
(僕は、あなたの心ごと欲しいんだ、虎徹さん)
抱くまでは、躯だけでいいと思っていた。
抱いてからは、心も欲しかったのだと気づいた。
なにが『躰だけでいい』だ。そんなの、彼女を手に入れる自信がない言い訳じゃないか。彼女の心を亡くなった夫から奪う気概もないくせに、彼女が人のものであったということに傷ついた、幼稚な嫉妬心に苛立っていた。
なんて愚かなバーナビー・ブルックスJr.!
今更気づいたって遅い。彼女は、もうこちらを恋愛対象外にしか見ていない。なにより、自分自身が彼女との関係の変化を恐れている。
屈託ない笑顔で「バニーちゃん」と呼ばれる歓びは何にも替え難かった。
――いっそ、狂ってもいいかもしれない。

§   §   §

「あ、バニーちゃんオハヨ。ね、今日の撮影また水着ってマジ? もういい加減秋だってのに、懲りないよね〜」
出勤してきた虎徹がチェアに座りながら挨拶をしてきた。
「おはようございます、虎徹さん。仕方ないでしょう、仕事は仕事です。それに僕、嫌いじゃないですよ」
虎徹さんの水着姿。
言って、バーナビーはにこやかに隣の虎徹を見た。
「やっだー、もうバニーちゃんてば! おばさんになに言ってんの」
見苦しくない程度には鍛えている自覚はあるが、やはり同じ体型なら若くて可愛いグラビアアイドルのほうが、よっぽどいいではないか。
虎徹はいつも、そう言ってバーナビーの意見を1笑に付する。
「そりゃあね、あたしもKOQだったときは、すごかったよお? ま、あんまオファー受けなかったけどね。旦那いたし。それに今は、そういうことにはブルーローズがいるじゃん。結局あたしはバニーちゃんのオマケなんだって。ちゃんとわかってる」
わかってないのは虎徹さんのほうだ!
荒げそうになった言葉を、ぐっと飲み込む。
「そんなこと。僕達二人でコンビの、ヒーローじゃありませんか」
「ふふ、ありがとうね」
虎徹はくすぐったそうに笑うと、PCに視線を戻した。会話はこれで終わりだ。
その、笑顔が愛おしい。思わず抱きしめてしまいたくなってしまう。と、同時に無知に憤った。グラビアアイドルのほうがいい? バーナビーのオマケ? 馬鹿なことを。それこそ一笑に付してやりたい。
あなたがどれほど魅力的な人間か!
顔出しのバーナビーとコンビになって、ワイルドタイガーのスーツ無しの露出が増えてからというもの、彼女の人気は二次関数並に膨れ上がった。
屈託のない、親しみやすい笑顔。無条件に差し伸べる手。鍛え抜かれた豊満な肉体。正義馬鹿で単純そうなところも男心をそそるのだろう。
(僕が一体、あなたを性的に見る男共をどれほど牽制してきたか知らないだろう)
女性誌にバーナビーと虎徹の水着姿が載っても、男性誌に載ることはない。だから勘違いをしているのかもしれない。実のところ、ワイルドタイガー単体での男性向グラビアオファーは、毎日腐るほど届いているのだ。そしてその全てをロイズがはじいている。ブルーローズと違いワイルドタイガーでは、虎徹では強力過ぎてセクシャルアピールをアイドルというプロモーションで包み隠すことが出来ないのだ。
彼女は自身を客観的に判断しているが――自身のプロポーションの良さは知っている――、しているだけでそれがどんなふうに周囲に受け取られているかなんて、まったく考えていない(もしかしたら、彼女のヒーロー像に相応しくないため、無自覚に考えないようにしているだけかもしれないが)。
『はあ? だって見ればわかるじゃん、あたしのカードはあんたみたいに馬鹿売れしてないし。……前よりはマシだけど』
一度だけ、あなたも人気のヒーローなんですもうちょっと自覚、というか自重してくださいだか、言ってしまったことがあったとき、虎徹にそう返されたことがある。
当たり前だ、ヒーロースーツはワイルドタイガーの生身ではない。他のグッズ展開も、ワイルドタイガーはスーツのみだ。虎徹の水着姿の載った女性誌を男性がこぞって買っていくことなど、知らないのだろう。ちょっと工夫して検索すれば、匿名掲示板やSNSでワイルドタイガーへ卑猥な妄想を抱いている男共の、欲望に満ち満ちた言葉が溢れている。
(ああもう、ほんっとこの無自覚お色気鈍感未亡人が!)
バーナビーは頭を抱えた。一日最低三回は、虎徹をこうして罵っている気がする。
「バ、バニーちゃんどうしたの?」
すると、唐突に頭を抱えたバーナビーへ、虎徹が心配そうに声をかけてきた。しまった。うっかり虎徹の前で無様な姿をさらしてしまうなんて。
バーナビーはすぐさま心配ないと笑いかける。
「いえ、確か今日オープンだったベーグル屋で昼食を買おうと思ってたんですが、それを忘れて出勤してきたことを思い出しただけです」
「あっはは、バニーちゃんでもそんなかわいいミスするんだあ。いいじゃん、いつもみたく一緒に食堂行こ」
虎徹が笑いかける。幸せ。幸せ。苦しい。幸せ。苦しい。
苦しい。苦しい苦しい。苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい。
胸が引き裂かれそうになりながら、笑顔でもって返す。
「はい、ぜひ」
それでも、笑わなきゃ。好きだから、笑わなきゃ。心配かけたくないから、笑わなきゃ。あなたの笑顔が見たいから、笑わなきゃ。
なのに、笑ったのに、あなたの表情から笑顔が消えてしまった。
「……ねえ、バニーちゃん。本当に大丈夫?」
「――え、」
ぎくり、と、して、心臓が跳ねあがる。ああ、そうだった。このひとは嘘笑いに敏感だったんだ。
どうしよう。どうしよう。どうしようどうしよう。
嬉しい。
わかってくれて、嬉しい。
憎い。
それなのに肝心のことはわかってくれなくて、憎い。
「ちゃんと、あたしを頼ってね、相談してね。最近苦しそうだよ。やっぱりご両親の研究のことが、」
「ありがとうございます、ええ、そうなんです。まさかあんな形でアンドロイドが開発されていたなんて。でも、これは僕の心の問題だ。悩んだって……始まらない」
「バニーちゃん……」
虎徹はきゅっと表情を辛そうに歪めた。
どうして。あなたはそう自分のことのように胸を痛める必要はないのに。でも、それが嬉しい。
バーナビーは、ふっと唇を緩ませる。今度の笑みは、心からだ。虎徹は気付かない。
「ありがとうございます、虎徹さん。あなたにそうやって、想ってもらえるだけでも僕は少し気が楽になる。そうだ、今晩うちに来てくださいませんか」
「えええ、またあ? 三日前行ったばっかりじゃない」
言葉とは裏腹に、虎徹はまんざらでもなさそうに言う。
「本当は毎日だって来てもらいたいくらいなんですけど」
「そうやって夕食と朝食の面倒全部押し付ける魂胆? ずるい子」
虎徹はにっと口角を上げて、こちらへ腕を伸ばす。彼女が次にとる行動は予測できた。しかしバーナビーは逃げなかった。女の深爪気味の指が、青年の整った鼻梁を緩くつねる。
「あ、ばれちゃいましたか」
鼻声でバーナビーが降参すると、虎徹はけらけらと笑いながら指を引っ込めた。
虎徹に触れられた箇所が、熱を持つ。胸が高鳴る。赤面してしまってはいないだろうか。幸福と不安がぐるぐると頭をまわる。
「仕方ないなあ。行ってあげる。夕食なにがいい?」
「ロールキャベツで」
「おっけー、とびきり美味しいのつくったける」
「期待してますよ」
バーナビーのマンションは、料理などオーダーすれば専属のシェフがついているのですぐにでてくる。だがそんな野暮なことは言わない。お互いわかっていて、やりとりを楽しんでいるに過ぎない。
「おっほん」
そのとき、二人の前のデスクからこれ見よがしな咳が聞こえてきた。しまった、ついもう一人の存在を忘れてしまっていた。虎徹とバーナビーはバツが悪そうに仕事に戻る。
二人の世界に入りすぎると、こうしてときどき同室である経理の女史に仕事をしろと注意される。さいわい、女史はロイズには言っていないようだが、あまり過ぎれば報告が行くだろう。気をつけなければ。
こうしてずっと、虎徹とヒーローをしていたい。
ささいで、くだらなくて、けど幸せな。バーナビーに、それを崩す勇気などなかった。

――両親殺しの犯人が、ジェイク・マルチネスではないと、知るまでは。





例えるならば、復讐だけしか考えて生きてこなかった僕に、あなたは彩りを与えてくれた。
そこで初めて、今までモノクロの世界にいたことがやっとわかった。
カラーの世界は美しい。
美しすぎて、苦しい。
あなたが好きすぎて苦しい。
そこに、またモノクロが来た。ぐちゃぐちゃに混ざる世界。
汚れてしまう。美しい、あなたが。
虎徹さん。
わからないんです。記憶が、
どうして、あなたが僕の両親を撃ってる
僕も
  炎に包まれて
記憶が    焼ける
   どうして    僕 が、

「――ッ!!!!」
バーナビーは声にならない悲鳴をあげた。
夢と現実が混ざる。ぐしゃぐしゃの視界。ちらつく炎の影。
「バニーッ」
すると、温もりが体を覆い、急速に現実感が戻る。
自分の家の、ベッドだ。クリームの入院していた病院から一緒に帰って、それで、虎徹と一緒に眠って。
「虎徹、さん」
抱きしめてくれた、その背に青年も手を回そうとした。
「大丈夫……じゃないよね、とってもうなされてた」
すごい汗。
そう言って、タオルをとりに行こうとした虎徹をバーナビーは止めた。
「ちょ、バニーちゃん苦しい」
「汗臭いかもしれませんけど、しばらくこのままで」
「……うん。でもちゃんと後で拭きなさい。臭いとかじゃなくて、風邪引いちゃう」
「はい」
ちらりと時計を見れば、まだ四時前だった。夜明けすら遠い。五分ほど女の体温を堪能してから、バーナビーはようやく相手を解放する。
「すいません、落ち着きました」
「いっそもう一回シャワー浴びてくる?」
「そうします」
ずるずるとだるい体を引きずって、シャワールームへ。熱い湯を浴びると、少しだけ頭がすっきりしてきた。
虎徹が、自分が犯人のわけがない。二十年前の出来事に、今の姿かたちのままのはずがない。
だが、つまりそれは今まで抱いていた記憶そのもの、全てが嘘であるかもしれないということでもある。
最悪の気分だった。傍に虎徹がいなければどうにかなっていたに違いない。
彼女がいるだけで、自分はこんなにも、ほら、まだ、大丈夫だ。大丈夫。大丈夫なんだ。
「おかえり、はい」
「ありがとうございます」
寝室へ戻ると、虎徹から冷蔵庫から取り出してきたペリエを渡された。虎徹にとっては、もう勝手知ったる相方の家といったところか。別に、気にくわないわけではない。
「ね、明日、っていうか今日さ、その二十年前のバニーちゃんの軌跡、たどってみない?」
「え?」
「バニーちゃんのご両親が殺害される前までの、バニーちゃんが行った場所とか、やったこと、私達で再現するの」
そうしたら、記憶、ちゃんとするかもしれない。
虎徹の提案に、バーナビーははっと息をつめる。
「そしたらなんかの拍子に、犯人の顔思い出すかもしれないじゃない。どう? もちろん、ツラいんならやめ」
「いえ、やります」
「ん。そか。じゃあもう寝よう、ね?」
言い終わるのを待たず了承したバーナビーへ、虎徹は包み込むように微笑む。瓶は床へ、差し伸べてきた手をとり、バーナビーは横になる。正直、眠るといってもあのときの夢を見るばかりで、きちんと眠れた気がしない。まったく心が休まらない。それでも彼女に抱きしめられていると、眠れる気がしてくるから不思議だ。
「虎徹さん」
まだ空いている片手をねだる青年に、女はしかたがないと苦笑してその身を預ける。すっぽりと、虎徹の体はバーナビーに抱きしめられた。
「僕の匂いがする……」
「だって、バニーちゃんてば汗ふかないで抱きしめるんだもん。文句言わないの」
「虎徹さんも……一緒にシャワーを、浴びさせるべき……でした」
「そんなに気になる?」
「いえ」
むしろ、嬉しい。
「なら、寝なさい。さっきからバニーちゃんの声、すっごいおねむだよ」
「……じゃあ、キスを」
「うん?」
「おやすみの……キスを」
「……おやすみ、バニーちゃん」
抱きしめられているから、唇まで届かないことの言い訳も必要ないから、躊躇なく了解した? だからって、鎖骨の間というのも卑怯だ。
心の中で文句を言って、バーナビーは浅い眠りについた。
TIGER & BUNNY > 兎虎 >
ふたりが絶対しないこと
(2012/02/12)
25話以降。告白してきたバニーに対し「あたしより大切なモノをつくれたら付き合ってもいい」と答えた虎徹。しかし「じゃあ僕が虎徹さんの一番になれば問題ありませんね」とバーナビーは猛アプローチを開始。互いに譲れない一番合戦をする話です。
【R18/A92P/¥900】- 書店:とらのあなK-BOOKs快適本屋さん
一歩ホテルの外に出ると、冬の香りがツンと鼻に染みた。
十二月半ばでも、早朝ともなれば二月の寒さのように冷気が厚くないコートを着た体を突き刺した。口で呼吸をすると、真っ白な息がマフラーから漏れて眼鏡がかすかに曇る。
山の稜線を彩る、滲む朝焼け。
早朝の町は穏やかで、真夜中のひっそりとした様とはまた違う静けさが漂っていた。眠らない街とも呼ばれるシュテルンビルトとは、全然違う。
「虎徹さん……」
バーナビーは大切な名前をそっとマフラーへ預ける。そして湿ったマフラーを軽く唇に押しつけた。青年の艶やかな唇はカシミアの柔らかな感触に包まれる。
呼吸をする鼻の奥が、冷たい空気と感傷にツキンと痛んだ。不明瞭な視界は、なにも眼鏡が曇ってしまっているからではない。溢れそうになる感情を、バーナビーは必死で押さえていた。なんの変哲もない田舎町だ。
なんの変哲もない寒さだ。
なんの変哲もない朝焼けだ。
なのに、どうしてこんなにも心が震えるのだろう。
世界が美しいと感じる。だが、それ以上に。その美しいと感じた感動を伝えたいあなたがいない。それがこんなにも胸を締め付ける。
――ただ、隣にいるだけでいい。
それが一年近くかけて出した『僕』の結論。
一見『ただ隣にいる』ということは簡単に思えるだろうが、実際は難しいことをよく知っている。真っ白の未来は恐ろしかった。自分で選ぶということが、こんなにも不安だなんて。だが、選んだ。選んだからには、難しいけれどもここで立ち止まっているわけにはいかない。
感情を振り切るように、バーナビーは目的地へ足早に向かう。ここはシュテルンビルトから遠く離れた、こじんまりとした町だ。空港へ行くには、まずバス乗り場に向かわなければならない。所要時間約四時間という遠さが、町の田舎具合を如実に表していた。バーナビー・ブルックスJr.は今日、シュテルンビルトへ帰る。
十一ヶ月と少し。バーナビーは一人シュテルンビルトを離れ世界中をあてもなく彷徨った。自分はなにがしたいのか。生まれて初めて、自分の意志でこれからのことを考えた。
訪れた場所は、みななにかしら新しい発見があった。
息をのむような自然の景色に畏怖を覚え、先人の知恵が残した巨大建造物に胸を熱くした。
NEXTへの偏見が色濃い街、薄い街。たまたま人助けをして深く感謝されたり、逃げるように離れていかれたりもした。
NEXTというくくりに限らずただの人として、相対し歓迎されたり排他されたり、優しくされたり騙されたり喧嘩をふっかけられたり。人の中にいることで起こったことは、シュテルンビルトとなにも変わらない。どこにいても、なにもしないでいるときになにかしたいと思ったことは、結局いつもしていることだった。感情がわいたとき、口に出して伝えたくなった相手は、いつも隣にいてくれた相棒だった。
思い知る。
呼びかけて隣を見たときに、笑って応えてくれるあなたがいないという事実。
バーナビーが虎徹を好きだと認めたのは、ジェイク・マルチネスの一件だった。
『あたしを信じてくれるって、信じてたから』
彼女の、ほんのたった一言で、反発していた心がすとんと落ち着いた。
それまでは、どうしても虎徹に惹かれていく心を認められなかった。パートナーとなった相手がたまたま彼女だった。彼女は虎徹でなかったかもしれない。相棒という位置にいて親交を深められる相手であれば、虎徹ではない彼女に心を寄せたかもしれない。バーナビーは、始めそう考えて自身の感情を抑制しようとした。だが、信じていると言われて気付いたのだ。
彼女が虎徹でなかったら、なんて所詮思考実験。現実ではない。
そこに虎徹がいて、虎徹が踏み込んできて、虎徹が外へ連れ出した。
なによりの、事実。
そこにいた彼女は虎徹で、虎徹の行動でもって、結果バーナビーは虎徹に恋をした。もしもなんて、ない。起こったことが全てだ。
だいたい、好きになるという仮定自体よく考えたらおかしい。同じ行動をしたら全員を好きになるなんて実際に起こらなければ真偽を判断できないし、そんなことが実際に起こるなんてありえない。
虎徹を好きになった感情は特別でもなく平凡でもなく、それ以上もでも以下でもなく、偶然でもなく必然でもなく、バーナビーの感じたままの結果だ。バーナビーは虎徹への気持ちを秘したまま、共に引退するまでの約一年を共に過ごした。バーナビーが虎徹を好きでも、その逆はなかったからだ。彼女には愛する者がすでにいた。それでも、ただ隣にいることができれば、バーナビーはそれだけで幸せだった。彼女を困らせたくはなかったし、彼女元来の鈍さもあって――周囲の一部にはバレてしまっていたものの――虎徹はバーナビーの気持ちを最後まで知らずに引退していった。
引退するにあたって、告白するという選択肢もあった。けれどもバーナビーはそれを選ばなかった。
彼女を傷つけてしまった自分を、許せなかったからだ。
たとえ忘却が能力によって仕方ないものだったとしても、それでもバーナビーは許せなかった。一緒にいれさえすればいいという短絡的で刹那的でその場限りの臆病な感情が彼女を苦しめた。彼女の異変を苦悩を気遣いを、見逃した、分かってあげられなかった。
結果、虎徹を失うところだった。
彼女が生きていたのは奇跡といってもいい。意識が遠のきかけた虎徹を腕に抱いたあの絶望は、あまりにも重すぎた。
虎徹の能力が減退していて、もしかしたら避けられない可能性があるかもしれなかったことを知って引き金を引くのと、知らずに引き金を引くのとでは、まったく訳が違う。
バーナビーには、もし知っていたらそれでも引き金が引けたかどうかは、未だわからない。それでも、躊躇せず引けたと虎徹を信じると迷わず断言できるような心をもたなければ、虎徹に告白することをバーナビー自身が自身に許可できない。だから結局告白はしなかった。知ってなお、バーナビーが引き金を引ける人間ではなかったから、虎徹は能力が減退していることを伝えなかった。もしも死んでしまっても『知らなかったから』と逃げ道を残そうとした虎徹の優しさは、同時にバーナビーの未熟さだ。『知っていても、選んで引き金を引く』ことには、一切の逃げ道はない。
彼女の信頼に足る人間になれなかったことが、悔しくてたまらなかった。
そうして、バーナビーは今後の自身のありようを求めてシュテルンビルトを去った。ヒーローでもない復讐者でもないただのバーナビーとして、なにをしたいのか。
だが、訪れる先々で虎徹の存在が心から離れないことを実感した。やっきになって忘れようとすればするほど、虎徹を想う。時間がたつほどに、虎徹なしではいられない自身を自覚させられる。もともと、期限は両親の命日に合わせて一年と決めていた。その間、虎徹とは一度も連絡ととっていない。いや、一度だけ。シュテルンビルト時間で十月三十一日ももう終わりかという時分に、メールが一通届いて、それに震える手で一言礼を返信したくらいか。
虎徹は誕生日を祝う言葉以外、なにも伝えなかった。バーナビーはシュテルンビルトを遠く離れていた。虎徹がふたたびヒーローとして復帰していたことを知らなかった。
自身で設けた期日に差し迫り、まだなにも決まっていない、むしろ悪化してしまっていた焦燥に、打ちのめされながらのろのろと帰りの支度を始めて初めてネットでシュテルンビルトのニュースを調べたバーナビーは一昨日、ようやくそこで虎徹が二軍であってもヒーローに復帰したことを知った。奇跡をくれるのは、いつも彼女だ。
虎徹がヒーローに戻った。それを知っただけで、バーナビーの心はもう決まっていた。自分の願いは、虎徹の側にあること。たった一つ。それだけ。なぜなら、虎徹の――ワイルドタイガーの相棒は、バーナビー・ブルックスJr.なのだから!
不安と恐怖と迷いを抱えたまま、それでも青年は飛び出した。バーナビーはここよりもっと田舎の町からバスを乗り継いで、この町まできた。昼寝をしたバスはあっという間に空港のある街まで到着し、二度飛行機を乗り継いで、バーナビーは故郷に帰り着いた。
日付は変わっており、十二月二十四日の夜。ずっと留守にして置いた部屋に荷物を置いたバーナビーは、一目散に向かう場所があった。迷い、恐れ、不安。それらを抱いたままバーナビーは両親の前に膝を折る。
「ずっと来られなくてごめん。気持ちの整理がつかなくて。でも、今日は二人の命日だから」
この日までと決めていた。どんなに迷っていても、この日には必ず帰ろうと決めていた。はからずも目標だけが決まって覚悟は定まらないという情けない感情のまま、ようやく両親に挨拶する事となってしまったが、それも家族の前だからこそこうしてやってくることができた。
どうか、勇気を。
息子を見守って欲しい。
――そうして。墓石に積もった雪をかき分けて、墓標を読んだバーナビーは深い両親の愛にうち崩れた。
『あなたのことは、私たちがずっと守ってあげるからね』
『だから、おまえも人を守ってやれる、優しい子に育ってくれよ』思い出した、母と父の言葉。
迷いも恐れも不安も全てが吹き飛んだ。
背中を押される。
走り出す。
手を伸ばす。
あなたが人々を守るというなら、人々を守れるよう僕があなたを守ろう。
それが、僕があなたの側にある意味。

手を伸ばした先に、まるで新しくもう一度始まるように。
空からあなたは降ってきた。



ふたりが絶対しないこと。





試練はしょっぱなからやってきた。
虎徹とバディを再結成した翌日の夕方。仕事も終わり、駐車場で虎徹を発見したバーナビーは走り寄った。
「虎徹さん!? あの、今日僕となにも約束してないですよね?」
「うん、してないよ。なあに? あ、もしかして」
一緒に夕食でも食べたいのかと問われて、バーナビーは一瞬本来の目的を忘れそうになる。もちろんと答えようと開いた口から違うと発するのは心苦しい。「ええと、その、是非ご一緒させていただきたい」
「よし、じゃあいこー!」
ですが、僕が聞きたいのはそういうことではなく。
話を最後まで聞かず青年の腕をとって走りだそうとした女に、バーナビーは慌てて制止の声をかける。
「ま、待ってください虎徹さん!」
「バニーちゃん?」
虎徹は首をかしげた。もちろんバーナビーのほうが背が高いため、上目遣いである。
(かわいい)
バーナビーはときめいた。
(って、だからそうじゃなくて!)
バーナビーは頭を振った。
「どうして虎徹さんが僕のマンションの駐車場にいるんですか!?」
そう。二人がいるのはアポロンメディアの駐車場ではなく、バーナビーが以前から住んでいたマンションの駐車場だった。虎徹は確かに何度もここに車を停めているが、それはバーナビーの部屋に来るときで――指紋認証と共に駐車登録も申請済みだ――約束がなくても唐突にくることがあっても、それは今虎徹自身が否定したから、つまり、まさか、もし、かし、て、
「どうしてって」
とっくに答えはでているのに、その答えの衝撃を受け止めきれず取り乱すバーナビーへ、虎徹は晴れやかにトドメを刺した。
「あたしもここに住んでるからに決まってるでしょ」
「なんで!?」
間髪をいれず叫んだ青年の反応がよほど気に入ったのか、女はにやにやという形容詞がぴったりの笑顔で答えた。
「前住んでた家は完全に引き払っちゃったし、なにより顔バレしてるからって社のほうでセキュリティのしっかりしたところ用意するっていわれてさ。面割れ同士一緒にしといたほうが管理しやすいってことかねえ、同じ建物なのは。……そんなにびっくりした?」「しました」
呆けた顔で頷いたバーナビーの背を、気合いを入れるように虎徹は叩いた。痛い。
「ってわけで、よろしくな! あ、で、バニーちゃん夕食どうするの。一緒に食べるのでいいんだよね」
「一緒に食べます」
「よかった、実はサプライズでおまえんちで料理作って待ってようと思って買い物行ってたんだ。まさかこんなにバニーが早く帰ってくるとは思ってなかったよ。復帰したてだから今日一日ずっと忙しかったろ? あたしが帰るときまだ色々残ってたから、夕食作る時間あると思ってたんだけど」
買い物の時間しか結局かかっていない、バニーは相変わらず優秀だなと悔しげに言われて、ほんの少しだけバーナビーの溜飲が下がる。虎徹の策略にはまることなく帰宅できたことにバーナビーはほっとする。夕食なんか作って待っていられた日には、それこそどうなるか分かったものではない(主に自分の理性が)。「半分持ちますよ」
「ん、ありがと」
虎徹はスーパーの袋を片手で二つ持っていた。全部といっても彼女はきかないことを知っている。
駐車場から上がるエレベーターの中で鏡を見て、バーナビーは崩れそうになる表情を必死に取り繕った。
まるで、夫婦のようではないか。
『バーナビーおかえりなさい!』
帰宅して、エプロンをつけた虎徹が笑顔で出迎える想像をしたところで、タイミング良くエレベータが止まり到着のチャイムが鳴った。バーナビーは我に返る。
頭の中の虎徹の愛らしさは、現実に起こったら本当に理性がぶっ飛びそうなほどだった。残念に思う以上に、改めてサプライズを阻止できたのは僥倖だった。
(いけないいけない)
幸いにして、妄想を振り払うべく大きく頭を振ったバーナビーの姿は、先にエレベーターを降りた虎徹には目撃されることはなかった。「たっだいま〜」
勝手知ったるなんとやら。虎徹はバーナビーの部屋の玄関を家主よりも先に開けて入る。それを言うならお邪魔しますでしょう、そう突っ込むのも無駄だ。バーナビーはため息の変わりに同じくただいまと口にする。
「おかえりなさい」
とんだ不意打ちだ。虎徹がくるりと振り向き応えた。
その、笑顔に胸が詰まる。今更気付いた。そうだ、彼女も自分と再びこうしていられるようになったことが嬉しいのだ。虎徹も自分も、こうした帰宅の挨拶に無縁な生活を今まで送ってきた。
「ただいま」
今度ははっきりと、バーナビーは声に出して応えた。
それは、再びヒーローへ戻ったお互いへの感謝の言葉だった。

「お、うまいじゃんバニー」夕食はせっかくだから二人で作ろうということになった。フライパンを振るってぱらぱらと舞う炒飯を見て、隣で玉葱を炒めていた虎徹が褒める。
「これくらいしか、できませんけど」
「今まで全然料理できなかったのが一つでも作れるようになったってことは、十分すごいと思うぞ」
「できなかったんじゃなくて、やらなかったんです」
否定したものの、どう聞いても言い訳にしか聞こえない言葉にバーナビーは眉根を寄せた。
炒飯は虎徹がよく米を炊いて冷凍庫に余りをいれていたから、活用法として彼女に教えてもらった料理だ。適当に残った食材も突っ込めて簡単に作れる。
「そういえば、バニーが作った料理食べるの初めてだな」
「そうですね。ようやく虎徹さんに僕の炒飯を食べてもらうことができて嬉しいですよ」「まずいって言ったらどうするの」
「僕が作る料理がまずいはずありません、よっ」
「ひゅ〜、さっすが」
ひときわ大きくあおったフライパンから舞った炒飯を見て、虎徹はひやかした。
それからしばらく二人は無言で調理をする。調理器具と、炎に炙られた食材の音だけが耳に届く。言葉を交わさずともなんとも居心地のいい空間だった。
なにより、バーナビーは自分がこうして料理を楽しめていることが幸せだった。
バーナビーはあまり火が好きではない。といっても日常生活に支障がでるほど嫌っているわけではないが。火を見ると憂鬱な気分になる程度だ。だから料理も自分でするのはおっくうだった。食事は外食にしたりフロントに頼んだりすれば事足ることだった(バーナビーの住むマンションは、サービスアパートメントの豪華版だ。一流ホテルと同じようなサービスが住んでいるだけで受けられる)。だから、自分から進んで火を使って調理をしても心が軽いことが嬉しい。青年は上機嫌でフライパンを振るう。具材から水分は抜けた。最後に調味料で味付けをして完成だ。
「できました」
「お疲れー、あたしももうちょっとこれ煮込めばできちゃうから、先に盛りつけして。あと冷蔵庫にいれてたやつも出しておいてよ」
「はい」
すっかり台所の主になった虎徹から言われた通り、青年は炒飯を皿に移したり、冷蔵庫に入れていたサラダを出したりした。台所の主は今までバーナビーが炒飯を作っていたコンロで即席スープを調理し始める。
ものの十分もしないうちに、ダイニングテーブルには所狭しと料理が並べられた。
「いただきます」
「いただきます」
席に着くと、バーナビーも虎徹にならって手を合わせて頭を下げる。以前彼女から、命をいただくからこうして手を合わせて一言お礼を言ってから食事をするのだと聞いて以来、バーナビーも虎徹といるときはこうして手を合わせる。虎徹は真っ先にバーナビーの作った炒飯へ箸を伸ばすと、少し息を吹きかけて冷まし、口に入れた。
「どうですか」
「ん〜」
なにくわぬ顔で自分も食べ始めることはできなかった。目をつぶって大仰に味わう虎徹を、バーナビーは穴があくほど見つめる。
ごくりと飲み込んだ女の喉を見て青年も唾を飲み込んだ。
ぱちりと目が開き、琥珀色の瞳が碧い瞳を見つめ返す。緊張。
「うん」
虎徹の瞳が細められた。口角と頬が上がる。
「合格」
「やっ……あ、」
思わず叫んでしまいそうになって、慌ててバーナビーは口を押さえた。いけない。うかれすぎだ。
久しぶりに虎徹と会えて、二軍ではあるがバディとしてヒーローに復帰して、そして今ここで一緒にいて手料理を食べてもらえるという事実に、浮き足だって仕方ない。らしくない己の態度が表層化しそうになり、バーナビーは内心頭を抱えた。彼女の前では格好つけていたいのだ。「ふっふーん」
「なんですか」
虎徹が完全にゆるみきった表情でバーナビーを見た。駐車場のときのようにからかわれるのか。そう思った矢先、虎徹は弾む声で言った。
「また、こうしてバニーちゃんと一緒にいれて嬉しいな」
「僕も、嬉しいです」
「うん、頑張ろうねえ」
「はい、頑張りましょう」
バーナビーは顔を上げられない。ふいに泣きそうになって、塞ぐように炒飯を口に入れた。炒飯は美味しかった。

たわいない話をしながら食事をして後片付けをし、今日の夕食会は終了となった。
部屋に戻るという虎徹を彼女の玄関まで送ろうと、一緒にエレベータに乗り階を移動する。
「今日はありがとな」
「いいえ、こちらこそ」
ここが自分の部屋だと、並ぶ扉の中の一つを指し虎徹は礼を言った。「あ、そうだ」
ロックを解除した虎徹は、思い出したと振り返る。
「バニーも登録しといたから」
「なにをですか」
「あたしんちのロック。これでバニーちゃんも出入り自由だよ」
そっちの部屋だけこっちが出入り自由なんて不公平だろう、そう虎徹は明るく言い放った。
「これから朝ご飯一緒に食べよう? 七時に来て。そんでもしあたしが寝てたら起こしてちょーだい。実はいつも遅刻しそうになりながら出勤してるんだ。ゴールドからだと会社遠いんだよね」
「な、なに言ってるんですか!」
公共の廊下だというのに、バーナビーは思わず叫んでいた。はっとして左右を見るが、さいわい人はいない。
「あ、やっぱ目覚まし扱いじゃ怒るよね。ごめん」虎徹は謝罪したが、まったくもって見当違いの理由だ。バーナビーはなんと答えようか悩む。
今までバーナビーの部屋に虎徹は自由に出入りできても逆は無かった。ブロンズの彼女の家に、バーナビーは一度しか訪れたことがない。一年前、引っ越しの片付けを手伝いに行ったときだ。部屋はほとんど片付いていたので、強引な口実をつけて来てしまったとバーナビーは後悔したが、虎徹は追い返さなかった。どころか、いくつかの箱を荷解くと昔の話をしてくれた。
マンスリーヒーローのバックナンバー。デビューしたときや、QOHになったときの記念インタビューが載っていた。故郷オリエンタルタウンの写真、卒業アルバム。母、兄、そして亡くなった父や夫といった家族の写真。子供である楓以外の虎徹の家族を見るのは初めてだった。それらを見せながら、楽しかったことも辛かったことも、虎徹はバーナビーに聞かせた。あまり自身の話を積極的にする人間ではなかっただけに、バーナビーは悲しかった。もうすぐ別れてしまうバーナビーに残る、虎徹という思い出を重くするだけの儀式にすぎない。
酷いひとだ。もう一緒にはいられないことがわかってから、安心して貴方は自分の領域を解放した。もう一緒にいらないから、忘れてしまわないよう過去でもって虎徹という人間をこちらの記憶に刻みつける。
無自覚なだけに余計たちが悪い。
そういう意味であなたはとんだ悪女だと、わかってもなお好きでいる自分は大馬鹿だと、バーナビーは自嘲した。
『いつでもうちに来なよ。歓迎するからさ』別れ際の言葉は本心に違いなかっただけに、胸に刺さった。彼女からは、会いに来てくれない。
一年前そんなやりとりをしていただけに、バーナビーはガラッっと変わった虎徹の対応に、どうしていいかわからない。非常に喜ばしい要請ではあるが、果たして受けてもよいのか。
彼女のことだから、本当に目覚まし代わりなのかもしれない。いや絶対そうだ。そうだとわかっていながら、悲しいかな惚れたさがで他意がないのか気になって仕方がない。虎徹が以前よりこちらに心を預けてくれた結果なのか。だとしたら逃す手はない。
なんだ。馬鹿だな、よく考えたらどっちにしたって受ける結果にしかならなかったではないか。
「まったく。本当に仕方のない人ですね。わかりました、朝食を作っていただくことに免じて目覚まし役、お引き受けいたしましょう」嫌みったらしく慇懃に答えたにも関わらず、虎徹はぱっと表情を輝かせた。
「ほんと!? きゃー、やったあありがとうバニーちゃん! これで遅刻しなくてすむ!」
抱きつかれて急上昇した青年のボルテージは、女の後半の言葉で本当に目覚まし代わりであることが判明し、一気にマイナスになった。


翌朝。バーナビーは七時きっかりに虎徹の部屋のチャイムを鳴らした。しかし待てど暮らせど部屋の主が扉を開ける気配はない。
「ま、わかってたことですけどね」
バーナビーは嘆息するとロックを解除し入室する。
虎徹の部屋の間取りは全く異なっていた。バーナビーのような開放的かつ殺風景な造りとは違い、普通の家のようになっている。廊下に並ぶ扉を一つ一つ開け、主寝室を探す。リビングには見覚えのあるソファやオーディオが配置されており、家具はそのまま持ってきたことが知れた。
バス、トイレ、ランドリー、キッチン、リビング、ここまで全て外れた。残るは廊下の最も奥の扉だけだ。
「虎徹さん、起きて下さい。遅刻しますよ」
ノックをして声をかけても全く反応がない。
「虎徹さん? 虎徹さん!」
先ほどより大きな声で呼びかける。しかし建物柄、高い防音性が部屋の中まで徹底されていることを思い出し、バーナビーは頭を抱えた。ドアを叩きまくるより、直接中に入って寝具を引っ剥がし、ベッドから引きずり出すほうが手っ取り早い。
そう、わかっている。わかっているが、できない。意中の女性が眠っている部屋へ入るなんて。しかしここで考えていても虎徹は起きないし、そうすれば悠長に朝食など食べてる暇もなくなるし、遅刻してしまう。
青年は深呼吸すると、己を鼓舞するように勢いよく扉を開けた。薄暗い寝室をずかずかと横切り、思い切りよくカーテンを開け容赦なく日光を浴びせる。
「虎徹さん起きてくださ――っ!」
振り返り、寝具をはぎ取ろうとしたバーナビーは硬直した。
「う〜、眩しい〜」
虎徹は悩ましい声と共に寝具を頭に被せ、反対側へ寝返りを打つ。すると、それまで隠れていた下半身が白い朝日のもとに照らされた。
腰からヒップ、太股にかけて見事な逆S字カーブが描かれ、真っ白な膝の裏と足の裏が日光に輝く。めくれたシャツからはネイビーのショーツがくっきりと存在を主張していた。情けなくもバーナビーはその場にしゃがみ込む。
むっちりとした臀部を際立たせるような濃い色合いのショーツ、対照的な細い腰、すらりと伸びる脚はアラフォーとは思えない。ゆるく曲げられて華奢な骨の浮く膝の裏は腋下をも連想させ、艶めかしさが倍になる。ほんの一瞬見ただけであるのに、足の裏のほくろまで発見してしまった己の慧眼に涙が出そうだ。
こんなものを不意に見せつけられれば、男がこうなってしまうことは仕方ないと言い訳しても、やはりやるせなさは拭えない。
だが、もしも今虎徹が目覚めて自分を見たら――。
自身の恐ろしい想像で、青年は途端に萎えた。
今だ。
「虎徹さん!!」
「あうっ」
バーナビーは立ち上がると、虎徹の顔から身体を隠すように寝具をめくりずらした。何事かとこちらを向き、眉根を寄せながらもしぶしぶと目を開けた女の瞳が、とろりとした視線でもって青年を捉えた。寝起きの虎徹を愛でる余裕などなく、バーナビーは蠱惑的な琥珀色の視線から顔を反らす。「あー……バニーちゃんおはよう?」
始め、なぜここにバーナビーがという怪訝な表情をしていた虎徹であったが、昨日のやり取りを思い出して挨拶をしてきた。
「おはようじゃありませんよ、まったく。ここまで寝汚いとは思いもしませんでした。さ、早く起きて支度してください。ゆっくり朝食作って食べてるなんて時間、もうありませんよ!」
いつもならば非があろうともなじられれば言い返す虎徹が、おとなしく謝罪した。寝起きだからだろうか。
「う〜、ごめん」
女はのろのろと上半身を起こすと、そのまま前にぼすりと頭を投げ出して突っ伏す。
「うぇ〜、頭痛い」
「まさか二日酔いなんていいませんよね」
「えへへ〜、まさかの大当たり」腕だけ上げてピースした虎徹に、バーナビーはこれみよがしにため息をつく。
「ごめんて。久しぶりにバニーちゃんとご飯食べられて、嬉しくて、興奮して、寝れなくてさあ」
言い訳の言葉に、バーナビーは少しだけ頬を緩ませてしまう。虎徹は突っ伏しているので見られる心配はないが、このままほだされるわけにはいかない。
「フロントに言って薬と食事を用意してもらいます。いいですか、その間に支度して下さい。今日は僕の車で送ります」
「ありがと〜、や〜んもうバニーちゃん大好きー!」
バーナビーの怒気をはらんだ言葉に、虎徹は起きあがると上機嫌で答えた。だめだ、全然反省してない。
「うわ、ベッドから出るのは僕が部屋から出た後にしてください!!」「あ、ごめん」
もう少しきつく言ってやろうと開けた口は、虎徹が無頓着にも寝台から出ようと寝具をめくったことにより、悲鳴を上げることとなった。
青年は逃げるように寝室を後にすると、リビングから内線でフロントへ繋ぎ、朝食と薬の用意を大至急手配した。乱れる心を落ち着かせるため、とりあえず気を逸らす目的でテレビをつける。丁度ついた朝のニュースは、一昨日バーナビーがヒーローに復帰したことを伝えていた。街頭インタビューで口々にバーナビーの復帰を喜ぶファンの声を聞きながら、バーナビーはヒーローに復帰したことを歓迎してくれる人々に感謝した。HERO TV以外でヒーローの報道はあまり多くない。つまりそれだけ話題性があったということだ。バーナビーは改めて己のヒーローとしての仕事に誇りを持った。二軍であろうとも、関係ない。彼らの期待を裏切らぬよう頑張らなければ。そうして十数分ニュースを見ていると、来客を知らせるチャイムが鳴る。頼んでいた朝食が届いたのだ。受け取って振り返ると、ちょうど支度を終えたらしい虎徹が廊下に現れた。
「それじゃ、行きますよおばさん」
「はあ〜い」
おばさんと言われたことが気に入らなかったのだろう、虎徹は不機嫌そうに返事をする。しかし己が悪いことはわかっているため、文句は言わない。
バーナビーはいったんリビングに戻りテレビを消すと、虎徹と共に地下の駐車場へ向かった。
助手席の虎徹へ朝食と薬を預け、エンジンをかける。
「先に薬を飲んで休んでいてください。朝食はデスクでとりましょう」
「うん、ありがとう」
今の時間ならいつもより少し会社につく。バーナビーは丁寧にハンドルをきり出発した。会社に到着した頃には、虎徹は朝食を食べられる程度に回復していた。ぬるくなったリゾットを平らげ、会社のドリンクサーバーからバーナビーが持ってきた緑茶を飲みまったりしている。
「今朝はありがとね」
「どういたしまして。ですが、」
「次からちゃんと起きるから、明日も来てね」
バーナビーの言葉を遮り、虎徹は言った。
「バニーちゃんが起こしてくれるから大丈夫だって、油断しちゃって二度寝したのと、お酒飲み過ぎちゃったのが敗因なわけで、つまり原因わかったからもう大丈夫」
「大丈夫って……どうしてそう根拠のない自信を堂々と語れるんですか」
原因がわかろうが、虎徹が明日きちんと起きてくる保証はない。温かみの一切ない物言いに、虎徹はすがるように食い下がる。「ごめん、ほんとごめんて。反省したから! とにかく自分一人の為じゃなかったら絶対起きるから、ご飯つくらなきゃって思うから、明日からは起きて待ってるから」
虎徹は胸の前で手を組み、打ち捨てられた小動物のようにこちらを見上げてきた。
「バニーちゃん」
「……」
「バニーちゃんお願い」
「……」
「ね、このとーり」
とうとう拝みだした虎徹に、バーナビーは根負けした。こちらがいくら断ろうが、こうなってしまった彼女が諦めることはない。
「二度目はありませんよ」
「バニーちゃんありがとう!!」
小動物のようにぷるぷると泣きべそをかいていた表情は、その言葉で満面の笑みになる。困ったことに、この笑顔に弱いのだ。バーナビーは無表情を保つためモニタに視線を移す。虎徹は満足したのか、それ以上なにも言ってこない。ちょうど同室の経理の女史が出勤してこともあるだろう。そのまま始業時間になって二人は部長室へ呼ばれた。「新年の特番で、バディ特集組んでもらえることになったから」
「あたしたち二軍ですよ?」
ロイズの言葉に驚いた虎徹はもっともなことを言う。
「君たちバディの存在が、それだけ大きかったってこと。二軍であろうと関係なーいーの。よろしく頼むよ」
「はい、わかりました」
はきはきと答えたのはバーナビーだけだ。虎徹はまだ納得のいかない顔をしている。二軍になり、こうした芸能活動的なことをしなくてもよくなったと思っていただけに、彼女は不満なのだろう。そういった活動のなかった二軍のほうが、ある意味まっすぐに市民を守ることができていたのだから。
「他にも雑誌のインタビューに、グラビア撮影、ラジオ出演、年明けから一気に来るから覚悟しておくんだよ」「ええー、今までと変わんないじゃないですかぁ」
虎徹はあからさまな不満の声をあげる。
「今まで逃げ回ってきたツケだよ。覚悟決めて、我が社と市民のために頑張ってくれたまえ」
「逃げ回ってきた?」
ロイズの言葉に、バーナビーはまさかと虎徹を見る。バツが悪そうに虎徹は視線を外したので、代わりにロイズが答えた。
「そ。バーナビー君が復帰する前から、ワイルドタイガーは二軍だろうと取材の申し込みとか沢山あったの。それを『二軍だからこそ陰でヒーローを支え市民を守らなければ』とかなんとかもっともらしいこと言っちゃって、全部断ったんだよ」
「もっともらしいって、事実その通りじゃないですか。二軍が一軍のヒーロー差し置いてどうするんです」腕を組み、憤慨する虎徹をバーナビーは複雑な心境で眺める。ブランクがあろうと虎徹の、ワイルドタイガーの人気が続いていたことは喜ばしいことだったが、自分が隣にいないことに嫉妬めいた感情が生まれる。
「しかもアイパッチとれだなんて、確かに顔バレしちゃってますけど、あたしは顔出ししない主義なんです」
「それは過去の話でしょ。別に今はもう取れなんて強要しないから」
アイパッチの件を聞き、青年は一層その想いを強くした。
バーナビーはシュテルンビルトへ戻る前に、復帰したワイルドタイガーのことはちゃんと調べてある。それも公式記録ではなくネットの深いところ――市民の噂や憶測、スポンサー企業の動向についてだ。
アポロンメディアやHERO TVは否定しているが、サマンサ・テイラー殺害冤罪で犯人に仕立て上げられた女性の顔と、マーベリック逮捕時に映ったワイルドタイガーの素顔が不鮮明ながらも似ていたため、同一人物ではないかとの指摘がある。映像の解析をかけて画質修正を行った画像が出回り、それらが骨格的にも一致したことからもはや公然の秘密となってしまっているが、能力が減退しヒーローを引退したことで市民の関心は若干薄れた。彼女の子供である楓もテレビに映ったため、万が一を考えてアポロンメディア社は極秘裏にオリエンタルタウンへボディーガードを派遣している。
そんな中、ワイルドタイガーは再び舞い戻った。ワイルドタイガーはスポンサーの求めに反し、世間的にバレていようが今まで通り顔出ししないことを貫いたため、公式見解は未だに鏑木・T・虎徹 イコール ワイルドタイガーとはなっていない。
『ヒーローは素顔を隠すもの』
ワイルドタイガーの素顔が魅力的だっただけに、彼女の変わらぬ主義に市民は好感を持ち、結果逆に大きな話題となった。スポンサーも、そんなわけで二軍ながら異例にも出資し、彼女のスーツは一年前と変わらず企業ロゴがついたままだ。
「こういう仕事が絶対増えるから顔出しはヤダって言ったのに、結局変わらないなんて」
虎徹はがっくりと肩を落とす。
ここですごいのが、顔を出す イコール ヒーローらしくない仕事が増えるという彼女の構図だ。自分の容姿に対する考えがまったく介在していない。
確かに、虎徹は絶世の美女というわけではない。だがその表情は、プロボーションとヒーローとしての姿勢を掛け合わせると三乗にも魅力が倍増する。
顔を出す=見目がいい=ヒーローらしくない仕事が増える
真ん中の理解がすっぱり抜けている。
彼女にとってヒーローとして人気が出ることは嬉しいが、それによってアイドル扱いされことは極力避けたいらしい。『キレイな格好させてもらったって、見せたい相手がいないんじゃね』
まだバディを組んだばかりのころ初めて一緒に撮影へおもむいたとき、虎徹が自嘲ぎみに呟いていた台詞をバーナビーは思い出した。独り言だったし、まさか虎徹もバーナビーに聞かれていたとは思ってもいなかっただろう。いつも明るい虎徹の言動らしくないところに引っかかりを感じて、バーナビーは覚えていた。
その、寂しげだった様子と今の様子が被った。がっかりする虎徹へ、バーナビーはさりげなく肩に手を置く。
「大丈夫です。僕が隣にいますから、」
「バニーちゃん……」
「誰も虎徹さんには目もくれませんよ」
「あははは、そういうところホンット変わってないよねバニーちゃんは」虎徹は乾いた笑いでバーナビーの手を払いのけた。
違う、本当はそんなことを言いたかったんじゃない。
怖じ気付いて逃げてしまった自分の言動に、バーナビーは内心打ちひしがれる。
『僕は虎徹さんがお洒落してる姿、好きですよ』
そう言ったら彼女はどう反応しただろう。笑って冗談はやめろと笑い飛ばしてしまうのだろうか。
「とにかく、よろしくお願いするからね」
ロイズの言葉で、バーナビーは思考を浮上させる。
「はい」
「はぁい」
企画書はメールに添付しておいたから、ちゃんと虎徹君にも読ませておくようにとロイズから言い渡され、バーナビーは苦笑しながら了解する。
「はー、もうやんなっちゃう」
席に戻った虎徹はデスクに突っ伏す。バーナビーは企画書を読ませようとその気にさせるために声をかけた。「これもヒーローとしての勤めです」
「えー、でもあたしたち二軍なんだよお?」
「だからこそですよ。僕達の活動いかんによって、二軍ヒーロー達の扱いがどう転んだっておかしくない。後輩達の為に、彼らが脚光を浴びる機会や一軍へ昇る道もきちんと整備しなければ」
「……バニーちゃんは、一軍へ戻りたいの?」
鋭い問いにバーナビーは息を飲む、虎徹は未だ顔を伏せているため、表情はわからない。
「考えたことも、ありませんでした」
とっさに答えた台詞が我ながら情けない。しかし、考えたこともなかったのは事実だ。
常識的に考えて、ワイルドタイガーが再び一軍へ復帰することはないだろう。だが、バーナビーは。
もし――もしも自分だけ一軍へ復帰しないかと誘いがきたら。バーナビーはどうしていいかわからない。己の望みは彼女の隣にあること。
だが、彼女は言うだろう。
『バニーちゃんよかったね。一軍復帰おめでとう』
虎徹は絶対に、バーナビーが一軍復帰を断ることを許さない。彼女はヒーローなのだ。
「さ、早く面を上げて。企画書ちゃんと読んでくださいよ」
「はいはい」
バーナビーは暗くなっていく思考を締め出し、虎徹を再び鼓舞する。のろのろと起き上がりマウスに手を伸ばした虎徹を確認し、バーナビーも添付ファイルを開いて企画書に目を通した。
「うげ、早速今日の午後から衣装合わせある」
「新年の特番ですからね。もう時間がない、仕方ないでしょう」
「ブルーローズでもないのに、あたしなんかが着飾ってどーするっての」
「楓ちゃんが喜ぶと思いますよ。自分の母親がきれいなのは、子供も嬉しいでしょう」「あー、そ、そっかな」
でもあの子あたしの写真なんか丸無視で、バニーちゃんのだけスクラップしてたんだぜー。
一瞬まんざらでもなさそうな表情をみせた虎徹だったが、すぐに苦い思いでに顔をしかめる。
「もう、正体は知っていますし大丈夫でしょう」
「そうだといいんだけど」
言って、虎徹は再びモニタへ視線を戻した。結局、今回もバーナビーは自分の想いを言えなかった。今更気付いたのだが、虎徹が装う姿自体は好きでも、それが万人の目に晒されるためであることが引っかかっているのかもしれない。臆病のほうがマシだ。醜い嫉妬心に反吐が出る。
彼女は自分のモノではない。ヒーローである限り誰のモノにもならない、等しく皆のモノだ。例外は家族だけ。バーナビーはそのどれにも属さない。バディとして、隣にいられるモノとして、虎徹に守られる存在ではなくなる道を選択した。皆のモノという皆からすら外れる代償は、始めからわかっていたはずだ。だから嫉妬などしてはいけない。望んではならない。
言い聞かせて、バーナビーは企画書を無心で読み込んだ。


§   §   §


高い天井からきらぎらしい明かりを灯したシャンデリアがいくつも垂れ下がり、人々の豪奢な装いと料理を照らしていた。
今晩はシュテルンビルドのヒーローを抱える主だった企業が一同に会する新年会。企業関係社を除いて集った紳士淑女はいずれも政界や財界の有名人ばかり。愛想笑いの仮面で、相手の情報や弱みを掴もうと狡猾な本性を覆っている。
「虎徹さん」そんななか、一人もくもくと料理を食べ続ける女性にバーナビーは声をかけた。
「あ、バニーちゃん! ね、ね、このローストビーフ食べた? すっごくおいしいよ」
「まったく、挨拶全部僕に押し付けないでくださいよ」
誰のせいで食事すらままならないと思っているのかと、青年は頬をローストビーフでふくらませた女をにらむ。
「だあってー、あたしああいう堅苦しいの苦手。っていうかあたしなんかよりバニーちゃんと話したいだろうし。適材適所ってやつ?」
「せめて、他のヒーローに声をかけてきたらどうです」
「それはもうした。ローストビーフはアントニオが教えてくれた」
「そうですか」
屈託なく笑う虎徹に、バーナビーはもはや怒る気すら失せた。ドラゴンキッドでもあるまいし、こんなに食欲を旺盛に発揮している人間へ、下心のある人間が話しかけるはずもない。虎徹のドレスは今回も例に漏れず露出過多だった。開いた背中と谷間、深いスリッド。飾り気のない繊細なドレープのみのドレスは、むしろ艶めかしく女性の肉体美を流れ虎徹の美を引き立てていた。アイパッチを着用しているため、普段と見違えるような姿であっても、誰もが彼女がワイルドタイガーであるとわかる。タチが悪い。
パーティー開始直後、悪い虫ばかりが彼女にたかったため率先して話し相手を引き受けていたが、その間に虎徹はまんまと逃げおおせ他のヒーローと楽しく話をしてきたようだ。腹が立ったが、いい年をしてこんな食い気がっつり頬を食べ物で膨らませた相手に食い下がるような男もいなかったようである。
「じゃあ、僕も他のヒーロー方へ挨拶しに行ってきます。三十分くらいで戻りますので、ここ離れないでくださいよ」「はーい、いってらっしゃい」
酒も入っているだろう、手を振り上機嫌で女は青年を送り出す。
しかし、約束の時間になってもバーナビーは虎徹の元へ戻ることができずにいた。馴染みの彼等はバーナビーの復帰を喜び歓迎の挨拶をしてくれたが、ヒーロー以外の人間もまた同じくバーナビーと話そうとひっきりなしに現れる。
バーナビーはなるべく失礼にならないよう、次のヒーローのもとへ行きたいとほのめかし逃走をはかってきたが、それでもやっと虎徹がいた場所へ戻ってくるのに一時間以上かかってしまった。パーティーもそろそろお開きの時間だ。
「バニーちゃん遅い!」
「すみません」
腰に手を当て、ぷりぷりと怒る虎徹にバーナビーは深く頭を下げる。「すみませんで済めばヒーローなんていらないもん」
ろれつの回らない口調でとんだ屁理屈を口にした虎徹は、すっかりできあがっていた。真っ赤になった皮膚とふらふらする姿勢が、相当アルコールを摂取したことを物語っている。飲み過ぎだと文句を言うこともできない。バーナビーは丁度近くを通ったボーイから水をもらうと、虎徹に差し出す。
「端の椅子があるところへ行きましょう」
「だめ、バニーちゃんまだローストビーフ食べてない」
「と言われても、もう料理ほとんどないですよ」
「一切れだけ、あたしがそこに取り分けておいたから、それ食べて」
「ありがとうございます」
食べなければ、虎徹は水を受け取ってくれないだろう。青年は大人しく彼女が指さした先の皿を取り上げる。そこにはローストビーフだけでなく、他にいくつか料理が乗っていた。すっかり冷めてしまい、虎徹がすごく美味しいと誉めたような味はしなかった。彼女はきっと、これを食べたバーナビーが同じように美味しいと賛同し、笑顔になることを望んだのだに違いない。後悔の念が青年の胸を焼いた。「ごちそうさまでした」
食べ終わった自身へ注がれた視線に気付いて、バーナビーは言った。案の定、美味しかったかと虎徹は聞いてこない。おそらく約束の時間に戻ってきていれば、バーナビーも満面の笑みで美味しかったと答えることができた。虎徹も、それを見て嬉しいと笑ってくれるはずだった。
「美味しいビーフストロガノフをだしてくれるお店があるんです。今度、一緒に行きませんか」
「……うん」
頷いてくれた虎徹に、怒りの色はない。しごく残念だったとしおれる表情がバーナビーの心を突いた。
差し出された水を今度は大人しく受け取ると、青年にエスコートされ女は端の椅子に座る。だが、座って膝の上に両手で持ったコップを見つめるだけで、虎徹は水を飲もうとはしない。「虎徹さ、危ない!」
怪訝に思って声をかけたとき、女の身体が傾いだ。とっさに虎徹を抱きしめ、コップを掴む。割れずに済んだが、中身がドレスにかかった。
虎徹さん、どうしたんですか。
そう言おうとして見た虎徹は、眠っていた。

一足早くパーティーを辞し、バーナビーは眠った虎徹を車でマンションまで運んだ。彼女の部屋のリビングのソファに横たえて、さてこれからどうしたものかと青年は悩む。
「虎徹さん、起きてください。このまま寝たら明日は二日酔い確定ですよ」
「う〜ん」
苦しそうに唸って一瞬目を開けるが、それは邪魔者を確認するためだったようだ。女は青年の腕をうるさそうに払った。
勘弁して欲しい。
バーナビーは初めて虎徹の部屋に来たときのことを思い出した。今の状況は酷似している。ソファに投げ出された虎徹の身体は、ドレスをまとっているだけにまるで一枚の絵画のようだ。
処置が甘かったのか思った以上にこぼれていたのか、ドレスの胸元から膝までが濡れて肢体にくっついている。薄い生地のため、肌の色がほんのりと透けており卑猥だった。
虎徹はけだるげな表情で額に手を当てている。
火照った肌。薄く開いた唇は浅い呼吸に喘ぐ。なんともあだめいた様子に、バーナビーは知らず喉を鳴らしていた。
普段は化粧が薄いだけに、ふっくらとグロスを盛られ赤く色づいた唇が青年を誘う。
キスをしたい。
衝動に突き動かされて、バーナビーはそっと顔を近づける。酒は飲んでいないのに、早鐘を打つ鼓動が耳の奥を騒がせる。
あと三センチ。あと二センチ。
あと、一センチ。
「虎徹さん、起きてください」
「いったあ!?」
バーナビーは、容赦ないデコピンを虎徹に浴びせた。効果は絶大だったようで、女は飛び起きる。
「水を飲んで、着替えてください。風邪を引く」
「う〜、バニーちゃんもっと優しく起こしてよ」
「会場で眠ったあなたを、僕がどれだけ恥ずかしい思いをしてここに連れてきたと思ってるんです! 酔いつぶれて寝こけるなんて、とんだヒーローもいたものですね」
「うぐっ」
痛いところをつかれ虎徹は黙った。返す言葉もない。
「十五分したら戻ります。それまでに着替えておいてください。二度寝したら今度はデコピンじゃすみませんよ」
「はぁい……」
肩をいからせバーナビーは退出する。そして、自分の部屋に戻ってきた青年は玄関を閉めるとそのままずるずると背中を扉伝いに引きずり座り込んだ。危なかった。
あやうく本当にキスしてしまいそうだった。ぎりぎりで思いとどまることができて、本当によかった。
再び虎徹とバディを組んでから、このように忍耐を強いられることが多すぎる気がする。最大の原因は部屋の出入りが自由であることだが、なにより、気のせいでなければ虎徹が警戒をしていないことが根本的な発生源だ。
たとえ部屋が出入り自由だろうが、彼女が一般的な女性として気をつけて振る舞っていればこんなことにはならない。
虎徹はあけっぴろな性格であるから、一見女性であることに頓着しているようには見えないかもしれない。だがずっと一緒にいたバーナビーは、虎徹がそんな女性でないことを知っている。虎徹は、自身へ向けられる下心には意外なほど敏感だ。それに相手の領域にはずかずか入り込むが、滅多なことでは逆をさせない。つまり、今のバーナビーにとって虎徹は、気は許されているが男としては見られていない。
導き出された結論に、バーナビーは抉られるような衝撃を受けた。青年は膝を抱えて体育座りになる。
(別に、意識して欲しい訳じゃないけど。でも男としてのプライドは傷つく……)
いや、そんなことより。これが続けば間違いなく間違いが起こる。バーナビーは己の理性に自信を持っていたが、それも先ほどキスしそうになったことで木っ端微塵となった。
手を打たねばならない。
もしも、次に二人きりのときであまりにも無防備な体を晒したら、大きく釘を刺そう。
バーナビーは決意すると起き上がって、スーツから着替えるために寝室へ向かった。

二十分後、少し遅れてしまったがバーナビーは再び虎徹の部屋へ戻ってきた。虎徹はティーシャツにハーフパンツと、まだ見られる服装に着替えてくれたが、それでも仕事の同僚相手にしていい格好ではない。
(まだ、一昨年市長の息子を預かったときは服を着ていた方だった)
あのときはシャツとスカートは身につけたままだったが、胸元までボタンは大きく開いてるしストッキングまで脱ぐしで、バーナビーは驚いたものだった。
「バニーちゃんおかえり」
「薬と、あと利尿作用の高いお茶をもらってきました、これを飲んでアルコールを出したらさっさと寝てください。明日来たとき起きてなかったら、もう来ませんよ」
「ありがとう」
バーナビーはフロントに連絡して手配させたそれを渡すと、そそくさと虎徹の部屋を後にした。虎徹が、まだ一緒にいたいような目で見てきたが、それは無視した。




「ちょっと! バニーちゃんどういうつもりなわけ!?」
事件が解決し、トランスポーターに戻ると虎徹がメットをかなぐり捨てて詰め寄ってきた。
「どうもこうもありません。虎徹さんができないことを僕がした。適材適所。それだけです」
先の出動で、二軍ヒーローは一軍ヒーローが出動している間に起きた窃盗事件の犯人を追っていた。犯人を追いつめたワイルドタイガーだったが、丁度能力が切れてしまったところを狙い犯人のNEXTが発動した。距離は不明だが、近い場所の空間を無機物のみ交換する能力で、虎徹は足下に穴が開き落下しそうになったところをバーナビーに腕を掴まれた。無防備になったバーナビーの背中に虎徹の足下のコンクリートが落下してきたが、他の二軍ヒーローがそれを破壊。犯人も捕らえた。「自分の身ぐらい自分で守れる! 他の仲間が助けてくれたおかげであの場は犯人を確保できたけど、もし助けが入らなかったら、」
「僕がどうなっていたか、ですか? 僕が虎徹さんを助けなかったら、それこそあなたどうなっていたと思うんです」
「スーツ着てれば高いところから落ちたくらいで死なないし!」
「あの商業施設は、僕らのいた二十階から下は吹き抜けで、あなたが落下したであろう場所には複数の買い物客がいたでしょうね。自分が平気なら彼等がどうなってもいい、と?」
「そ、そんなこと言ってない! でも、」
「でもじゃありません」
いい加減自覚してください。虎徹さんの能力の発動は一分なんです。きちんと考えて行動してください。それに、僕が我を通してあなたを助けた訳じゃありません。あそこには僕達以外にも仲間がいた。僕があなたを助けても、フォローしてもらえる、彼等が犯人を捕まえてくれるであろうことを確信していました。もっと、彼等を信じてあげてください。諭すような口調。
虎徹は反論の余地を失った。
「――っ、あ、あたし、は――」
唇を噛み、下を向く。その震える拳を、バーナビーはそっと両の手で握った。
「ごめ、ん」
絞り出すように小さく呟いた謝罪。青年は女の身体ごと抱き寄せた。後頭部を優しく撫でながら、あやすように言い聞かせる。
「虎徹さんが、能力が一分なりに、一分だからこそ頑張ろうとしているのを、僕は知っています。それはあなたにしかわからない苦しみでしょう。知っているだけで、僕は何にもできない。でも、一人じゃないんだってことをわかって欲しいだけなんです」
「ありがとう」
バーナビーの堅いスーツの胸板で、虎徹はさめざめと泣いた。彼女と再会して、泣いているのを見たのはこれが初めてだった。もしかしなくても、きっと彼女は今までずっと己の能力について悩み、こうして泣いていたのではないだろうか。――一人で。どうしようもない愛しさが込み上がる。
きつく抱きしめて、優しくキスをして、僕があなたを守ると告白したかった。スーツ越しで感じようのない感触が、また空しい。それでも、バーナビーはこの瞬間が永遠に続けばいいと思った。
「……ごめんね、情けない姿見せちゃって」
しばらくして、泣きやんだ虎徹が顔を上げた。バーナビーは名残惜しさを微塵もみせず、彼女を解放する。
「最近、うまくいかないところは全部バニーちゃんが助けてくれてたじゃない。それが情けなくて、さ。ごめん、バニーちゃんは全然悪くないのに。むしろあたしがしたいようにしてるのを助けてくれてるのにね」
虎徹の言葉に、バーナビーは内心ぎくりとする。
「なに都合のいいこと言ってるんですか。そんなわけないでしょう。いつもあなたの尻拭いばかりでこっちは大変です」「あはは〜、またまたあ。照れなくてもいいんだよ。バニーちゃんのおかげで、あたしまたヒーロー続けられれるんだって、しみじみ思ったんだからさ。証拠にバニーちゃん――今日気付いたけど、あたしが食ってかからなければ、ほかの無茶に対してなんにも言わないよね」
「勘違いです。いちいち言ってたんじゃきりがないだけです。仮にそうだとしたら、それでも無鉄砲を貫き通すあなたに怒りを通り越して感動すら覚えます」
「うん、ごめんね。こればっかりはどうしょもない。だから、頼りにしてるぜ、相棒」
「まったく。そのうち本当に愛想つかしてもしりませんからね」
大仰にため息をつくと、そこに隠すように虎徹は呟いた。
「それはそれで願ったり叶ったりかな」「え? なにか言いましたか」
「ううん、なんでもない! さ、早く着替えよっ」
不穏な言葉を確かめられる前まえに、虎徹はポーターの奥へ引っ込んでしまった。バーナビーも、もうここへいても仕方ないので自分も着替えに虎徹が入った扉の隣にある扉を開ける。
よもや彼女に気付かれているとは思ってもみなかった。
スーツを脱ぎシャワーを浴びながら、バーナビーは反省する。
虎徹からアクションがなければ説教をしないことは、さっきわかったと言われたが、まさかこちらが意図的に虎徹を補助していることを認識していたとは。
「あのひとは、ほんとずるい」
飴と鞭でいいようにされているのはこちらのほうだ。知っていてあんな行動とっているなんて、もう本当に彼女をどうにもできない。自分はひたすら彼女のために動くしかない。自分の意志で始めたことだったが、これで、自分の意志だけではない外的力で補強されてしまったことのなる。
だが、ある意味それも喜ばしいと感じた自分は、もう思い悩む必要もない幸せ者かもしれない。
虎徹はそうやってバーナビーを拘束したが、バーナビーもまた虎徹を手に入れたのだ。

歪んでいると理解しながら、バーナビーはやっと確固たる絆を手に入れたことに目頭を熱くした
                己の浅はかさを、

一体何度後悔すればよいのだろう。


「虎徹さん!!」
伸ばした手が空しく宙を切る。自分がついていれば安心だという慢心の結果がこれだ。
バーナビーの眼前が文字通り音を立てて崩れていく。
「虎徹さんっ」「バーナビーさん駄目です!」
半壊したビルへバーナビーは飛び込もうとする。しかし他の二軍のヒーローに止められてしまう。
「ここで闇雲にあなただけで行っても、ワイルドタイガーさんの二の舞です!」
「でも僕はまだ能力を発動していない!」
捕まれた腕をふりほどき、能力を発動させるとバーナビーは虎徹を探しにビルへ突入する。
ビルは、物を劣化させるNEXTの持ち主である連続誘拐犯がアジトにしていた建物だ。誘拐犯はすでに一軍ヒーローに捕まった。二軍は、一軍が誘拐犯と戦っている間に人質を解放する任務を遂行。先ほど完了したと思われたが、人質だったある少女が『まだ一人足りない』と供述した。ワイルドタイガーがそれを聞き、崩れる恐れのあるビルへ制止もきかず飛び込んでいったのだ。彼女はすでに一度能力を発動している。まだ一時間経っていない。なのに!
「タイガーさんどこですか、返事をしてくださいッ」
先ほどは取り乱して本名を呼んでしまった。バーナビーは今度はヒーロー名を呼びながら、今にも天井が落ち床を踏み抜きそうなビルを探索する。奥はまだ原型を保っている。崩れたのは入り口付近だけだったようだ。虎徹が巻き込まれた可能性は少ない……と思いたい。
一縷の希望にすがりながら、バーナビーは探査の手を進めていく。
「タイガーさんっ、タイ――!?」
階を一つ上がって呼びかけたときだった。かすかに、今誰かが自分の名前を呼んだ。
「タイガーさん、今呼びましたか!?」
――け、て……バニーちゃん助けて
「っ、わかりました。そこですね!」
聞き間違いなどではなかった。鋭敏になった聴覚は確かに虎徹の声を拾った。方角も距離も、バーナビーはまるで見たようにわかる。だからこそ、喜んではいられなかった。そこが崩れた入り口の近くだったからだ。急いで現場に到着すると、子供を抱えたワイルドタイガーの上半身が瓦礫の山から覗いていた。
「こて、タイガーさん!」
「ば、にーちゃん?」
虎徹は弱々しく頭を動かし視線を上げる。
「嘘、なんで……こんな危険な場所」
バーナビーが助けに来たことが信じられないとでも言うように、虎徹は呟く。なにが『嘘』だ、こちらこそなぜと問いたい。自分が虎徹を助けに行かない訳がない。危険な場所? 真っ先に助けに走った、どの口がそれを言うのか。
「いいから、今は救助が優先です」
「先にこの子をお願い」
言い争っている時間はない。伸ばした青年の手に、女は抱える八歳くらいの男の子をまず助けろと言う。
彼は目をつむり、ぴくりとも動かない。「大丈夫、気絶してるだけ」
怪我も無いと優しく微笑む虎徹に、胸が痛くなる。
バーナビーはしゃがむと男の子と虎徹の間に手を差し入れた。助けさせるために隙間を作ろうと力を入れた虎徹が苦悶の表情になる。引き出した男の子の体が真っ赤に塗れていて、バーナビーは息を呑んだ。
「虎徹さん、あなた……!?」
男の子は怪我をしていないと虎徹は言った。ならば、この血は彼女のものだ。慌てて男の子から虎徹に視線を戻したとき、使命をまっとうしたヒーローは安らかな表情で意識を失っていた――。


あなたは、いつか必ず、僕の手が届かなかった場所で、どんなに手を伸ばしても受け止められない場所へ行ってしまう。
能力持続時間が五分だろうが一分だろうが百分だろうが、問題ではなかったのだ。彼女がヒーローをしている限り、誰かのために彼女が命を落とす。
自分が努力しても、努力しても努力しても努力しても、絶対などない。守ることができない。それを、恐ろしいほど実感した。
もう二度とごめんだと、誓ったではないか。ぼろぼろになった彼女を抱きしめた絶望を。
力が抜けていき、重くなった体の感触を再びその腕に味合わせたいのか? 呼びかけても答えない、血の気の引いた、けれども安らかな表情。あれをもう一度見たいのか?
そんなわけがあるか。
では、彼女を生かすにはどうしたらいい?
どうしたらもこうしたらも、無理だ。彼女を変えることなどできはしない。
なにより自分がそれを望んでいない。ありのままの彼女でいてもらいたい。けれども、それは本当に?
望んでいない?
彼女との、ある一つの未来をおまえは望んでいるだろう。
無理なんかじゃない。
知っているだろう。
知らないふりをしているだけだ。
彼女のために胸に秘めている?
本当か? さらけ出し、玉砕し、結果己が傷付くことを怖れているだけではないのか?
もう充分わかっただろう。
傍にいるだけでは、傍にいることはできない。
覚悟を決めろ。
傍にいたいと願うならば、

―彼女に鎖を巻けばいい。





「あのこにだけは心配をかけたくなかった? 身勝手ですね。虎徹さん、何度も聞いてきたじゃないですか。自分は入院してるのにどうしてワイルドタイガーがHERO TVに出ているのかって。メールで憤慨していたのに、そのおかげで楓ちゃんが入院していたことを知られていなかったことは許容するんですか」虎徹は再び視線をそらした。
「あの事件の人質救出任務は、生放送はされませんでしたが後日二軍ヒーローの活躍にフォーカスされたコーナーが作成され放送されました。その後、何度か二軍中心のVTRが放送されています。あなたも病院のテレビで見たはずだ。一歩間違えたら、ワイルドタイガーのせいで二軍の番組は放送できなくなっていたかもしれない。あなたは前途ある後輩の芽を摘むこともいとわないというんですか」
虎徹はなにも言わない。バーナビーは名前を呼び、返答を催促する。
「違う」
一言だけ言い捨てた女へ、ならばと青年は迫った。
「では今ここで誓ってください。もう絶対に、無謀な行動はしないと。お願いです、僕はこれから先も虎徹さんと一緒にヒーローでいたいんです。あなたを守るためなら、どんな手段も選ばない。たとえそれがあなたの自由を奪う鎖を巻くことになったとしても。僕はあなたを死なせたくないんです」「バニー、おまえ、どうしてそんな」
女は乾いた声で問う。理解しがたいと、愕然として漏らした言葉に、青年は女の座る椅子へ手と足をかける。
「どうして、ですって? 決まってるじゃないですか」
虎徹へ覆い被さるようにしてバーナビーは告白した。
「僕が、あなたのことを好きだからですよ、虎徹さん」
頭上で低く囁かれた告白に、虎徹は驚くわけでもなく、恥ずかしがるわけでもなく、ただ哀れむように目尻を下げた。予想以外の反応にバーナビーの方が戸惑った。
「バニーちゃん」
女は挑発的に青年を見上げる。バーナビーの言葉に打ちのめされしおれていたさっきまでの様子が嘘のようだ。強い意志を宿し凛とした琥珀の瞳が、バーナビーの心を捕らえる。「もしもバニーちゃんが、あたしより大切なモノを作れたら、バニーちゃんと付き合ってあげる」
「な、」
突然飛躍しすぎた彼女の言葉に面食らった。
「でも、それができなかったら、あたしを守るのはやめて。大丈夫、あたしはもう無茶しないから」
その言葉を聞いて、虎徹の言わんとしていることがわかった。カッと頭に血が上る。
「やはりずるさにかけては虎徹さんのほうが一枚上手のようだ。いいでしょう。わかりました、そちらがその気ならこちらにも考えがあります」
不適な笑みを返し、バーナビーは言った。
「僕が虎徹さんの一番になれば、問題ありませんね」
「は!? なんでそうなるのバニーちゃん」
想像していた通り、虎徹は慌てふためいた。「なんでって、だってそうでしょう。僕は虎徹さんより大切なモノなんて作れるはずがありません。それを見越してあなたは僕を諦めさせようとしたのでしょうが、なら虎徹さんの一番を僕にしてしまえば解決します」
「いやいやいや、話飛びすぎ! なら解決しますって、全然筋通ってない。だいたい、バニーちゃんがあたしの一番になるわけ――」
女ははっとして口を押さえた。しかし青年は気にしてなどいなかった。
「そうです、お互いがありえないと主張している。なら条件は互角じゃないですか。さあ虎徹さん、賭けをしましょう」
あなたが僕に別の大切なものを作らせられるのか、僕があなたの一番大切な存在になれるのか。
「わかった。期限は?」やっと腹をくくってくれたようだ。挑むような視線をうけ、バーナビーは不敵に微笑む。
「今年の一二月二十四日。クリスマスイブです。さあ、これで成立しました。お互い頑張りましょうね。まあ、どちらにしろ僕が勝っても負けても、虎徹さんは僕とお付き合いすることに変わりはありませんけど」
「あっ!?」
その言葉に、すっかり忘れていたと女は間抜けな悲鳴を上げる。
「ちょ、ちょっと待ってバニーちゃんやっぱ待って」
「駄目です。パソコンのレコーダーに全部録音しました。言い逃れも釈明も不可能です」
「こん、の……ッ」
顔を真っ赤にして繰り出してきた虎徹の拳をひらりと交わす。
「さて、僕は明日出勤です。そろそろ眠りたいのですが寝室にはお姫様がいらっしゃる。僕は椅子で寝ますから、どうぞ虎徹さんは楓ちゃんの隣で寝てください」娘を自分の部屋で寝かせなかったことをしくじったとばかりに虎徹は顔をしかめた。もちろん、バーナビーはそこまで計算にいれて楓を自室のベッドに寝かせている。
「おやすみなさい」
「おやすみ!」
挨拶を振り返らずに答えて、虎徹は寝室の扉を閉めた。



テイルズ オブ エクシリア > アルジラ >
薄氷を踏む
(2011/12/29)
アルヴィンは子供のころ、叔父が父親に犯される光景を偶然見てしまってから叔父が嫌いになった。ジルニトラが難破し叔父の世話になることに反発しながらも、アルヴィンは大人になっていく。ところがある日、叔父に「好きに生きろ」と言われ裏切られた気持ちになったアルヴィンは、叔父との関係を切りたくないがためにジランドを犯そうとする。 胸くそ悪い終わり方です。
【R18/A5/28P/¥500】書店:快適本屋さん
今の状況は、薄氷の上に立っているようなものだ。
一歩でも、今の場所から動けば冷たい水底の餌食となる。
しかし、そのままいつまで同じ場所に立っていられるかもわからない。突然氷が割れてしまうかもしれない。
そんな状態で怯えているくらいなら、いっそ、こちらから壊してしまえ――





確か五歳くらいだったと思う。
俺はそれまで叔父が――ジランドール・ユル・スヴェントがまだ嫌いではなかった。かといって好きというわけではない。どっちかというと苦手、というか怖かった部類だ。昔っからあんなイカツイ顔してりゃ、そうだろう。常に眉間にしわを寄せ、声も態度も硬い。これで子供受けしろというほうが無理だ。
たった十三歳でスヴェントの分家当主の座についたジランドールは、本家であるウチにちょくちょく来ていた。ちょくちょくって、まあ、当たり前か。いくら分家の長だとて、ほんの十歳に毛の生えた歳の子供が一人だだっぴろい屋敷にいるなんて寂しいに決まっている。そもそも、こんな子供をどうして分家の当主にして本家を追い出したのか――いや、どうしてなんて今ならわかる。
父は、叔父が怖かったのだ。
優秀すぎる弟に、当主の座を追われるのではないかと不安になり、至った結果が分家の当主に縛り付けること。
一回りも歳が違うというのに、たかだか十数歳の子供にかすめ盗られると怯える。父が愚鈍だったのか、叔父が天才だったのか。あるいは両方か? 否、愚鈍が当主を背負えるほどスヴェントは軽くない。愚鈍ではなかった、しかし『平凡であれること』という非凡を徹しきることができなかった。平凡でいることの難しさを投げだして狂わねば心の平穏を保てなかったほどの、弟の非才。なによりの悲劇の始まり。
そのまま、父が何事も動ぜず普通を貫いていれば。
俺と叔父もまた、ああはならなかったろうに。


その日、俺はバランとのたわいない賭け事に負けて、屋敷の怪談を一つ解明してくるはめになってしまった。
当時の俺は情けないことに、すぐにぴーぴー泣く怖がりのガキで、膝をがくがくさせながら一人で屋敷の薄暗い廊下を歩いていた。
血の涙を流す肖像画だとか、真夜中になると段数が増えるだか減るだかの怪談だとか、暗殺された当主の亡霊が徘徊する廊下だとか、スヴェント本家はそういう話に事欠かない。
怪談の種類は自由に選んでいいということだったので、俺は一番安全そうで怖くなさそうなものを選んだ。すすり泣きの聞こえる客室棟だ。これはどういうわけか真昼間限定で、他の怪談が夜であることに比べれば、とガキんちょの俺は昼下がりに誰も使用していない客室が並ぶ廊下を検分しに行ったってわけだ。
掃除は使用人が何日かに一度はしているので、歩くたびに埃が舞うとか、窓が破れてカーテンが恨めしそうにばたばたはためいているとか、そんな恐ろしいこともない。すすり泣きが聞こえるなんて怪談を知らなければ、しごく真っ当なただの廊下だ。
パーティーを開くだとか大がかりな催しがないかぎり、客室棟は滅多に使われない。行き交う使用人すらおらず、自分ひとりきりというのは、己の家だというのに不思議な気分になった。恐怖は一歩一歩薄らいで、足取りは軽くなっていく。探検という心躍る単語が頭に浮かんだ。鍵穴から部屋を覗くたび、違う模様の部屋が広がってわくわくした。古い年代の様式がそのまま残っているので、知っている装飾の名称があると、俺は得意気になってもっと興味のおもむくままあちこちを物色した。
銀の匙しか咥えたことがない、物の価値は父親に徹底的に教え込まれて育ってきた。スヴェントとして一流たれ。名家の跡取りとして、恥じぬ知識と振る舞いを。誰にも引けをとってはならない。
父のそんな教えが窮屈で、元来気の弱いガキだった俺はよく母に泣きついていたが、赤ん坊のころから特別が普通だったもんで、まあ、違いのわかる人間だったってわけだ。
ついに俺は最初の目的を忘れて探検に夢中になってしまっていた。ところが、階を上がって冷や水をぶっかけられた。すすり泣きというより、抑え込んだ嗚咽のような、とにかく自然には発生しない音が耳に飛び込んできた。
エレンピオス人にとって賭けは絶対だ。腰が抜けたって目的は達成しなければならない。鼓動と共に荒くなる呼吸を無理矢理喉の奥に押し込めて、俺は音の出所を探るべく廊下を歩いた。昼間で明るいことが逆に恐怖を煽った、非現実を突きつけられた。
忍び足で進むごとに音は明瞭になっていく。音は声になっていく。人の発するものであると判明していく。
そして、とうとう見つけた。この扉だ。
板を一枚隔てた向こう側に、怪異が息づいている恐怖と緊張と高揚。恐ろしいが、なぜか興奮していた。
すぐそこまで近づいて、一人でなく二人分だと気付いた、新しい発見が拍車をかけた。自分は、とてもすごい重要な事実を掴むのかもしれない。そんな子供の空想が吸い寄せられるように鍵穴の向こうへ視線を導く。
荒い吐息。
詰めた嗚咽。
すると、新しい音が聞こえた。拍手……? 俺は鍵穴を覗く直前で動きを止めた。耳を澄ます。やっぱり拍手だ。緩慢に誰かが手を叩いている。いや、少し早くなった。だんだん拍手は勢いをつけていく。すると比例して聞こえる息が上がってきた。嗚咽も切羽詰まっていく。ほんの、時々合間に水音? 粘着質な音も聞こえる気がする。
『っ、ぅ…うっ』
扉の向こう側だというのに、まるで耳元で空気が震えた気がした。咄嗟に手で耳を覆ったが、生々しい感覚が耳朶に残って背筋を痺れさせる。
『ふぅッ、んっ…ぅん!』
嗚咽にしては、妙に絡みつくような声だった。
『ひ、ぅ…く…っ』
くらくらする。背筋の痺れが指先まで回ってきた。
『は…あぐッ…う、ぅう』
拍手の音と同じタイミングで、この声は聞こえる。
『ふぁ…ぅんッ、んん!』
まるで、引き結んだ唇が耐え切れず綻んでゆくように、声が漏れだしているような。
それに気付いたとき、俺はとうとう鍵穴を覗きこんだ。
ことを
後悔

『っあ、あぁッ』
一秒にも満たなかったかもしれない。
永遠だったかもしれない。
気付いたときには、俺は客室棟ではなく自分の部屋に戻っていた。
ベッドにもぐりこんで、寝具を頭から被り耳をふさぎ、ぎゅっと目をつぶった。体が震える。すべてを拒絶する。
だというのに、まるですぐそこに目の前にあるかのように、あの声が耳から離れない。まぶたの裏に、見てしまった鍵穴の向こうの光景が広がる。
始めに認識したのは、仰け反った真っ白な喉。
そこに汗で濡れた真っ赤な髪が張り付いて、鮮烈な対比に目を奪われた。
濡れた唇が赤く艶めいている。
揺れる髪が白く輝いている。
濡れた瞳が赤く艶めいている。
なによりも、その、あらわになった白い肌。
肌?
そうだ、あれは人間だ。それも一人ではない、二人。
その、白い肌に覆いかぶさって、白い肌は苦しそうに机に押し付けられている、ひと、は?
誰だ?
見たことがある。
あの後ろ姿は、父だ。
押しつぶされているのは、叔父だ。
父の腰が動くのと同じく、手を叩く音がする。ぐちゃぐちゃと耳に痒い音が響いて、叔父が啼く。
『っあ、あぁッ』
いてもたってもいられず、走り出す。
違う、違う違う違う違う。
あれは父ではない。顔は見ていない。
でも、啼いていた叔父は、顔を見た、あれは確かに。いつも眉間にしわを寄せてこちらを見下ろしていた。近づく前に父がいつも遠ざけた。父は叔父からいつも息子を取り上げた。まるで一緒にいたら息子が殺される、そんなふうに。
父は叔父が嫌いだったはずだ。
その、父と(違う父ではない)叔父が、
なに を して い   た ?
わからなかった。
知らなかった。
まだ子供だった。
けれども、絶対に見てはいけないものを見たということは、それだけはわかった。
嫌いな人間を折檻しているのだと、思えたらどんなによかっただろう。それは違うと、なぜかわかった。
誰にも言ってはいけない。
誰にも知られてはいけない。
当人たちには気付かれなかっただろうか。それだけがただただ心配だった。
大丈夫だ、音は立てなかった。はず。
塞いだ耳に、どくどくと血管が脈打ち流れる音が響く。
はやる呼吸が、大丈夫だ心配ないと落ち着けようとする思考を揺さぶる。
落ち着け、落ち着け、落ち着け。
今にも泣きだしそうになりながら、小さな子供は目と耳を塞ぐ。俺にはそれしかできない。拒絶するしかできない。
ちらつく赤と白と声を振り払う。
あれは違う、/なにが違う?
違うという元は、比較対象は、正しいあるべきは、なんだ。
わからない。
混乱して、ならば全て蓋をする。
遠ざけることで心の均衡を保つことしかできなかった。
俺は、叔父を嫌いになることにした。






秋から寄宿学校に入学することになり、叔父とその後まっとうに顔を合わせることなく離れられたことにほっとしていた。親元を離れるのは酷く寂しかった。特に母とは。よく泣きごとを書いた手紙ばかり送った。寂しい。寂しい。
それでもスヴェントの名前は絶大で、それなりに友達みたいなものもできた。こびへつらうやつ、反発するやつ、とにかく今までにない色々な人間がいた。勉強も人付き合いも忙しい。手紙を書く頻度は少しだけ下がった。実家のことを思い出すことは、つまり叔父に関係あることを考えることは少なくなった。
だのに、せっかく平和にすごせていたのに、父が家族で旅行にいこうと言い出したことで、俺の平穏は再び破られた。
なぜ、父と母と息子の三人でなく、叔父まで一緒なのか。
それでも長期休暇に帰省した俺は、逃れることもできず旅行についていくしかなかった。久しぶりに会った父は、常に笑顔で、比例するように叔父の表情は硬かった。
おかしい。
確かに父は普段からおだやかな表情をしている人だったが、ここまであからさまにご機嫌な人間ではなかった。叔父も、渋面が化石のように張り付いた顔だが、それにしたってここまでこわばってはいない。
久しぶりに家族そろって旅行にでられるのが嬉しいと、父は言いながら船に乗り込んだが、それならなぜ叔父がいる。父にとって叔父は家族ではないはずだ。荷物も多いし、使用人もこんなに連れてきて邪魔ではないだろうか。
不自然さが奇妙で、俺はとにかく父と、なにより叔父から離れたくて母にべったりと張り付いていた。
「アルフレドったら、大丈夫よ、お船は怖くないわ」
気晴らしにデッキへ行きましょう。
母の言うとおり実は若干、というか結構船が怖かった。海に初めて来たと言うこともある。薄暗い大きな水たまりが、まるでこちらを呑み込もうと舌なめずりをしているように感じた。デッキへ出てもその思いが強くなるだけで、気付いたら医務室に寝かされていた。母が泣きそうな顔で手を繋いでいて、俺はたまらず抱きついた。
ジルニトラは振動制御のとれた豪華客船だ。滅多な大波以外、揺れは少ない。医者に珍しがられながら船酔いの薬を処方されて、俺は仏頂面で受け取った。好きで繊細なわけではない。そもそも今回は船の揺れでなく環境の変化と父と叔父のせいだ。が、そんなこと言えるわけもない。おとなしく薬を飲むと、それでも若干気分が改善された。
きらぎらしい豪華客船の内部は、寄宿学校にいたためか懐かしく思えた。デッキではなく船内の遊技場で暇をつぶすのは気が紛れた。
とにかく、叔父と一緒の空間にいたくない。父と二人きりにさせてしまったことまでは、考えたくなかった。
「さあそろそろ晩餐会の支度をしましょうね」
子供なのに、仕立てのいい燕尾服を着せられて飾りたてられる。スヴェントの次期当主として衆目にさらされる。俺はまた気分が悪くなった。なにより、叔父が射殺しそうな目で俺たち家族を見ていた。それが、ひどく、吐き気を催して俺は泣きながらぶっ倒れた。


そのとき俺は夢を見た。
誰かが泣いているなと思ったら、やっぱり俺で同時にずいぶん目線も低いなと思った。六歳の俺じゃなくて、もっと小さい、俺も無意識でなきゃ思い出せないような何歳かもわからないときの記憶なのだと、なんとなくわかった。
泣いている俺を必死であやしてくれる相手も、もちろんいた。あったかい手。母より小さくて、柔らかくない。誰だろう。俺は視線を上げる。すると、血みどろの叔父がいた。
『っひ!?』
驚いて気付いた、痛いのは俺もだった。地面に血溜まりが広がっていく。怖くて、また泣いた。それを必死に叔父があやす。
『アルフレド、大丈夫だアルフレド。あいつらが戻ってくるかもしれない。はやく逃げて、大人を呼んでこい。アルフレド』
叔父は足を怪我したのか動けないらしかった。俺が怪我したのは自分を庇った手で、そこだけどくどくと血を流し、熱を持って痛かった。それでも走れと言われれば走れた。俺はやっと涙を拭って走った。本邸へ帰ったとたん使用人がわらわらと俺を取り囲んで、母がきつく抱きしめてきた。父が血相を変えて私兵を連れて俺の血の痕を辿って走っていった。
『ジランドール叔父ちゃんを助けて!』
ようやく俺は叫んで、やっぱりまたわんわん泣き出した。手当をされても安静にせず、門の前で叔父を待つことをガンとして譲らない。何時間かして父が戻ってきたとき、俺は兵にかかえられた叔父を見て、また泣いて傷の熱でぶっ倒れた。隣の母が支えてくれなかったら、頭から地面にコンニチハしていたくらい勢いよくぶっ倒れた。
そうだ、思い出した。あの射殺しそうな目。あれは叔父でなく戻ってきた父の叔父を見る目だ。
父は、弟が息子を襲ったのだと勘違いした。
本当は、俺が癇癪を起こして家を飛び出てついてきてくれた叔父が、スヴェント本家の息子を誘拐しようとした悪漢から助けてくれただけなのに。
それから叔父は分家の当主にされた。だから、あれはきっと俺が三歳かそこらのときだ。


それからしばらくを、俺はベッドで過ごした。
考える時間だけは腐るほどある。
酔い止めの薬だけでは収まらない眩暈と気持ち悪さにさいなまれながら、思考すら体を蝕んだ。
六歳の頭の足りないガキが、悩んだってどうにもらなないくせに、考えて、考えて、考えた。
自分は叔父をどう思っているのだろう。
一緒にいたくない、から、嫌い?
違う、考えたくないから、遠ざけるために、嫌い。
じゃあ今考えているのは? よくわからない。
泣いて、寝て、悩んで、泣いて、夢と現実が曖昧になる。
叔父が見下ろしていた。
『アルフレド、おまえ、見ただろう』
夢か、幻覚か幻聴か。とにかく衝撃に寝台から落ちた。
落ちたのは衝撃、そう、滅多にゆれないジルニトラが、大きく揺れていた。
「アルフレド!」
母が飛び込んでくる。俺を抱えて、女とは思えない力で甲板を目指そうと走る。使用人が荷物を持って後からわらわらとついてくる。
抱えられて自分の足で歩いているわけではないのに、母の一歩一歩に歪みを感じた。平行が崩れる。取り巻く周囲の環境ごと捻れる感覚に息が詰まる。怒号と悲鳴が遠い世界のように聞こえる。明滅する明かり。それもついに切れて、真っ暗闇になる。それは俺の意識が途切れた景色だった。


§   §   §


ジルニトラは破れた断界殻を越えて、リーゼ・マクシアに漂着した。もちろんそんなこと当時はわかるはずもなく、船の内部は混乱を極めた。それを、たった一人でまとめあげた人物が、叔父だった。
若干十五歳の、スヴェント分家当主。
「兄さんは死んだ」
血に染まった被服と、スヴェント本家当主の証である銃を持って、そっけなく叔父は言った。母は泣き崩れた。俺は何となく、叔父が父を殺し損ねてしまったんだろうなと思った。父は死んだが、手を下したのは叔父ではない。本当に事故だったのだろう。叔父はとどめをさせなかった。叔父の苦しそうな表情は、俺には悔しそうに見えた。
父が死んでも、むしろ父が死んだからこそ俺は叔父のそばにいたくなかった。ひっそりと陸で暮らしたが、すぐに蓄えはなくなり、俺は叔父に助けを求めるしかなくなった。





十発中六発。
マトに残った弾痕を数えて俺は顔をしかめた。
「おまえ、それでもスヴェントの人間か」
追い打ちをかけるように、叔父の言葉がさらに俺の顔を滑稽なものに変えていく。
それでも言い訳はしなかった。叔父は鼻で笑うように嘆息すると、自身の銃をかまえる。
「よく見ていろ、こうだ」
続けざまに、森の中で十発の発砲音が響く。
「子供だから仕方がないのかもしれないが、反動を無理に殺そうとしても無駄だ。体格で補えないなら、バネを利用しろ」
これみよがしに父の形見の銃を振りながら叔父が言った。マトを見ても、弾痕は十一。一つしか増えていない。新しく増えた、真ん中の穴を俺は睨みつけた。
「見てるだけじゃ上達しないぞ。構えろ」
言うとおりにするのはシャクだが、そもそも頭を下げて教えをこうたのはこちらだ。エレンピオスに再び帰還するために結成したジルニトラの人々の組織、アルクノアを統率することで忙しい叔父は嫌々ながら引き受けてくれた。
忙しいというのなら、他の腕の立つ人間をよこせばいいものを。たぶん、そう言っても『スヴェントの名がすたる』とか言って絶対叔父自身がやってくるのだろうが。
俺たちは、お互い素直になれなかった。いや、それは俺の方で、叔父は甥を扱いあぐねているといったほうが正解かもしれない。
あのときの俺としては、叔父に近づくことが怖かったので、正統な跡継ぎである自分から銃を奪った相手という、わかりやすい態度で接することにした。
態度は鏡だ。そのまま返ってくる。だから、叔父も甥から当主の座を奪った人間として振る舞うようになってくれた。
憎むことはたやすい。
俺は、かたくなに叔父を受け入れない態度を貫いた。

どうしてこんなにも叔父を嫌いになりたかったのか。十五の年で、おれはようやく気付いた。否、気付いてしまった。それを、酷く後悔した。

ジュードにも話したことがあるが、十五の俺はもう傭兵として生計を立てていた。母は狂い、叔父の手の届かない土地へ引っ越し、稼いだ金は全部母の治療に使い、質素な生活を営んでいた。
汚い仕事も随分こなした。心だけは、もう一丁前に大人だった。人前では年相応の少年として振る舞っても、心の中は冷め切っていた。人を殺すことに躊躇はない。子供なのにと薄気味悪がる人もいたが、逆にそれがプロだと腕前を認めてくれる人もいた。
だが腕前はきちんとしていても、十五の子供が受ける仕事なんてたかが知れていた。時々、生活に困ってどうしようもなくなったときに限り、俺は叔父を頼った。
胸くその悪い仕事だった。初めて寝た相手を殺した。女を殺すのは、母のこともありあまり好きではなかった。裸体を伝う血と、恨めしげな瞳に思わず吐いた。
そもそも、俺は誰も好きになることなんかできない。
俺はエレンピオスに帰るのだから。
ならばアルクノアの構成員とでもと思われるかも知れないが、あいつらは俺の素性を知っている。アルクノア首魁である叔父と甥の不仲は周知の事実だ。そんな俺に好き好んで好意をよせてくる奴なんか、下心のある人間ばかりだ。……もしかしたら、本当に好きで打算もない人間もいたかもしれない。でも俺は自分と母のことで精一杯で、そんな気持ちに気付いてあげられる余裕なんかなかった。
女の死体の横でげえげえ吐いて、それで、俺は唐突に理解した。
父が叔父になにをしていたのか。
どうして叔父を嫌いにならなければいけなかったのか。
俺は女ののぞける白い喉に叔父を見ていた。
俺は、叔父を欲望の目で見ないように必死だったのだ。
不快で仕方なかった。
吐くものがなくなって、胃液の不味さに鼻をやられながら俺はまた吐いた。
吐いて、吐いて
吐いても、吐いても
気付いた気持ちは、出て行かなかった。

ジランドは父に犯されていたのだと気付いてから、俺はますますジランドと疎遠になった。年もとって子供だからと見くびられる機会も減った。仕事は増えた。若造が、という目で見られるようにはなったが、それでも『子供だが腕が立つ』より『若いが腕が立つ』のほうが格段に扱いが違う。
ジランドと、アルクノアと接する機会が減って、俺はご機嫌だった。そのまま順調に傭兵家業を続けられると、思っていた。矢先に母の病状が悪化した。エレンピオスの技術、つまりジランドを頼る自体に再び陥ってしまった。

久しぶりに会ったジランドは、また一段と厳めしい顔つきになっていた。
「しばらく見ねえうちにでかくなったな」
リーゼ・マクシアに漂着して十二年。振り返れば一瞬だが、子供が大人になるには十分な歳月だ。
「あんたは小さくなったな」
「ぬかせ、そっちの背が伸びまくっただけだろうが」
叔父を見下ろして言った俺の言葉に、ジランドはまともに答えた。少し、意外だ。
ジランドはラ・シュガルの王、ナハティガルに取り入り黒匣の開発を行っていた。ようやくここまでこぎ着けることができた、そう、きびしさを増した表情には書いてあった。
「それで、義姉さんの病状が悪化したって?」
「あんたなら、どうにかできるだろ」
叔父の口調はエレンピオスのころより乱暴になった。それでも母を呼ぶときだけは、なんとなく柔らかくなるような気がして、俺はいらいらした。
「イスラという女がいる。若いが医者としてなかなかの腕だ。アルクノアの一員じゃないが、弱みを握っている。そいつに渡りをつけておく」
「……ありがとう」
礼を言うと、ジランドの瞳がはっと見開かれた。
「なんだよ」
「いや、それなりに礼儀はわきまえているようだな」
「母さんのことがなきゃ、誰があんたなんかに頼むかよ」
叔父の言い方にかちんと来て、思わず言葉を返す。ジランドの表情が元に戻った。
「前言撤回だ。やっぱおめーは昔から変わらずかわいくねえガキだ。せっかくラ・シュガル軍から仕事持ってきてやったのに、その必要もねえみてえだな」
「なっ、おい、そりゃねーだろ!」
俺はしぶしぶ頭を下げる。
「お願いします」
「よし」
顔を上げると、ジランドがニカッと気持ちよさそうに笑った。
なんだ、それ。
嫌悪感で胸がいっぱいになる。
叔父は、こんなふうに笑う人間だったろうか。
俺なんかよりよっぽど大変なくせに、どうしてそんなふうに笑えるんだ。俺は、もう随分と薄っぺらい上っ面の笑みしか浮かべてこなかったのに。どうして、そんな、あんた、普通に笑ってるんだ。
カッと血が上る。衝動的に殴り飛ばしたくなって拳を握りしめた。力を入れすぎて震える。
嫌いな相手に、どうしてそんな顔ができる。俺があんたを嫌いだって、知ってるだろ。俺があんたに笑いかけたことなんて今までにあったか? 覚えていない子供のときくらいだろ。少なくとも、あの誘拐されそうになった事件以来はないはずだ。
だがしかし、問おう。
俺はジランドール・ユル・スヴェントのなにを見てきた?
なにも知らない。知ろうともしなかった。知りたくなかった。けれども知ってしまった。
父が叔父になにをしていたのか。
そしてそれを見た俺が抱いた感情がなんだったのか。
まただ。吐き気がする。
「おい、アルフレド?」
口元を押さえてしゃがみこんだ俺に、ジランドが手を伸ばす。俺は反射的に振り払っていた。
「さわるな!」
そうしてまた俺は気分が悪くなる。だから、なんで、そんな。俺に拒絶されて傷ついたような、顔、するんだ。
ほんの一瞬だったが、振り払って顔を上げたときに見えてしまった。
「最近あんま飯食ってねえから、ちょっと立ちくらみがしただけだ」
苦しい言い訳ではあったが、意外にもジランドはあっさり信じた。
「ったく言わんこっちゃねえ。そんなぎりぎりまで意地張って、死んだらもともこもねえだろうが」
「は、傭兵家業してる人間に言うことかよ」
俺は立ち上がると、ジランドから仕事の契約書をせびった。とくにもったいつけず叔父は書類を差し出してくれたのに、俺は引ったくるように受け取ると、挨拶もそこそこに別れた。
もう一分一秒でも、あそこにいて己を保てる自信がなかった。



テイルズ オブ エクシリア > ガイミラ >
マクスウェルの小悪魔
(2013/12/30)
ガイアスがミラ様に美味しくいただかれる話。
『NevideblaMano-ミラの直接使役時におけるマナの供給方法が、体液を触媒にした粘膜摂取でも可能となっていたらIF』の続き。わりとミラ様が押せ押せな感じになってますが、ちゃんとガイミラです。ひんひん言わせられるのはミラ様です……多分、うん。最終的には。
【A5/16P/¥200】
好意を寄せている相手に見つめられるというのは、常なれば喜ばしいことだ。
がしかし。
今にも獲って食わんばかりに、目を爛々と輝かせ、愛らしい唇が緩んで涎が垂れそうになった――そんな表情で、見つめられるというより狙われているのは、心休まらない。気分は虎視眈々と食い時を待たれる肥えたブウサギのよう。
次の街へ移動する最中。ガイアスはミラの視界から逃れるようにさりげなく体の向きを変えた。それでも背中にぐさぐさ刺さってくる視線を感じる。
マナが遮断された分史の遺跡に閉じ込められて以来、ミラはガイアスを『美味しく』感じるようになってしまったらしい。それからというもの、ミラはガイアスを再び味わおうと機会をうかがっている。比喩でなく。
本当に、ただ、美味しいものを味わいたい、それが目の前にあるならどうして食べないでいられようか、という純粋な食への欲、執着、それに彼女は従っているだけだ。いつものように。
精霊は元来、食べることなど必要ない。ところがミラは人の肉体で生まれながら精霊となった、稀有な存在だ。四大の守護を失った過程で、人間としての生活に慣れ親しんだ。特に、食事という過程に。
おかげで、彼女は精霊の主マクスウェルでありながら大変な食欲魔人と化した。その影響たるや、四大やミュゼにまでおよび、食に興味のなかった彼等まで人の食べ物を欲しがる始末。
「はぁ……」
ガイアスは思わず溜息を漏らしていた。
そう、もとをただせばミラが人間であることに全ては起因する。ミラが体液を媒介にしたマナの粘膜摂取が可能であることは、彼女が人間だったからだ。そのおかげで彼女は以前分子世界のマナが遮断された空間にガイアスと閉じ込められてしまった際、ガイアスから直接使役――ガイアスに抱かれることによって現界を維持した。
ミラが人間だったからこそ、あそこで消えることを免れることができた。けれども、そのおかげで今こんな、ミラに『美味しい食べ物』として認識されるようになったしまったのは、いけない、困る、どうしたらいいかわからない。とりあえず二人きりにならないという、逃げの姿勢でしか対処できていない。
ミラには己の気持ちを打ち明けてしまったものの、彼女の態度は変わらない。ガイアスとて、心から嫌だと思えないことに自己嫌悪していた。たとえそれが彼女の底なしの食欲のせいだとしても、心寄せた相手に触れたいと、心のどこかで思っている。同時に『ただの美味しい食べ物という認識』で彼女に喰われるのは、嫌だ。それなら今のまま逃げ続けるほうがましだと思う心もある。
『あの時は、ああするしかなかった。仕方がなかった』
何度も繰り返し、ガイアスは己に言い聞かせる。まったくもって自分らしくない行動しかとれない。
「ガイアス、大丈夫か?」
ふいに、ルドガーが小声で話しかけてきたことで、ガイアスは思考を現実に戻した。先程の溜息を聞かれてしまったのだろうか。
「なんか最近、元気ないなって思ってるんだけど。さっきも、溜息なんてついてたし」
「あ、いや……」
どうやら溜息はきっかけに過ぎないようだ。なるべく表には出さないようにしていたものの、友にはとっくのお見通しだったらしい。
「ジュードも、ガイアスのことは気付いてないみたいだけど、ミラがガイアスを、その」
美味しそうな食べ物を見る目になっているのは気にしている。そう告げられて、なんでもないと済まされる状況ではないとガイアスは判断した。
「やると約束をしたわけではないが、あいつが美味いと思うものを知っている」
「あー……」
ルドガーは得心がいったというより、友の心痛の種をこちらが変に気にしてしまった気まずい返事を漏らした。ガイアスとしては、嘘は言っていないものの、ルドガーに心配をさせてしまったこと、そして本当のことを告げられないことを申し訳なく思った。
「こちらが無視していれば、そのうち諦めるだろう」
「贈りづらいものなのか?」
「そうだ」
「それは……知られてしまったのは、運の尽きというかなんというか」
「ああ」
ガイアスであるならば、ある程度の珍味くらい手に入れてこられそうだ。それができないということなら、よっぽど貴重なものなのか。ルドガーの言葉は当たらずしも遠からず、ガイアスは溜息交じりに答える。
「その、一応ジュードにはかいつまんで話させてもらっていいか」
「かまわない。むしろ助かる。だが、この件は一切手出し無用にしてもらいたい」
「うん」
ミラの手綱を捌ききれる者などいはしないが、それでもジュードならばミラを多少なりともたしなめられる。
ルドガーはガイアスからは言い出しにくいことらしいと彼の言葉から感じ取って、声をかけたことは間違いではなかったと胸を撫で下ろした。


§   §   §


すっかり油断していた。こちらの落ち度だ。
ガイアスはまさに絶体絶命だった。宿の寝台の背もたれが冷たい。追い詰めているのはミラ。唇までの距離は、もう拳一つ分しかない。
ルドガーづてでジュードに話が伝わり、近頃のミラはめっきり大人しく他の食べ物をいつも通り食べまくっていた。はずだった。しかしそれは演技だったらしい。
今宿にいるのはルドガー、アルヴィン、ガイアス、ミラそしてエル。あいにく三人部屋がとれず、クジでガイアスのみが一人部屋になっていた。
夕食を食べに出ようということで、ルドガーからエルに、同室のエルからミラに、そしてミラはガイアスと話がしたいからと先に行ってもらいたいと伝えたらしい。もちろん、とうの彼女はしれっと
『ガイアス、調べた店が席を確保できたみたいだから、今から行くぞ』
などと部屋の外から声をかけてきた。そこでうっかり扉を開けて――今にいたる。
「俺なんぞより、この街の特産品のきのこを大量に使ったレストランでの食事のほうが、ずっとうまいと思うぞ」
「なに、おまえを味わったら食べに行く」
「俺は前菜か」
「いや、別腹というやつだ。きのこはきのこ。ガイアスはガイアスだ」



「ふぅ…う、んむ、むぅ」
なんともうまそうに雄をしゃぶるミラの姿はひどく扇情的だった。時折腰を揺らし、物欲しげな視線を投げかけてくるので、彼女の躰もまた熱く疼いているようだ。
「体勢を変えるか?」
寝転がって頭の向きを反対にすれば互いに愛撫できる。
「ふぁいじょうぶだ」
言って、ミラはいったん口を離した。
「おまえの手にかかっては、私はまともでいられなくなる」
「……わかった」
その、言葉が、いや、彼女がこの部屋で発する一言一言が、どんなにか男の心を乱れさせているか、彼女はわからないだろう。舌や手よりよほどこちらを追い立てる。
太く脈打っていくのがわかったのか、ミラはことさら動きを激しくした。ガイアスは堪らず逐情する。
勢いよくほとばしる精液を、ミラは夢中で飲み込む。一滴までも逃さないと、吸い上げ舌先が絞り上げるように動く。
だが、ミラはそれだけでは終わらせなかった。
「く、うっ」
萎えたにもかかわらず、指で、舌で、刺激を与え続ける。
「ミ、ラ、」
止めようと伸ばした手を、女は握る。
「すまない、けれど、もうこれを挿れてほしくてしょうがないんだ」
熱に浮かされた、潤んだ瞳と甘い吐息のような懇願。断れるはずがなかった。ぐ、と顎を引き退いたガイアスに、ミラは手を離すとまたそこを刺激しようとする。だが、それは必要なくなっていた。再び硬度を取り戻した雄芯を確認するやいなや、ミラは服をマナに戻して吸収し跨った。
「あっ、あぁ……」
自ら腰を落とし飲み込んでいく。男は咄嗟に女の躰を支えることしかできない。
「無茶をする」
「だ、て…ッ」
すっかり根本まではめて腰を下ろしたミラを引き寄せ、落ち着けとあやすように頭を撫でれば、駄々をこねる子供のように女は頭を振った。
「きのこ料理も、食べたい」
「……」
やけに性急だと思ったが、そういうことだったらしい。


テイルズ オブ エクシリア > ガイミラ >
精霊の主に恋をした、最後の王様のお話。
(2012/12/30)
ジュミラ前提ガイミラ。分史ガイアスに告白されたという正史ミラの話を聞いて、正史ガイアスがあわてふためく話。
ガイミラの究極はガイアスが魂の洗浄前に無理矢理精霊界のミラ様のところへ行って「よしよし頑張ったな」って労ってもらうことだと思うので、理想をぶつけた。
【A5/24P/¥400】
「やはりお前も人間だな。」

彼と彼女にとって、その言葉が始まりであり全てであり終わりだった。
否、彼にとっての彼女が、その言葉が始まりであり全てであり終わりだった。


彼は人の中にあって人と同列ではなかった。抜きんでて飛び出た存在に、過去幾度も怯えた目と尊敬の眼差しを、断末魔と畏敬の言葉を受けてきた。
それを、彼女は当たり前に言い切った。
「お前も人間だ」
たった一言だ。しかし、お前『も』人間だという一言に込められた意味は、果てしなく重い。彼がどんなに人として抜きんでた存在でも、彼女の前では等しく人であり守るべき者であり、なにより彼女にとっては等しく『人』というその他大勢だった。
もしも『お前は人間だ』と言われていたら、今と少しだけ状況が変わっていたかもしれないと考えてしまうくらいに、その言葉は彼にとっての始まりであり全てであり――終わりだった。
そう。彼は人で、彼女は精霊だった。
だからこそ始まった関係は、だからこそ終わった。
人と精霊。共に歩む未来を築くことはできても、共に添い遂げる未来はありえない。
彼はそれをよしとはしなかった。彼女を失いたくなかった。彼女と話し触れ合えるよう、彼女を人として生かす為にあらゆる手段を講じた。彼は自分なら彼女を人として生かす自信があった。精霊の主としてしか生きられないと考える彼女に、人としても生きられるよう彼女を悲壮な運命と使命と重責から救えると思った。
今にして思えば、なんと愚かで思い上がった考えかと呆れる。だがそれは彼女が精霊の主として今も世界を見守っているからそう考えるのであって、あのとき彼女を人にしていれば彼はまた違った形で彼女と共に世界の為に尽力していただろう。彼と共に彼女があるということは、即ち人の世で人と精霊のためにあることだった。
彼女は精霊界で人と精霊の為にあり、己は人間界で人と精霊の為にある。彼にとって『もしも』とは未来に対する不測の事態を回避するためのものであり、決して過去を起点とした現在という未来を夢想するものではない。
現に、彼は己が人で彼女が精霊だからこそ、この想いはあるのだと受け入れている。
精霊の主となった彼女は、彼が守る必要のない世界で唯一の存在だ。彼にとっては世界で唯一の安心、安らぎを与えてくれる存在、つまりは心の拠り所となった。
それが、彼が人で彼女が精霊である、始まりも終わりも内包した、全て。

それでも、創世の賢者の真実を知ってしまってから、軟弱なと自嘲しながらも考えるだけ無駄と知っていても、時折想ってしまう。もしもの世界。彼女が人として自分の隣に立つ世界を。

分史世界。

誰もが想い願う、世界を危機に陥れる夢の世界を。



それは、雪の夜に語られる
精霊の主に恋をした、最後の王様のお話。




1

「もしもし、ヴェルです」
ルドガーのGHSが鳴り響き、もはやお馴染みとなった分史世界出現を伝えてきた。
さっそく進入点として伝えられてきたザイラ森に降り立った一行は、相変わらず寒いとガイアス以外身を震わせる。早くカン・バルクに向かおうと、皆目印の城を探しぐるりと周囲を見渡した。
「あ、あれ!」
いち早く城を見つけたにしては緊迫した声をあげたレイアに視線が集まり、すぐに彼女の指す先へ全員が顔を向ける。
「あれは、エレンピオス軍の……」
「空飛ぶお船ー!」
「うむ、どうやら今回は過去の世界のようだな」
エリーゼとティポの呟きにガイアスは頷く。詳しい事情を知らないルドガーとエルに、ジュードは手早く当時のことを説明した。
「すると、カン・バルクに今行くのは」
「得策ではないわね」
ミュゼがルドガーに首を振る。
「教会に俺等がいるか、一応確かめようぜ」
そうすれば本当にその時間軸なのかはっきりする。アルヴィンの提案に一同は同意する、が。
「問題は、誰が行くかですね」
ローエンが神妙に呟く。教会にはルドガーとエル以外全員いる。もし自分と鉢合わせたらややこしい。かといってエレンピオス人のルドガーもまた、事情に疎く見つかったら面倒なことになる。
「私が行く」
誰がどこにいて、なにをしていたかだいたい把握しているし、服も再現できる。そんなミラの提案に、はっとしたように男性陣が顔を強ばらせた。
「そ、それならお願いするけど……気を付けて。俺たちはあそこの洞窟にいるから」
「ああ、ではな」
ルドガーがぎこちなくミラを送り出す。
「ね、ルドガーどうしたの?」
エルと、口にはださなかったがレイアとエリーゼも同じく怪訝な表情で男性達を見ている。
「いや、なんでもない。それよりはやく洞窟の中に入ろう」
まさか『やっぱりミラって全裸なのかなって思って』なんてこと言えるはずもなく、ルドガーはそそくさとエルの手を引いて洞窟へ向かった。
起こした火がぱちぱちと乾燥した空気を鳴らす。もう外はすっかり真っ暗になって、日付も変わっている。狭い洞窟に身を寄せ合った九人は眠気とそれを上回る不安に口を閉ざしていた。
一際大きく火が跳ねて、丸太がごとりと焼け落ちる。合図のようにしてエリーゼが呟いた。
「ミラ、遅いですね」
「大丈夫かなー、絶対お腹すかせてるよー」
憂慮すべき事態であるが、ティポの言葉に全員がほんの少し緊張を和らげた。
「俺が見てくる」
誰よりも早くルドガーが立ち上がった。誰もがミラを心配するが故に、ルドガーしか適任がいない。彼は一番それを分かっている。
「三時間して戻らなかったら、頼む」
「一応、この時間はみんな部屋で寝てると思うから」
「危なくなったらすぐに戻ってきてくださいね」
口々に気を付けてと背中に声をかけられながらルドガーは外に出た。吹雪でないのが救いだ。雪が月明かりを反射して、うっすらと明るい。何度かここら一帯の雪原を歩いたことがあるにしても、視界がなければどうしようもないわけで、ルドガーは安心した。
もし見つかったときの言い訳を考えながらルドガーは魔物を避けつつ白い世界を進む。
「凍らないうちに早く見つけないと」
懐にいれたサンドイッチを、ルドガーは上から押さえた。ティポの言葉がなければ気付かなかったが、そういえば彼女は大の腹ぺこ精霊なのだ。もしミラが無事だったとして、来てしまったルドガーをたしなめたとしても、これを出せば一発で許してくれる最終兵器だ。
さいわいにして、教会はすぐに見つかった。周囲に残ったいくつかの足跡から予測して、ミラはまっすぐ教会に入ったらしい。大胆だ。
哨戒の兵がいないのは助かるが、あまり無防備にうろうろしてもこの世界のガイアスあたりに気配を読まれそうな気がして、うかつに近づけない。
「っ!?」
そのとき、ルドガーは己の考えが正しかったことに安堵と戦慄を覚えながら岩影に隠れた。
教会の二階、外廊下に現れたガイアスを、ルドガーは驚きをもって死角から仰ぎ見る。隣には、ミラ。服装はルドガーの見知ったもののままだった。
(ビンゴ)
正史のミラを見つけたことで安堵したルドガーの目が時歪の因子を捕らえた。ガイアス、ではなくガイアスの頭にある飾りに黒い歪みが蟠っている。おそらくミラも時歪の因子の正体は看破しているはず。穏便にガイアスから飾りをもらえるようならいいが……。
知らずルドガーは拳を握りしめた。無理矢理奪う相手としては、最悪すぎる。息を詰めて見守るルドガーがいると知ってか知らずか、ミラとガイアスはなにやら話し込んでいた。
残念そうに首を振るガイアス。ミラも表情を曇らせる。
そうして、二人は中に戻ってしまった。
(どうする、このままミラが出てくるまで待つか?)
すぐにミラが戻ってくるのかもわからないし、それなら一度みんなのところへ彼女の無事を伝えに行くほうがいいのではないか。ルドガーが考えあぐねているうちに、当のミラが正面から堂々と出てきた。
「ミラ」
「む、ルドガーか。どうやら思ったより皆に心配をかけてしまっていたようだな。すまない」
ルドガーの潜む岩影まできたミラに、そっと青年は声をかけた。てっきりどうして待っていなかったと咎められると思っていたのだが、彼女は素直に謝罪をしてきた。
「お腹すかせてないかって思ってさ。これ、差し入れしに来たんだ」
「おお! ありがたい」
サンドイッチにミラは表情を輝かせた。若干の罪悪感を隠すように、心の中で謝罪をしてルドガーはサンドイッチを渡した。さっそく頬張るミラであるが、足はしっかり洞窟へ向けて動かしている。
「もう一個くらい持ってくればよかったな」
「なに、洞窟に戻ればまだあるのだろう? 報告もかねてゆっくりさせてもらうさ。悪いが、今回は長期戦になりそうだ。ガイアスから髪飾りを、時歪の因子をもらえなかった……すまない」
心底申し訳なさそうにうなだれたミラを、ルドガーは慌ててフォローした。彼女一人に押しつけたのはこちらであるし、なにより現在の状況を探ってくれた功績は大きい。
「そう言ってくれると、こちらも気が楽になるよ」
洞窟に入る前に、ミラはパンくずのついた頬を持ち上げて目を細めた。
「皆、遅くなってしまって悪かった。随分心配をかけたな」
「ミラ!」
エリーゼが一番に抱きついた。遅れてミラを囲む面々に精霊の主は深く謝罪する。
「すまなかった。これは、私が思ったより気を揉ませてしまっていたようだな」
「無事でなによりですよ。ルドガーさんも、ありがとうございました」
「俺がいかなくてもミラは大丈夫だったよ」
「そんなことはない。サンドイッチをくれたじゃないか」
ローエンの労いに自分はなにもしていないとルドガーは首を振った。それをミラが来てくれて助かったと大真面目にフォローするものだから、自然周囲から笑みがこぼれる。
「それで、やっぱり俺らがいたってことだったのか」
「ああ、アルヴィン。相違ない。時歪の因子も見つけた。ガイアスの髪飾りだ」
時歪の因子がすぐに見つかったことに一同は喜びを表そうとした瞬間、次の言葉で一気に落ち込む。
「それはまたやっかいだな」
力尽くでいくには、こちらの被害も覚悟しなければならない。申し訳なさそうに言ったガイアスにミラは、そこでと直球で飾りをくれと頼んでみたが駄目だったと告げる。
「それはそうだろう。これでも一応あの飾りは王の証だ」
「この世界の飾りは少し形状が違っていたがな」
ミラが土に小枝で書いた正史と分史、両の飾りがお世辞にもうまいとは言えなかった為、ローエンがなにも言わずGHSから正史世界のニュースクリップを画面に映した。
「へー、絵本で見た王冠より地味〜」
エルの言葉にミラとガイアス以外口元を引き結んだ。吹き出すわけにはいかない。
「ガイアスの頭にこれと違う飾りがついていれば、それが時歪の因子だ。とにかく、この世界の王の証だが、まだ望みがないわけではないぞ。私もこの世界のガイアスから頼まれごとを言われた。もしかしたら、交換条件というやつが適用できるかもしれない」
「頼まれごと、とは」
記憶にある限り、ガイアスはミラになにか王の証と釣り合うような頼み事をした覚えはない。ガイアスの疑問に、では教会へ行ったことを最初から話そうとミラが説明を始めた。
あのとき教会では、日が沈む前では自身が行動しており厄介だった。夜まで待てば、礼拝堂くらいしか自分がいないし、ガイアスが起きているのを知っていたから声をかけた。先ほどまで礼拝堂でこの世界の私と話をしていたので、追ってくるとは思っておらず驚いたようであったが、少し話をしたいと伝えたらしばらく考え込んで外の空中回廊まで付いてきて欲しいということでついていった。二、三この分史が我々の推測どおりなのか確認する質問をした後、髪飾りが時歪の因子だと気づいたとき
「ガイアスに后になってほしいと言われてな」
こともなげに言い放ったミラの言葉に、一番動揺したのは当のガイアスではなくジュードだった。
「え、ちょっと待って、なんで」
あんまりにもジュードが慌てるものだから、レイアやエリーゼは反対に落ち着いてしまった。というより自分達がちゃちゃを入れるより、ミラとガイアスとジュードを見ていたほうが面白い。絶対。
「私ならば、危険な自身の伴侶として安心して傍に置けるからだそうだ。確かに、理にかなっている」
なんで、と聞かれて冷静に理由を説明したミラにジュードは面食らう。ようやく浮かした腰を落とした。むしろプロポーズされたのにまったく動じていないミラを見てガイアスがかわいそうになってきた。
(っていうか、ガイアスってばミラのこと、す、好きだったんだ……!)
分史のガイアスと正史のガイアスが同じ感情を持っているとは限らないが、その可能性は非常に高いし、なによりさっきから逆に反応のないガイアスがそれをはっきり肯定しているようなものだった。
「しかし私は精霊の主マクスウェルだ。この世界のミラでもないし、そもそもこの分史世界を破壊するために来た。なのですぐに断ったが、時歪の因子である髪飾りをくれととりあえず頼んでみた」
目を見張ったあと、なんともいえない表情をして駄目だと言ったガイアスは珍しかったぞ。
「それはそうだろう。さっきも言ったとおり、あれは王の証だ。妃の座を辞したばかりで同等の立場の証をよこせと言われれば、困惑するだろう」
ガイアスがようやく口を開いた。
「そうか。認識の相違というやつだな。私がそれが王の証と知っていればもう少し言葉を選んだのだが」そうかなあ、とレイアやエリーゼは顔に出した。「とにかく、そういうことだから、私が一度ガイアスの要求を呑む変わりに飾りをくれと言おうと思う」
やっぱり。話を聞いていて、だんだん嫌な予感を募らせていたジュードだったが、的中して盛大に溜息をついた。
「ミラ。この後ガイアスの前に分史の僕たちがおらず、かつ穏便に話せる時は、もうないよ」
「む。」
そういえばそうだった。そもそも自分は死んでしまうのだった。と、一度思い直したミラだったが
「いや、逆に死んでいるからやりやすいのではないか? 私が死んでから、ガイアスの周囲には、ここにいる人間が私を含め誰もいないのだろう?」
「いや、でもミラ死んでるし」
「なに、案ずることはない。私は精霊の主マクスウェルだ」
ミラは胸を張った。無茶苦茶な根拠だが、謎の説得力がでてしまったのはまさにその通りであるからに他ならない。だからといって、ジュードは看過することはできない。
「もう、ガイアスも言ってよ。目の前で死んだすぐあと、元気に『妃になるから飾りをくれ』なんてミラが言ってきても本物だとは信じないって」
こうなったら本人(?)に止めてもらうしかないと振ったジュードに
「いや、案外あっさり信じるぞ。俺は」
ガイアスはあっさり首をふった。
「ちょ、ガイアス!?」
「この腕の中で事切れたならいざ知らず、きちんと死亡確認もできていないし、あのときは四大も復活していた。海に落ちてもウンディーネがいれば大丈夫だ。現実に、目の前に現れれば生きていたと考えるだろう。借りに死んだということにしても、精霊マクスウェルなのだろう?」
ならば、なにもおかしいことはない。
ミラと違って至極まともな説明だった。ジュードは後悔した。本人に言われてしまえば、それまでだ。
「今後俺が一人になるときは、エレンピオスでお前たち二人にミュゼのナイフを渡したときだけだ。時間が惜しい。ミラの作戦なら早くても三、四日後には決行できる」
ガイアスにここまで言われては反論の余地も無い。そもそも反論できる論拠がない。
結局大変不安は残るが、一行は変装して海停近くまで移動し、ミラに任せることとなった。


§   §   §


オルダ宮。ラ・シュガルの首都イル・ファンに聳え立つ不夜城は新しい主を迎えた。
リーゼ・マクシア未曾有の危機に、ア・ジュールだのラ・シュガルだのいがみ合っている場合ではない。コンダクターイルベルトの助力もあり、ガイアスは瞬く間にラ・シュガル中枢を掌握した。
「見事だな」
三十分ほど仮眠をとろうとしたガイアスは、さすがに働きづめたなと反省した。幻聴が聞こえるなど。
「まさか、幽霊だとは思ってくれるなよ」
違う、幻聴ではない。男が振り返ると、そこにはつい先日死んだばかりのはずの女が立っていた。
強い意志を宿した、赤に近い桃色の瞳。シルフが結ったという、特徴的な房がなびく金の髪。白地に幾何学模様の飾りが美しい、威厳に満ちた衣装。造作だけはそのままに、優美な井出達で出現した、精霊の主。
思わずガイアスは驚きに目を見開き、それを受けてミラは目を細めた。
「生きていたのか」
「いや、死んだよ。だが単に私の在るべき姿となったに過ぎない。私はマクスウェルだからな」
ミラの言葉に呼応して、四大精霊が実体化した。これでは疑う余地もない。だが、あれほど危惧していた断界殻は消滅しなかった。
「断界殻はどうした」
「私の肉体が滅びても、マクスウェルが消えなければ消滅しない」
よどみなくミラは答える。納得しきれる答えではなかったが、嘘をついているようにはみえない。実際に断界殻が消えてないのだから事実、そうなのだろうだろうが。追求を諦めたガイアスには最後に疑問が一つだけ残った。
「……ジュードには会ったのか」
「うん? なぜだ。私がここに来たのは、私の使命を果たすためだ。それに、ジュードには一人で立ち直ってもらわねばなるまいよ」
ガイアスの質問はミラにとって意外だったようだ。お前ならば聞かずともわかるはずだろうに。多くを統べるものとして当然のことをしているにすぎないとでも言うようにミラは答えた。
ところが当たり前の言葉であるのに、ガイアスはミラと再び出会えたというのに、表情を曇らせ続けることしかできない。確信に触れるのを厭うように、ガイアスは押し殺した声で尋ねた。
「そうだな。では、俺に会いに来る必要のある使命とはなんだ、マクスウェル」
リーゼ・マクシアの人と精霊を守る。そのためにマクスウェルは存在している。それは、果たしてリーゼ・マクシアの王がリーゼ・マクシアの人と精霊を守ることと同義なのか否か。
ガイアスが納得したとみて、ミラは四大を戻す。
「今の私の使命は、お前の身に着けている王の証を手に入れること。そのためなら妃になることもいとわん。世界のために、それが必要だ」
なかば予想していた答えを返されて、ガイアスは拳を握りしめた。案外、堪えるものなのだなと。男は心を落ち着けるために一呼吸置く。そうして鋭い眼光を湛えて詰問した。
「お前は自分の言っていることがわかっているのか」
「無論だとも」
躊躇なくミラは答えた。むしろ、先ほどからガイアスともあろうものが、どうしてそう愚問ばかり投げかけてくるのか不思議でたまらないとすら顔に書いてある。
ガイアスは痛感した。人間の身ですらなくなった目の前の女の形をした精霊の主は、過去に未来に普遍に存在する想いある力なのだと。
同じ人の身を、美しい女の身を成していた、力。
これではあの少年を笑えない。否、蔑む感情などないが、それでも自分は同じ轍を踏まないと思っていた。だが己もまた、気付けば彼女の力をして、彼女自身に心を囚われてしまったのだ。
目の前で喪失してしまった憤り。ジャオ、そしてミラ。二十年前に、二度と理不尽な事態で大切なモノを失う者がいなくなるように、弱きものが虐げられない世界をと誓ってここまできた。しかし、彼女はやはり違っていた。守る必要などない。自分はむしろ人というカテゴリで守られていて、もし仇なすとなれば容赦なく切り捨てられる。ミラ・マクスウェル、無慈悲で愛情深い精霊の主。
「ガイアス?」
黙りこんだ人の王に、精霊の主は訝しみ名を呼ぶ。その唇にそっと親指を当て、顎を捕えた。
「ん?」
ミラの大きな瞳が、無垢な色を湛えたままこちらを見上げた。精霊であっても、触れたその唇は柔らかく温かで、肌も滑らかな手触りだった。人となんら変わりない。
甘美なぬくもりと感じているのは己側だけなのだと思うと、渋面が増々濃くなった。ミラはむしろガイアスが次にどうするのか興味津々と待っている。こちらの感情などなにも知らず、知る必要もない。その強さが羨ましく妬ましい。
なるほど、自分は確かに人だと男は身を持って知った。
どんなに己を律しようとも、抑えきれない衝動が理性を焼き焦がし、憎しみのまま振る舞おうと眈々と心の弱い箇所を狙っている。
「みろ、やはりお前は言っている意味をわかっていない」
相手が反論しようと口を開く前に、ガイアスは無防備なミラに足払いをかけた。仮眠をとろうとしていた寝台へ、なぜと揺らぐ濃い桃色の瞳を追いかけるようにして覆い被さる。
「我が妃になるということは、俺に抱かれるということだ」
男の長い指が頬から首、そして胸元の透ける黒い飾り縁をなぞる。そして、瞬きの起こす長いまつ毛の風すら感じられそうな距離で、それをわかっているのかとガイアスは呆けるミラに問うた。




テイルズ オブ エクシリア > ガイミラ >
Nevidebla Mano
(2013/03/17)
ミラの直接使役時におけるマナの供給方法が、体液を触媒にした粘膜摂取でも可能となっていたらIF。
マナが遮断された空間に閉じ込められてしまったミラとガイアス。このままでは現界を維持できないミラへ、ガイアスが直接使役を申し出る。しかしマナが術者から離れると消失してしまう特殊な空間の為、通常の供給方法は不可能。そこでミラは自分は体液を媒体にした粘膜摂取ができると、ガイアスに自分を抱くよう迫る。
【R18/A5/24P/¥400】
白い光しかない世界を、誘ってくれる金の軌跡が優雅に漂っている。
ミラ=マクスウェルに対し、そんな錯覚をガイアスは覚えた。らしくもない。男は気恥ずかしさに目を伏せた。だがそう思ってしまうのは致し方ない。それほどここは不思議な空間だった。
簡単に言ってしまえば、つい先ほどガイアスとミラは遺跡の罠にかかり謎の部屋に閉じこめられてしまっていた。分史世界の、正史にはない山中の遺跡。以前訪れたウプサーラ湖の遺跡とはまた違った趣を呈している。
美しい。見たこともない材質。角度によって僅かにパールの光沢を放つ、乳白色の壁と天井と床。暖かくもなければ冷たくもなく、柔らかくなければ硬くもない。
光源は見当たらず、その空間には壁しかないのに明るかった。影が出来ていないことから素材自体が光っていると推測される。おかげで、継ぎ目すらないこの部屋にいると浮いている気がしてくる。普通の人間ならば平衡感覚がおかしくなって狂ってしまうことだろう。声や空気の感触でなんとなく四方の距離が掴めるため、男はこの異常な部屋にいてもいつもと変わらず眉間に皺を寄せていた。
「どうだ、ガイアス」
凛とした声音が男を現実に引き戻す。金の軌跡、否、ガイアスの他にもう一人この空間に存在する大精霊、ミラ=マクスウェル。
「いや、駄目だ。先ほどから試しているが精霊術が使えない」
物理的な方法では壁に傷一つ付けられなかった。ならばと恃んだ精霊術は、そもそも発動すらしてくれない。元来術を使わないガイアスであったが、それでもそこの壁を粉砕する力を借りることくらいは出来る。
人の王の答えに、大精霊は顎に指を沿え深刻な事実を述べた。
「やはりな。この部屋にはマナも精霊の気配もない。呼びかけに応じ参じることすら叶わぬようだ」
「マクスウェルたるお前の声すら届かぬとは。手詰まりだな」
「大人しく助けを待つか、ルドガーが時歪の因子を破壊し正史世界に戻るのを待つしかあるまい」
ルドガー達ならば心配ない、ここは大人しく待とう。困っていても仕方がないとミラは現状にあっさり見切りをつけ、男の険しい顔を和ませようと笑顔でもって提案した。
「だが、ミラ。それでお前は大丈夫なのか」
「どういうことだ?」
ミラの笑顔に、ガイアスはつられることは出来なかった。非常用の食料もあるし、自身ならば一週間ほど度持つと踏んでいる。だが、精霊である彼女は。
「この部屋にはマナすらないと言ったではないか。お前に消えてもらわれては、困る」
ガイアスの指摘にミラは口元を押さえた。
「しまった。うっかり口を滑らせてしまった」
「言わずとも、時が来れば解かること。お前は現界維持に大量のマナを必要とするのだろう。なぜ隠そうとする。精霊にとっての直接使役は特別な意味を持つことは知っている。だがこの非常時にそうも言ってはいられん。不本意だろうが、余裕がなくなる前に申告しろ」
俺のマナを与える。
仏頂面で男は言った。ミラの目を見ることが出来ない。ガイアスは自分が傷付いていることが苛立たしかったし、なにより目の前の大精霊に悟られたくなかった。
『お前に直接使役されたくない』
言われてもいないことを、被害妄想し哀傷するなど愚の骨頂だ。
「その、いいのか?」
だが、ミラの反応はガイアスの予想を全力で外れていた。
「お前に直接使役してもらっても、いいのか?」
「どちらかというと、それは俺の台詞だ」
いざとなれば問答無用で直接使役しようとは覚悟しているが、それでも是非を問うて本人の意思で是と答えて欲しい。だが、まさかそれを相手から問われるとは。
ミラ自体、残念なことに非常時と割り切ってか恥ずかしそうにしている様子はない。だから余計ガイアスは彼女の態度が理解出来なかった。
(まるで、俺が直接使役される精霊のようではないか)
やはり精霊の主ともなれば、直接使役する相手のほうが振り回されるのか。だが、このままではいけないのはこちらとて承知。荒れ狂うマクスウェルの力に嬲られようが、彼女を失うわけにはいかない。
「俺も覚悟は出来ている。ミラ、もしものときは直接使役によってお前にマナを与えよう」
「そうか。すまないな。ではよろしく頼む」
ガイアスの強い意志に、ミラは吹っ切れたように頷いた。
「実は、余裕がなくなりそうなんだ」
「食物だけでなくマナの燃費も悪いのかお前は」
いくらなんでも早すぎる。渋面の男に、ミラは唇を尖らせた。
「どうにか脱出出来ないかと、力を振るう為にマナを放出したのだ。そう悪し様に言ってくれるな」
「すまなかった」
ガイアスはすぐさま謝罪した。ミラも本気で機嫌を損ねたわけではないようで、自分の失態が恥ずかしくて直接使役をすぐに言い出せなかったとでも言うようにガイアスの謝罪を受け入れる。
「いい、私も考えなしだった。ではガイアス、腰を落として、私と目線を合わせてくれ」
「あ、ああ」
ミュゼを直接使役していたのとは、また違うようだ。そのまま念じればよいのではないのだなと、ガイアスは若干戸惑いながらも素直にミラの言う通りにした。
屈んだ真正面にミラの顔がある。濃い桃色の瞳に己が映っている。……随分近くないか?
だが、そんな気恥ずかしさは一瞬で吹っ飛んだ。
「ミ、」
ガイアスの、疑問を投げかけようと開いた唇。
飲み込まされたラの音。
ふくよかな、暖かい、湿った感触。なんとも言えない芳醇な薫りが男を包み、一瞬にして酩酊してしまう。緩みきった隙間から弾力のある動きをしたものが進入してきて、くちゅりと生々しくも艶やかに鳴り跳ねた。
「――ッ!?」
その音で我に返ったガイアスは後ろに跳び退った。
「な、なにをする!?」
「それはこちらの台詞だ。危ないだろう」
不恰好に尻餅をついた男に距離をつめて、女は仁王立ちで見下ろした。
「覚悟したと言ったから、私も直接使役されてやろうというのに」
「な――待て、ミラ。整理させろ」
もしかして、お互い大変な思い違いをしているのではないか。ショックから覚めたガイアスは、ようやく頭が回り始めた。呆れ顔で見下ろすミラの視線から逃れるように立ち上がると、ガイアスは矢継ぎ早に尋ねる。
「俺は直接使役を願い出たはずだ。精霊の直接使役はマナを与え精霊自体が力を振るうことで、力を振るわずともマナだけ供給することも出来るのだろう? 俺は今まで直接使役は念じて霊力野からマナを注ぐものと思っていたのだが、お前は……その、」
接吻でするものなのか?
始めの勢いはどこへやら。恐る恐る言葉にしたガイアスに、ミラはあっけらかんと答えた。
「そうだが」
む、知らなかったか?
首をかしげた女に男は全力で叫んだ。
「知るか!」
「それはすまなかった。ミュゼから聞いていると思っていたが、勘違いだったようだな」
「ミュゼも、接吻でもマナ供給が可能だというのか?」
「いいや、私だけだ」
「……なんでもかんでもミュゼが俺に話しているという考えは改めてくれ」
もしミラの思っている通りならば、ミュゼ自身だけでなく精霊となったミラまでも全裸かどうかまで伝えてくれたはずである。
「改めよう」
ミラは神妙に首肯した。ガイアスは盛大にため息をつきたかったが、まだ本題に切り込んでいないことを思い出し、ミラ=マクスウェルの直接使役法を尋ねた。
「俺の知っている知識はさっき言った通りだ。して、お前をどうやって直接使役すればいい」
「うむ。一応普段は他の精霊と私の直接使役方法は変わらないのだが――今回に限ってはそうもいかん。この部屋ではマナが使役者から離れるとどういうわけか消滅してしまうようなのでな。さいわい、私はお前も知っている通り人として生きてきた、そのため人間の身体感覚を有したまま精霊として現界が可能。だからこそ今回の方法がとれる」
ミラの説明に接吻の理由をようやく得心したと、ガイアスは項垂れとも頷きともとれる動作で応えた。だが、ミラの説明は更に続いた。
「マナの享受方法だが、正確に言うなら接吻でなく、粘膜接触による体液の授与ならば可能なのだ」
ガイアスの脳が、一瞬考えることを放棄しかけた。
「簡易方法で血や汗、涙や唾液などの咥内摂取。だが最大効果を発揮するのは――」
その一瞬が命取りだった。彼女の説明が完了する前にたどり着いた結論に待てと静止の言葉を挟むことも出来ず、男は女の口からその言葉を発せさせてしまった。
「性交だ」
実際にミラ自身から語らせてしまった言葉の破壊力の凄まじさたるや、ガイアスは呼吸を忘れた。真っ白になった思考に女の涼やかな声だけが通り過ぎていく。
「人間における生殖行為は特別なものだと知っている。だから私はお前に『本当にいいのか』と念を押したのだが、くっ」
「ミラッ」
唐突に倒れかかったミラを見て、ガイアスはやっと我に返った。
女の細い腰を抱きしめ、
「すまな、っんん!?」
引き上げざま、男は断りもなく強引に女の唇を奪った。
たっぷりと唾液を纏わせた舌を相手へ捻じり込むと、無防備な咥内を蹂躙する。驚いて戻そうとする舌を避け、敏感な上顎を舌先でくすぐるようにすれば、ミラは押し返そうとした手の力を弱めた。
「んっ、ふぁ…ッ、ぁ…」
部屋に荒い吐息と唾液のはぜる濃密な音が響く。すっかり抵抗しなくなった女を男は抱き寄せた。ミラがガイアスの意図を理解したためなのか、マナ不足が続いているためか、強烈な口付けのためか、どれかは解からない。だがしっかりと抱きしめていないと、ミラは自力で立てないようだった。
弱々しく背後に回した腕は、ガイアスに捕まっている用途を成してはいない。ミラはガイアスのされるがままになっていた。
しかしながら、自ら実行したガイアスとて平静でいられるわけでもなかった。密着した女の柔らかな胸に、自身の早鐘を打つ鼓動が伝わってしまってはいないかと、あらぬ焦りに心を焦してしまう。激情に荒ぶる心を宥め賺すため、今はこれで我慢しろとぴったりと唇を寄せむしゃぶりついた。
「…っう…ふ、んぁッ、あ…」
確認のため、今度は相手の舌をこちら側の口腔へ招き寄せる。ミラの方から唾液を接種する行動はない。男は再び己の舌を女のそれに絡ませ、甘噛み、啜って、解放した瞬間
「ぁ、――ひぁッ!?」
背をつうっと撫で上げた。
かくんと膝の折れたミラが倒れぬよう、ガイアスは再び女の細腰を抱く。
「大丈夫か」
まさか口付けでこんなになってしまっていたとは思わず、ガイアスは言ってしまってから己が発した言葉の冴えなさ加減に絶望した。
最低だ。もっと気の利いた台詞で、いや、初めから自信を持っていたとしても、己にそんな台詞が浮かぶとは思えなかった。ミラが口付けのせいで腰砕けになってしまったのだと思えればよかったが、それを望めるほどガイアスは覚悟をしていなかった。
『ミラ=マクスウェルはそんなことにはならない』という幻想を打ち砕くことは、相手に失望することではない。己の封じ込めた感情に向き合うことに他ならないのだ。
もう、ミラは人間の女ではない。だというのに、人間の女と変わらない反応を示した。彼女はもう大精霊になってしまったのだと、それで納得させていた浅ましい鍍金が剥げる。
「……大丈夫だ。が、最後のは余計だ」
いつもの軽やかに鈴が鳴るような声ではなかった。ようやくと絞り出した様子に、先ほどまでの大精霊の威厳はない。男に抱きかかえられているのは、力を込めれば折れてしまいそうな華奢な体躯の女だった。
「お前ならもう察してくれているだろうが、唾液の接種程度では一時しのぎに過ぎない。汗も涙も効率として劣るし……さすがにここにいる間、ずっと口付けているわけにもいかんだろう」
ミラの言葉に謝罪するのも違う気がしてガイアスは黙っていたが、ミラは一言文句を投げつけたきり、元の話題へ戻った。それでも先ほどのように真っ直ぐこちらを見て話してくれないのが、ガイアスにはつらかった。
よしてくれ。そんなふうに普通の女のような態度をとらないでくれ。
「かといって血液などもってのほかだ。お前がもたん。なにより私が嫌だ。不味い」
「選り好みしている場合か」
「場合だ。というかガイアスがもたないと言ったろう。お前の精子を媒介にするのが一番効率かいい。安心しろ。いくら人間の身体感覚を有しているとはいえ、私は精霊だ。子は生せぬ」
あまりのあけすけな物言いに、ガイアスはカッと胃の腑が熱くなる。
「っ、俺をその辺の人間と一緒にするな。出血程度、多少ならば」
「くどい。」
それ以上の反論は許さない。鋭く遮った声音は、まるで発した自身を傷つけたかのようにミラは力なく呟いた。
「そんなに、そんなに人でない私と交わりたくないか……いや、それが普通だな。すまない」
「違う!」
考えるよりも前に、ガイアスは反射的に否定の言葉を叫んでいた。
「そうではない、俺はお前が――ッ」
だが、その先はいくらなんでも告げることは出来なかった。こちらの気も知らないでと、きわどい言葉を喋るミラに八つ当たりのような態度をとってしまったことを、ガイアスはひどく後悔した。
言葉に出来なかった激情が溢れて、男は女をきつく抱きしめる。
「ガイアス、無理はするな」
女は男の背に腕をまわすと、ぽんぽんとあやすように叩いた。全てを許すように。
それで男は吹っ切れた。これ以上耐えられない。彼女を傷つけるくらいなら、己の不甲斐なさを曝し赦しを請おう。
「いいんだ大丈夫だ、こうなることは解っていた。だから最初から言うつもりは、うわっ」
ガイアスはミラを押し倒した。固くも柔らかくもない奇妙な感触の床が、二人分の衝撃を吸収する。
「ガイアスなにを、んぁッ」
男は目を白黒させる女の腕を掴み、膝を割り強靱な体躯を滑り込ませると、呼吸さえ奪うように反論を封じ込めた。
肉厚な唇を食み、舌を引きずり出し極上の飴でも味わうように舐り、こぼれそうになる唾液を啜って雄々しい喉元が嚥下に蠢く。ただの儀式ではない、官能的な行為だと見せつけるように。
「解ったろう。俺に抱かれることをミラが耐えられるとは思えない。――好きなんだ」


Fate/Zero >
Flag;解呪にあたって魔力抵抗がなくなるが、私に何を言われようとも絶対手を出すなよ!
(2012/04/22)
ヤンデレディルムッド×後天性女体化ケイネス。
女体化の呪いにかかってしまったケイネス。解呪には魔性の蔦により魔力を抽出・精製せねばならず、その間は魔力抵抗がなくなり魅了に抗うことができなくなってしまう。しかも突貫で改造した罠用の蔦は、催淫作用まで取ることができなかった。そのためケイネスは絶対に何があっても自分に手を出さぬようランサーに釘を刺すのだが、それって、つまり:フラグ。
【R18/A5/24P/¥300】




「報告しろ」
先ほどよりは落ち着いた様子でマスターが命ずる。
「畏れながら。やはり、異常は見受けられませんでした」
サーヴントの上申は予想通りだったのだろう。文句はない。それでも面白くなさそうに鼻を鳴らすと、ケイネスは言った。
「仕方ない。犯人探しは後だ。これから私は解呪の法を試みる。本来であればソラウに手伝ってもらうところだが、」
一旦言葉を区切ったケイネスに、すかさずランサーは面を上げた。
「不肖、このディルムッド・オディナ。主の命とあらばなんなりと」
ここで挽回しなくては。必死の形相に歪みそうになる表情を押さえながら、ランサーは主の言葉を待つ。
改めて見るケイネスの顔は、苦虫を噛み潰したようであったが、それすら器量を引き立たせていた。女となったケイネスは微笑むよりも君臨する様こそ、明媚。嫋やかな四肢と秀麗な目鼻立ちは、綻ばせれば其処等に居るただの女となってしまう。産まれながらの才に裏打ちされた、圧倒的な支配者の風格。それをそのまま纏った女の艶麗さは、征服され憤りに歪む瞬間こそ最も美しく輝くだろう。
「その言葉、忘れるなよ」
遠回しにサーヴァントの言葉を引きだし念を押す異例さに、ランサーはこれから己が行うことはよほど難事かと気を引き締めた。それを見取って、ケイネスは話の核心を述べようと口を開く。
「解呪には全身の魔力を抽出、精製して呪いを打ち消した後、戻さねばならん。つまり、一時の間私の魔力抵抗はなくなる」
「――な」
思わず漏らした驚嘆に、ケイネスがじろりと鋭い視線を向けた。
キャスターではないディルムッドにとって、いかな霊的存在であっても行使することのできる魔術は限られている。その一端を担わせるからには、出来ないことはないが困難が伴うと判断し、ランサーもそれ相応の覚悟を持った。
だが。今ケイネスが口にしたことは、ランサーの覚悟を持ってしてた範疇外。
「私に何を言われようとも絶対手を出すなよ! 貴様の仕事は無防備になった私の守護。及び、抽出・精製する魔性の監視だ」
「御意に、ございますれ、ば」
震えそうになる声音を隠すように、ランサーは頭を下げた。ケイネスは言っているのだ。ディルムッド・オディナの忌まわしき呪いを、加えて二重に受ける屈辱を、上塗りするような事があらば赦さないと。
ランサーは唇を噛みしめた。恐れと憤慨。
よもやマスターに己が卑しい心中を見破られたのではないのかと。思っても一瞬。浅ましい想いを抱いたのは、単に男としての性だ。
ケイネスとて元は男。表に出さずとも好みの異性を目にすれば心にも止めよう。それを棚に上げて、サーヴァントを如何わしいものを見るような台詞に少しばかり腹が立った。
ケイネスは己に絶対の信頼を寄せている。否、そうするに足るものが彼にはある。だから絶対の信頼こそ通常の状態であれば、そのような傲慢な振る舞いも当たり前のものだ。
だが彼にとって当然であればこそ、彼以外には当然足り得ない。
「どうした」
煮え切らない返答に、ケイネスは威圧的に問う。ここで禍根を残すことは、即ち己が貞操の危機。サーヴァントにしっかりと言い含まねば納得できないと、その声音から伺えた。
「いいえ。――我が身命に替えましても、主の身はお守り致します」
深く頭を垂れて誓ったサーヴァントに、ようやく満足したのかケイネスは立ち上がる。
「監視する魔性は、本来精気や魔力を吸う植物だったものだ。トラップとしてそのまま株を持ってきたが、魔力を抽出・精製するように改造した。魔力を吸い切っても解放されなければ、私を助けろ。急ごしらえ故、その可能性が高い。だが間違っても滅するなよ。私が離れれば自動的に礼装が我が魔力に惹かれ魔性を隔離するようにしてある。呪いの成分が抜けた魔力が完成すれば、礼装の囲いが解ける。最後に私に魔力を戻せ。それで解呪となる」
「御意」
次いで起立したランサーを見届けて、ケイネスが腕を振るうと、ソファの背後に佇んでいた月霊髄液が震えた。幕が引くように礼装が包んでいた中身が現れる。蔦の集合体のようなそれは、一見なんの変哲もない野山に茂る植物だ。
「それと」
だが、極上の女の魔力を感知した瞬間、それは唯の植物ではなく魔性としての本能を剥き出しにした。延びる蔦に四肢を絡まらせられながらケイネスはほのかに視線をずらし、今までの不遜な態度からは程遠い、見た目通りの可憐な女のように、恥じらいを持って衝撃の一言を口にした。
「これ以上手間を掛けられなかった為、力を吸う際の催淫作用は消せなかった」
本格的な改造は丸一日かかってしまい、時間が惜しい。悔しげに吐き捨てたケイネスは、それきり口を噤んだ。それに対し、ランサーもまた何も言えない。言えるはずがなかった。ケイネスの視界に居なかったおかげで、ランサーは目と口を驚愕に開いてしまった表情を見られずに済んだ。先程まで抱いていたマスターへの不満も、すっかりさっぱり消し飛んだ。
確かに、魔性の淫呪に犯され、黒子の魅了まで受けてしまっては『何を言われようとも絶対手を出すなよ!』と釘を刺したくもなるだろう。恐らくケイネスはこの先、与えられる快楽に翻弄され、蕩けきった表情と声でランサーを誘惑する。プライドの高い彼が、己が身と意志だけではどうしようもならなくなる事態でしか解呪する方法がないと知って、全てをサーヴァントに任せなければならない恥辱に震えているのだ。そんなマスターを憐れと思いこそすれ、怒りなど湧く筈もない。
そう考えている間にも、ランサーの眼前でケイネスの躰は淫らに蠢く蔦に絡み取られ、とうとう足が床から離れた。
「くっ」
ケイネスの表情に怯えが浮かぶ。しかしランサーに見られているという意識から、それは一瞬で消え、気丈にも唇を引き結び、碧い瞳は空を睨む。果たして、その気概いつまで持つか。
蔦は、うぞうぞとまるでその一本一本が意志を持つように女の肢体を這いずり回る。ランサーの目線までケイネスを持ち上げると、一旦その動きが止まった。そう思った瞬間、蔦の先端が咲いた。
「ひっ」
「なっ」
これには流石に二人も声を上げてしまう。蔦の先端は、花弁のように赤く四つに裂けた。中から雄蕊を肉にしたような、薄桃色の細い物体が蜜を滴らせてケイネスの肌と被服を穢した。いやらしい粘液が滴り落ちる音を、数十本もある蔦が歌う。
「う…ぅ」
てらてらとぬめる蔦の先が、ケイネスの服の上をなぞる様に這った。袖口から侵入した蔦が、ローブの合わせ目から這い出る。素肌を魔性が舐める感覚に、ケイネスは嫌悪も顕わに身を捩る。そんな抵抗など蔦は意に介した様子はない。むしろ素足に絡む蔦は、まるで相手の恐怖を煽るように膝から先へは触れようとしなかった。
「う、ぁ、ア」
引き結んだ唇は既に綻び、ケイネスはか細い悲鳴を上げ続けている。がちがちと歯の根が合わず、見開かれた碧い眼は恐怖に瞳孔が縮小していた。
抵抗は弱々しく、サーヴァントと相対していた支配者の風格など微塵もない。いや、まだ罅の入ったプライドが、ケイネスの矜持を支えていた。恐慌をきたし泣き喚きそうになる己を、かろうじて押し止めている。
「うごッ」
そこへ、一本の蔦が半開きの口から侵入した。ケイネスは苦しそうに眉根を寄せる。
「んーッう、ぅ!」
蔦は無遠慮に女の咥内を嬲る。嘔吐くケイネスは、生理的な涙を浮かべ首を振る。苦渋に満ちた表情はランサーへ向けられることはない。助けを請うことはもちろん、縋るような視線を向けることも、彼は自身へ赦しはしない。
「っふ、ぅ…ん…ッ」
しかし、変化が表われたのはすぐだった。
苦悶に咽ぶ相貌は、今は明らかに別の感覚を感じ取り歪んでいた。気色の悪さや、息苦しさではない。
「ふぁ…ァ、んぅ!」
洩れる喘ぎへ、微かに甘い響きが滲み始めたことをランサーの耳は逃さなかった。
女の高揚した頬を、抑えきれなくなった涙が伝う。ケイネスは持てる理性を総動員して、魔性から与えられる悦楽の誘惑に抗っていた。蔦により口に含まされた蜜のようなものが、催淫効果を引き起こしたのだろう。
ケイネスの抵抗を嘲笑うかのように、先程まではただ這いずっていた蔦が、ゆらゆらと官能を呼び覚ますようにケイネスの肌を蹂躙し始めた。ローブの合わせは完全に割れ、何本もの触手が形良く盛り上がった胸部を揉みしだく。
ケイネスがローブしか羽織っていなかったことを、今更になってランサーは気付いた。ホテル下階の売店から、シャツと下着くらいは買って来る時間はあった。余計な事をと罵声を浴びせられようが、主のことを思えば手に入れるべきだったのだ。
まるで見せ付けるように、蔦はケイネスの半裸をランサーの眼前に晒した。乳房だけではない。最も秘するべき足の付け根の奥すら、蔦は容赦なく暴き立てる。
「くぅッ」
余りの羞恥にケイネスは目を瞑った。見るなとは言えない。異変があれば、己を助けることが出来るのはこのサーヴァント一人だけなのだ。
蔦は大胆に開かせたケイネスの太腿を、舌なめずりでもするかのように触れる。陰部に直接の刺激がなくとも、蜜によって感度を高められた躰は、それだけで煽られた。
「ッは…!」
蔦がケイネスの口を解放する。今までなんとか押し込めていた嬌声を塞ぐものはなくなった。
「ひ、ァ、ふ…っく」
ケイネスの艶声を引き出そうと、蔦は一層女の肌を辱めた。白く透き通った大理石のようなケイネスの肌は、蔦の蜜がしとどに絡み、薄紅色に綻んでいた。
「んっ、う…ふぁ」
興奮してきたケイネスを貪る蔦から、魔力が吸い上げられていく様子がランサーにはよく視えた。ケイネスが感じるたびに、魔性はより多くの魔力を喰らう。
「やっ…ァ、うぁ、あ」
只人へ近付くにつれ、ケイネスの足掻きは次第に薄らいでいく。理性を保っているのがいっそ不憫でならない。蔦の絶え間ない愛撫に、ケイネスの精神は摩耗していく。それは人として例え様もない屈辱だろう。しかもその様子をサーヴァントに包み隠さず見られているのだ。
今やケイネスの花孔は蜜を滴らせ、蔦の与える快感を悦び、更なる刺激を求め震えていた。
快楽が拷問となるならば、まさしくこの状態をいうのだろう。ケイネスに振るわれる喜悦の数々は暴力だ。蔦は獲物が陥落する瞬間を、虎視眈々と狙っている。態と陰唇には触れずに官能を刺激し、理性を自ずから手放ことを待っている。
ランサーが見ている前で、否、他人の目がなくともケイネス・エルメロイ・アーチボルトの誇りは魔性になど屈しない。達することを許されない、緩慢でありながら強烈な快感に晒されて、ケイネスは気が狂いそうだった。
見ていられない。
ランサーは両の拳を固く握りしめた。だが目を逸らすことは許されない。ランサーにとっても、これは拷問だった。
主たるケイネスが魔性に弄ばれている様を、指を咥えて見ているしかない。サーヴァントとして忠義を捧げる相手に無力な己を痛感し、打ちひしがれる。
――そんな感情を抱けていれば、どんなにか幸せだっただろうか。
ランサーの心に芽生えたのは、劣情だった。
サーヴァントに対し、令呪をかざしたマスターは絶対優位。特にその忠誠をランサーたるディルムッドはケイネスに捧げている。己が信ずる騎士の誇りに反しない限り、ランサーはマスターの命令に逆らうことはない。
それがどうだ。もはやケイネスはランサーがいなければ己が身も守れず、しかも魔性に身も心も蹂躙され、精神は擦り切れる寸前だ。
傲慢が美という形をとれば、紛れもなくケイネスであった。
それが愉悦を与えられ、プライドをずたずたに切り裂かれ、今目の前で最後の矜持を保っている。
ディルムッドは、まさにその様子に欲情していた。
見ていられないのは、醜悪すぎる己が心だ。反吐が出る。自分は忠節の騎士として、ケイネスに仕えるのではなかったか。マスターへ浅ましくも欲念を向けるとは何事だ。恥を知れ! そう叱咤しても、ランサーは胸に燻ぶる情念に渇きを覚えて仕方なかった。



Fate/Zero >
Delusion of jealousy
(2012/08/10)
ケイネス女体化+ソラウ男体化でディルケイ+ソラケイ ※性転換は先天性
ランサーの出現によって感情が芽生えたソラウは嫉妬に駆られ、本当に自分を愛しているならディルムッドの魅了にかかっても揺るがないことを証明してみせろとケイネスをけしかける。ディルムッドは主を苦しめるソラウにケイネスを預けてはおけないと「俺を愛して下さい」とケイネスに詰め寄る。ソラウを純粋に愛する心と、魅了でディルムットを愛してしまった心で、ケイネスが七転八倒する本編沿い昼ドランサー本。
【R18/A5/52P/¥500】書店:とらのあな・K-BOOKs
別に、僕はケイネスのことを好きではない。
かといって嫌いでもない。
より正確に言うならば、そもそも僕には感情が希薄だ。零といっても差し支えない。
魔術師の家に次男として、跡継ぎの予備として産まれた僕に、個や我は必要なかった。それだけのこと。その有り様に不満すらない。
家が、両親や兄が、周囲が、望むままに今まで振舞ってきた。魔術師の家の子として今まで散々繰り返されてきたように、僕は次代の魔術の発展のためにアーチボルトとの、一人娘たるケイネスとの婚約を呑んだ。
彼女を愛していなくても、僕はよき夫として役目を果たす自信があった。今まで予備として十二分に役立ってきたように、彼女を支え子を成し、根源に至る長い道のりのほんの一歩を進ませる。
だから、僕はとてもびっくりした。ケイネスが、僕を愛していたことに。
由緒ある魔術師の系統の跡取りが、恋愛で好き嫌いで感情で伴侶を決めるなんて。結果的にソフィアリ家とアーチボルト家の、両者の利害が一致した為僕らは晴れて婚約出来たが、もし僕がなんの魔術の素養もない人間だったら。ケイネスの夫として優秀な魔術師の子種を持たない人間だったら、彼女はどうしたのだろうか。
興味深い。
彼女は驚きを、僕に感情の波を立たせてくれた。怒って泣いて笑って喜んで、ケイネスは僕の前でとても沢山の感情を見せてくれる。僕の感情表現は中身を伴っていない。からっぽだ。だけど彼女といれば、僕はもっともっと心を揺すってもらえるかもしれない。
その予感は的中した。
冬木。ケイネスが聖杯戦争に向かった地で、僕は強烈な感情にまみえることが出来た。
ね、ケイネス。どうして気付かないんだい。
君が僕を見る。詩に読まれた恋する乙女の、まさにその瞳で僕を見る。熱い、熱い、焦がれる視線。その視線、そっくりそのままで君を見ているモノがいるよ。君が召喚し僕が魔力を供給するサーヴァントが、君を穢らわしい視線で汚しているよ。
君が僕といるだけで幸せだと感じているように、あいつも君といるだけで幸せだって思ってる。なのにさ、君達は幸せなのに、どうして僕だけこんなに胸が焼き鏝を当てられたように痛むんだい。意味もなく落ち着きがなくなって、視界に君とあれが話している姿が映るだけで、無性に怒鳴り散らしたくなる。
これが嫉妬というものだとすれば、僕は絶望するしかない。
だって、僕はあのサーヴァントだけに嫉妬しているんじゃないんだ。君にも嫉妬しているんだよ、ケイネス。僕が持っていないものを全部持っている君。君は僕のものなのに、僕は結局なあんにも持っちゃいない。
マスターの君と、魔力を供給する僕と、サーヴァント。
愛情を持つ君たちと、持たない僕。僕だけ仲間外れだ。
君を恨むよケイネス。よくも僕に夢を見せてくれたね。君を愛せると思わせてくれたね。結果は散々だ。僕は憎しみで心を揺さぶられている。君が与えてくれたのは醜い感情だった。
ああ、自分だってこんなのは言い掛かりも甚だしいと思うよ。でもね、僕は本当に、ここまで強く想ったことはないんだ。
産まれて初めて、こんなにも全てをかなぐり捨ててもいいと、理性さえ捻じ伏せる強烈な感情がこの胸で暴れて、逆らうことが出来ない。
君からサーヴァントを、サーヴァントから君を奪えと。
――君から僕を奪えと。

「どんなことがあっても僕を愛してくれるよね。どんなことをしても僕を愛してくれるよね。ケイネス?」



  1

冬木に渡り、英霊を召還して三日目。ホテルの貸し切ったフロアへ一通り工房を設営し終わり、来日前の準備も相まって久し振りにケイネスは一段落付けた。
そんな彼女をソラウは労って食事でもどうかと誘った。婚約者を心から慕うケイネスが断るはずもない。疲れはあったものの、彼の誘いだけで吹っ飛んだ。ドレスまでプレゼントされ、舞い上がりすぎてホテル最上階のレストランで振る舞われたディナーの味もほとんど覚えていない。ただ目の前に座るソラウが微笑みかけてくれるだけで、ケイネスの胸も腹も一杯になった。
しかし、そんなケイネスが危惧していたことが一点だけあった。それは、やはりというかなんというか、お互い婚約者として将来の夫婦として当然の、だが今の状況を鑑みて実行には多大な不安を伴うものだった。
部屋に戻った途端、成人男性の腕が背後から細い女の躯を抱きしめる。
「ケイネス、」
「ソラ、ウ…!」
耳元で、芳醇なワインの香りを残した吐息と共に名を呼ばれ、ケイネスは華奢な四肢を強ばらせた。
「ま、待ってくれソラウ」
「もう充分待たされた」
青年の手が、女の慎ましい胸の膨らみをやわやわと揉みしだく。言われた通り、ここ一月程二人は床を共にしていない。聖杯戦争中はセックス出来ないと、事前に断っておかなかったことをケイネスは後悔した。ソラウの反応が怖くて言い出せなかったこともある、が、自ら口にするのは憚られたし、彼が察してくれればと淡い期待を抱いた。己の見通しの甘さに、ケイネスはどうしようもなく苛立つ。相手がソラウでなければ、思い切り頬をはり倒されていただろう。
「だ、駄目だソラ…ひぅっ」
開いた胸元から手を入れられ、立ち上がりかけた乳頭を摘まれて、女は悲鳴とも喘ぎともつかない声を上げる。ケイネスの胸は小振りな為、デザイン的に品のよいすっきりとしたドレスを着用していた。露出している部分は少ないものの、普段はローブで堅牢に守られているだけに、鎖骨が見えている状態でも充分男の欲望を刺激する。
ソラウは抵抗しようとするケイネスの腕を両の脇でしっかり押さえ、刺激ですっかり固くなったそこをいじりながら耳朶を唇で弄ぶ。ぞくぞくと背筋を這う感覚に、ケイネスの抵抗は次第に弱々しくなっていく。とどめとばかりにソラウはスカートの下に腕を突っ込んだ。
「駄目? でも君の躯はそうは思ってないみたいだよ」
「はぅっ」
囁かれたと同時に、青年の手が足の付け根を暴いた。下着の上からではあったが、粘着質な感覚と音があからさまに突き付けられる。
「あんっ…ち、違…んんッ」
青年のしなやかな指先が湿ったショーツを滑る。指の腹で緩慢な刺激を与えられ、ケイネスはあえやかな拒否の悲鳴を上げる。
「そんなやらしい声で否定されても、逆に興奮しちゃうな」
「そん…な…!」
か細い絶望の声を漏らしたケイネスの頬を、涙が伝った。
――もし。ここで、あと一秒自分が我慢出来ていたら。ケイネスは酷く後悔する。
ソラウが拘束を解き涙を拭おうとしたのとほぼ同時。
(ランサー!)
ケイネスは、マスターの喚び声に応えたサーヴァントの逞しい腕の中にいた。
「おやめ下さい、ソラウ殿。主がこんなにも嫌がっているではありませんか」
「ケイネス、」
「ご、誤解だソラウ!」
ソラウはランサーを無視し、ケイネスに詰問した。
「君をいじめすぎてしまったことは反省し謝罪しよう。けれどサーヴァントを喚ぶなんてあんまりじゃないか。僕が嫌がる君を無理矢理抱くとでも、本当に思ったの」
「だ、だから違うんだ。ソラウが悪いんじゃない。あのままでは私の方が君にはしたなくも懇願しそうに、なって、しま、いそう、だった、か、ら……」
勢い反論したケイネスの口調が、途端に弱々しくなる。朱に染まった顔を、女は両手で覆った。それを見たソラウが、先ほどとは打って変わって柔らかな声音で誘う。
「おいで、ケイネス」
「あ、ソラ、ウ」
指の隙間から恐る恐る伺い見たソラウは、いつもの優しい笑みで手を差し伸べていた。
「僕の婚約者を離せ、ランサー」
魔力供給者の命令に、渋々といった体でサーヴァントはマスターを降ろす。ケイネスはおずおずとソラウに近付き、その手を取った。瞬間、きつく抱きしめられる。
「嬉しいことを言ってくれるね、ケイネス」
「っ、ソラウ!」
頬に、額に、鼻に、瞼に。ソラウはキスの雨を降らせる。
「ごめん、やっぱり気が変わった。君を抱くよ。僕が強引に押し倒したことにすれば君自身に言い訳も立つ。なにかあったら心配だっていうなら、外じゃなく同じ部屋にランサーを待機させておけばいい」
「そん、な」
「おやめ下さいソラウ殿! それでは主があまりにもおかわいそうです」
「黙れよサーヴァント。僕はケイネスと話してるんだ。そもそもおまえが出しゃばってこなければ、こんなことにはならなかったんだぞ」
「な、」
「ソラウッ。だから違うんだ、私がランサーに」
不肖のサーヴァントがこれ以上なにか言う前に。ケイネスが弁解しようとしたのを、聞きたくないとばかりにソラウは遮った。
「ケイネス、解かってよ。それが僕を傷付けてるって」
ランサーに向ける氷のような態度とはまったく違う。優しく、だが切実な訴えを宿した熱い吐露。
「君がこんなにも愛おしいのに、君を信じたいのに、怖くて怖くて堪らなくなる。僕のケイネスが、別の男なんかと繋がってるなんて。ね、ケイネス。君が逆の立場だったら耐えられる? 僕が君をほっぽって美人なサーヴァントと四六時中一緒にいたら。信じたいけど、心は悲鳴を上げている。そうだろう? 信じたいのに信じきれない自分が嫌になって、でもそんな汚い心を見せたくなくて、ぐっと押し込めて見守る。でも、ごめん。僕は君ほど出来た人間じゃない。我慢も限界だ。ケイネスには出来たかもしれないけど、僕には無理だった。もう耐えられない」
胸板に押しつけられるようにきつく抱きしめられて、ソラウの表情は見えない。だが絞り出された苦渋の声が、ケイネスの心を抉る。
「ソラウ……。すまなかった。君にそんなにつらい思いをさせていたなんて」
ケイネスは動かせる肘から下で婚約者を抱きしめ返した。気付かなかった己が恨めしい。今彼が感じている痛みを全て替わってあげたい、取り除いてあげたい。愛する者の苦悩を察することが出来なかった罪を、罰してもらいたい。
「嗚呼、ソラウどうしたら許してくれる? 君の為なら私はなんだってする。私が心の底から君を本当に愛していると、君だけを愛していると、どうしたら伝わる?」
ケイネスの問いかけにソラウは力を緩めた。お互い視線を合わせ、見つめ合う。思い詰めた青年の瞳は潤み、今にも泣き出しそうだった。こちらも同様だろうが、真に泣きたいのはきっと彼の方だ。自分が泣いてはいけない。
「じゃ、まずランサーを下がらせてもらえるかい」
「相解かった。私が喚ぶまで決して姿を現すな。霊体化し我々の話も行動も察知するな、ホテルの外にいろ」
「承知仕りました」
マスターから一瞥もされず下された命でも、サーヴァントは従うしかなかった。瞬時に部屋からランサーの気配が消える。
広大なホテルのリビングに二人きり。ランサーが去ったことで、女は青年の腕から放された。彼がどんなことをしてきても受け入れる覚悟はある。だが、同時にそれは甘い提案だったのかもしれないと、ケイネスは今更ながら後悔し始めていた。
「ね、僕の愛おしい婚約者殿、」
許してほしい、許してほしいがそれはソラウが納得しこちらの気持ちを信じてもらって初めて許されることを赦されるのだ。さきほどの言い方は随分身勝手な言い分に聞こえたかもしれない。違う、そうじゃない。自分はもっとソラウを想って、ただただ彼の苦痛を取り除きたいだけなのだと伝えなければ。
「ソラウ、」
「そこまで僕のことを本当に愛してるって言うなら、」
だが改めて呼びかけた言葉は遮ぎられた。
「魔力抵抗なしでディルムッドの顔を見てよ。ケイネス」
真の愛ならば、黒子の魅了なぞ恐るるに足らない。魅了されてもなお愛せるはずだと。
最愛の婚約者の唇からぶつけられた言葉の衝撃に、ケイネスは愕然とした。
「っ、」
ランサーを喚んでしまったことで、彼の最後の拠り所を壊してしまった――。
まさか、そんな。ソラウが、まがりなりにも魔導の世界に身を置く人間がそんなことを言うなんて。否、だからこそ言うのか。魅了は人の制御の及ばない神秘の力。真の愛など関係ない。言うなれば愛そのものの、根本の法則を歪める力なのだ。
「出来ないの?」
「解かった」
しかしケイネスは頷くしかなかった。
なればこそ。魅了に心を縛られようともソラウを変わらず愛していれば、もう二度と、絶対にソラウはこちらの愛を疑わない。確かにこれほど身の潔白を示す手段があるだろうか。
「ありがとう、ケイネス。嬉しいよ」
了承の言葉を受け取った相手の表情が瞬時に明るくなった。再び抱きしめてきた腕は優しく、額に落とされた口付けも慈しみに満ちている。
「わ、あ、ソラウ!?」
「安心して、サーヴァントの守りが薄い状態で抱きはしないよ。ただ、一緒に眠ることくらいは許して欲しいな」
約束の履行は明日の朝で。期限は僕が満足するまで。
抱き上げられ耳元に睦言の熱で吹き込まれた言葉は、酷く禍々しい。それでもソラウの心が軽くなればと願って、ケイネスは頷くと青年の首に手を回す。
「ケイネスはほんと軽いなあ」
「ソ、ソラウが望むならば太れるよう努力する」
「あは、そういう意味で言ったんじゃないけど、でも確かに君を抱きしめるたびに折れてしまいそうだとは思ってたからね。健康の為にもう少し太ろうか。と言っても贅肉じゃなくて筋肉をつけようね。僕は別に君がどんな姿形だろうと気にしないけど。健康は大事だよ」
同じ体型でも肉より筋肉のほうが重いし、基礎代謝もそれであがる。説明する青年の瞳からは、憂いが取り除かれていた。ソラウが笑って話しかけてくれるだけで、たったそれだけでケイネスの胸は喜びではちきれそうだった。
「解かった、さっそく明日から筋力の強化に励むとしよう」
「そして、元気な僕の子供を産んでね」
「う、うむ」
真っ赤になったケイネスを、ソラウは上機嫌で寝室まで運ぶ。抱かれはしなかったが、併設のバスルームで互いにシャワーを浴び終えると、ベットの中でソラウは至る所に口付けを施した。
婚約者の腕の中で、ケイネスは幸福と不安がぐしゃぐしゃになった小さな身体をすり寄せて眠った。


§   §   §


ランサーはケイネスのサーヴァントである。
いくら魔力を供給しているとはいえ、ソラウはマスターではない。ケイネスの命令が絶対だ。だが、それも時と場合による。
夜明けの空を眺めていたランサーの元へ、一匹の使い魔がやってきた。ケイネスではない。わざわざこんな回りくどいことをせずとも、マスターが喚べばサーヴァントに届く。だからこれはソラウであると瞬時に判断したランサーは、昨晩追い出されたリビングへと現界した。マスターが喚ぶまで姿を現さない命を受けていたが、昨日の事が事だ。
「いいよ、ここまでおいで」
常人ならば聞き取れないような限りなく呼吸に近い声でも、サーヴァントにはなんら問題はない。部屋の主の許可を得たランサーは、ソラウの寝室に現れる。
「久しぶりにゆっくり眠れてるからね、起こすのも可哀相だろ。疲れが取れるまでぐっすり出来るよう、少しだけ暗示をかけた」
青年の指が、婚約者の寝顔にかかった髪をそっとどかす。ソラウの言った通り、身動ぎもせずケイネスは眠り続けている。表情は穏やかで、愛らしいことこの上ない。
「だからといって、長くサーヴァントを放っておくのも危険だ。ケイネスの命令に背くことにはなるけど、君を喚ばせてもらったよ。ああ、怒られたら僕がちゃんと取りなすから。心配しないで」
「ありがとうございます」
主をより守れるならば。当人に叱責を受けてもソラウに便宜をはかってもらおうとは想わなかったが、ランサーは素直に感謝を述べた。
あの後、二人の間にどんなやり取りがあったかは知らない。だが、この様子ではきちんと仲直り出来たのだろう。女の首筋や、露わになった肩に残る情痕が生々しい。
知らず、ランサーは目を伏せ唇を噛みしめる。その様子にソラウが薄く笑みを浮かべた。
「それでね、いい機会だから言っておこうと思うんだけど」
ランサーは再び視線を上げる。その瞳を、ソラウは鋭く睨みつけた。
「彼女は僕のものだ。貴様がケイネスと言葉を交わすどころか見ることも不快だ。ただ想うということすら、僕は許せない。なあ、ディルムッド・オディナ。悲劇の英雄?」
主君の妻を奪った騎士。
真名を呼ばれたことで、それになぞらえてソラウはランサーがケイネスに懸想している事実を知っていると伝えた。
ランサーはすぐさま否定する。
「だからこそ! 我が悲願は今生こそ主となったお方に忠義を捧げ仕え尽きる事。主はなによりもソラウ殿を心より愛しておいでです。貴殿が心配なさるようなことは、絶対にございますまい」
「じゃあ、ケイネスが君を好きだといったらどうするんだい。主人に尽くすと言うなら、彼女の言う通りなんでもするんだろう。君が誓約によってグラニアと駆け落ちするしかなかったように、ケイネスには令呪だってある」
追及する青年の言葉に容赦はない。だがここで返答に窮してしまえば背信を疑われる。
「ありえません。私は、ソラウ殿を愛するケイネス殿を信じております。ソラウ殿こそ、そのように主の愛を愚弄されるような発言は慎んでいただきたい」
「はん、言うじゃないかサーヴァント」
真っ向から反論された上、諌言まで述べられてしまったソラウは、さも愉快そうに剣呑な含みを持たせた声音で言い放った。
「馬脚をあらわしたな、ディルムッド。おまえは自分の願いを叶える為ならばどんな手段も厭わない卑しい狗だ」
そんな事態はありえないと、状況だけを否定し、己が行動については否定しない。それはソラウの言葉を認めたも同じだ。
「しかもだ。主君に対して至上の忠誠を捧げたいが故、貴様は絶対してはならぬことをした! ケイネスへの想いは純粋なものじゃない」
「そのようなこと。指摘されるまでもなく、百も承知でございます」
マスターの婚約者に看過されても、サーヴァントは狼狽えなかった。揺るぎのない瞳で、嘲りを跳ね返す。
「さっき言った通り、我が主の心は貴女のものであると疑わない。だからこそ、俺は主をお慕い申し上げる」
「へえ、認めるんだ。結構。見直したよ不義の騎士。感謝しろ。飼い犬ごときが主人に懸想してることは、ケイネスに黙っておいてあげよう」
途端上機嫌となったソラウをランサーは訝しむ。いくらマスターの婚約者とはいえ、ケイネスへの昨夜の仕打ちは腹に据えかねていたのだ。ソラウの性格ならば、ここで逆上されてある程度の打擲も覚悟していた。
だが、彼は言いたいことも言い終わったしまた後で呼ぶと退出を命じられ、ランサーはそのまま現界を解く他ならなくなった。
ランサーのいなくなった部屋で、ソラウは隣に眠る婚約者を撫でながらほくそ笑む。なんて馬鹿なサーヴァントだろう。甘美な絶望の支度は整った。声には出さず、青年は唇を動かしその蜜を掬う。
「だって。ケイネスが知らないほうが、面白いじゃないか」



  2

ケイネスが目覚めると、ベッドはおろか寝室にもソラウの姿はなかった。時計を見ればブランチすら遅い。完璧にランチだ。
「寝坊した!」
完全に覚醒したケイネスは飛び起きる。大変だ。ランサーを召還してから、こんなに長時間サーヴァントと離れていたことはなかった。
「ランサー!!」
「は、ここに」
喚べば、瞬時にサーヴァントが現界した。
「ソラウは無事か!? 何か変わったことはっ」
「ご安心下さい、ソラウ様はご無事ですし、何も異変はございません」
「そ、そうかよかった」
「恐れながら。実は朝、まだ主がお眠りあそばされていた時分、ソラウ様が一度私を喚び戻しておいでです。ケイネス殿の心行くまでの睡眠を危険が及ぶことのないようにと、ソラウ様のお心遣いです」
「なんと、そうであったか」
常ならば、いくらマスターのためとはいえ命令違反を犯したとなればランサーは叱責される。だが婚約者の名は効果覿面で、ケイネスはそっと頬を色付かせてランサーの違背を許した。だが、同時に昨夜の彼との約束を思い出し、ケイネスは胸が締め付けられる。
「ソラウ……」
ディルムッドはサーヴァントらしく跪いている。故にその魅了は今のところケイネスには届いていない。それにケイネスの服装は、シルクのスリップ一枚。とてもランサーが面を上げるとは思えない。
「着替える。仕度が終わったら呼ぶ」
「は、それが主。テーブルにソラウ様が新しいお召し物をご用意しておいでです」
「なに、」
とりあえず先延ばしに出来た安堵に浸る暇すらなかった。ケイネスはランサーの言葉を受けてベッドを下りる。
「まず顔を洗って来る。待っていろ」
「かしこまりました」
ケイネスは併設のバスルームで洗顔すると、寝室に戻り重い足取りでテーブルに近付く。
ソラウがプレゼントしてくれたというのに、こんなにも暗澹たる気持ちになるなんて。昨日はあんなに嬉しかったのに。きっとこれが彼の作戦なのだと、解りたくなくて延ばす手はのろく、泥を掻き分けるよう。
箱は二つ。リボンが巻かれ華やかなラッピングが施されている。女は緩慢な手つきで包装を解く。一つ目の中身は靴。あまり踵の高くない、落ち着いたシルバーのパンプス。アクセントの花のコサージュが足首のストラップに咲いている。
そして、二つ目の中身。
「この、服、は……」
「はい、ですからソラウ様が主を労って、今まで根を詰められていたのだからと、それを着てお出かけになられてはどうかと、」
「そうではなく……っ」
振り向くと、ランサーは立ち上がっていたが頭を垂れたまま。ランサーはせっぱ詰まった言葉を受けても、頑としてこちらを見ようとはしない。それはそれで失礼ではないかとケイネスは内心むっとする。
「ケイネス殿、いかがなされました」
それでも愛してやまない婚約者からのプレゼントにいつまでたっても喜ぶ様子を見せないマスターに、ようやくランサーは異常を察知する。
「ランサー」
「はい」
「このワンピース、一人で着ることは出来ぬ」
「は?」
「手伝え」
「なっ。それは……そんな、いくら主の頼みでも……今回はソラウ様に、」
「ソラウに使用人の真似事をしろと言うのか」
案の定慌てたサーヴァントにケイネスは詰め寄る。
ケイネスの言葉と表情はばらばらだ。ランサーが見ていないから、いつもと同じきつい口調で喋れる。顔は、今にも泣き出しそうなのに。
(ソラウ……そこまで念を入れるなんて)
女は歯を食いしばり、覚悟を決める。彼への愛を証明するためならば、どんな試練も乗り越えてみせる。
ケイネスは魔力抵抗を捨て去った。
「いいからっ」
声をあらげると、ランサーの肩がびくりと震えた。
「許す。私を見ろ、服を着せろ、ランサー」
「か、かしこまりました」
有無を言わさない口調に、やっとランサーは面を上げた。
ゆっくりと露わになるその、魔貌が。ケイネスの視線を思考を理性を、絡め取る。釘付けにする。
「――ッ!」
ケイネスは悲鳴を飲み込んだ。
電撃に貫かれたようなどと、そんな表現では足りない。灼熱の奔流に一気に浚われる、天空から一瞬で地上に突き落とされる。圧倒的な力に屈服させられる。
知らない。こんな感覚は知らない。
心に決めた人がいるのに。彼しか愛したくないのに。そこへ無理矢理割り込まれて、肥大した心が破裂しそうだ。
「あ、う……」
「主!?」
膝から崩れ落ちそうになったケイネスを、ランサーは支える。
「顔が赤いですよ、熱があるのでは」
「大事ない。ふらついたのは寝ぼけているからだろう。それから私の顔の皮膚の血行が促進させられている理由は、ソラウ以外に寝間着をさらしているからだ、言わせるな馬鹿者」
「も、申し訳ございません」
「ふん」
ケイネスは乱暴にランサーの手を払った。その、触れた指先にすら熱が灯って鼓動が速まる。
(ソラウと、同じ……)
ケイネスは指先を手のひらで包む。昔、まだソラウと出会ったばかりのころは、こうして偶発的に触れただけでも皮膚が熱く感じた。同じ場所にいるだけで、見つめられるだけで、声をかけられるだけで、血液が沸騰して爆発してしまわないのが不思議なくらいだった。
「ケイネス殿?」
握り拳を胸に抱いて黙り込んだ主人を案じ、ランサーが声をかけた。
「な、なんでもない!」
心配されて嬉しいなど。ケイネスは首を振ると勢いスリップを脱ぎ捨てた。ショーツ一枚の姿に、案の定ランサーは目をまん丸にして凍り付いている。ざまをみろ。
「なにをぼさっとしている。早く服を着せぬか」
「かしこまりましたッ」
我に返ったランサーが、大慌てでワンピースを手に取る。後ろが全て編み上げになったクラシカルなものだ。紐を緩めたランサーが、主人の頭からワンピースを被せる。ケイネスは顔と手を出し、ランサーが紐を締めていくのをただ待った。
「苦しくありませんか」
「問題ない」
嘘だ。早鐘を打つ心臓が苦しい。この鼓動を止めるほど、きつく絞り上げてほしかった。
ワンピースは袖以外の上半身の部分はコルセット状になっており、殊更女の華奢な四肢が強調される。大きく開いた胸ぐりは、コルセットが支えるおかげで実物より華々しく盛り上がった乳房が谷間を形成していた。
「上着を」
「うむ」
最後にボレロに袖を通される。日本では現代から浮いた服装だったワンピースが、ボレロのおかげで緩和された。これなら外を歩くのに支障はないが、それはイギリス人であるケイネスが着ているからであって、日本人が同じ格好をすれば奇異の目で見られただろう。もっとも、目立つという点では変わらないが。なにせ金髪碧眼の美女だ。注目されないはずがない。
「ソラウ殿はもう昼食を召し上がっておいでです。ケイネス殿はいかがなされますか」
「ソラウが言った通り外に出る、貴様も来い。そこで食べるとしよう。先に彼へそう伝えておいてくれ。まだ化粧をしていない」
「承知いたしました」
一礼したサーヴァントが消える。ケイネスは床にへたり込んだ。今更になって羞恥がこみ上げる。穴があったら埋まりたい。ランサーにはしたない主だと軽蔑されたりしないだろうか。ランサーに粗末な身体だと思われたかもしれない。ランサーに嫌われたくない。そんな想いが胸を潰す。
なんということだろう。この心を今満たしているのはソラウではない。ランサーだ。サーヴァントと出掛けられることに心を躍らせている。許せない。そんな自分は許せない。
呪いのせいでも、ソラウ以外を想う己が許せない。否、呪いのせいだと言い訳をしたくないのだ。それは呪いだからランサーを愛したことを否定したくないからか。呪いという責任転嫁でソラウ以外を愛したことに罪悪を募らせないための行為を正当化させないようにするからか。あるいは両方かもしれない。心が二つに引き裂かれて、悲鳴を上げている。頬を熱い滴が伝った。
嗚呼、それでも。
よかった、二つの心とはつまりそれでも己はソラウを愛しているのだ。愛しているからこそつらいのだ。
ケイネスは立ち上がると自分の部屋へ足を向ける。気付いた事実は勇気をもたらして女の背を押す。化粧をすれば、泣くことは出来ない。もう泣かない。しっかりとした足取りでケイネスは部屋に戻ると、女の武装を施した。
化粧は魔術だ。証拠に、リビングに戻ったとき待っていたランサーを見ても、先程のように酷く煩いはしなかった。驚きはしたが。
「ソラウ、ランサーのその格好は」
リビングには間の悪いことに昼食から戻ったソラウと、スーツを纏ったランサーがいた。
「ケイネス、まさか霊体化したままランサーを連れて行くつもりだったの?」
「う……」
こうならないよう、ソラウが戻らないうちにこっそりと出て行ってしまいたかったのだ。ちょうど昼食に出たというからその隙にと狙っていたのに、思いの外落ち込んでいた時間が長かったらしい。
「駄目だよ、見かけ上君一人だなんて。ナンパでもされたら心配だ」
「しかしランサーはランサーで面倒なことになるのではないか」
「大丈夫、この姿ならどう見てもお嬢様とSPだ。いくらディルムッドの魔貌といっても、肝の小さい日本人がちょっかいかけて来ると思う? それにこんなに愛らしい連れがいるんだよ? 君に勝てると思ってランサーに声をかける女なんかいないさ。ケイネスが一番さ。な、ランサー?」
「もちろんです」
「解かった」
ケイネスはしぶしぶ承諾した。黒子の呪いに日本人の性質など関係ない。しかしなんであれ、ソラウはランサーと外出させたいのだ。反論は無駄だ。ランサーの自信たっぷりに頷く姿だけは腹が立つ。同時に嬉しいとも思うから、余計そう感じる。
本当は、ソラウと出掛けたいのに。しかしいかなランサーとはいえ、同時に二人を守ることは難しい。魔力を供給するソラウは、この厳重な結界の中にいてもらうことが最も安全なのだ。
「いいこだね、ケイネス。それにその服、とっても似合ってるよ」
「ありがとう」
ソラウに頭を撫でられ、ケイネスは頬を赤らめる。ソラウはケイネスがランサーに肌を見せたことを知っていて似合うと言う。それでもケイネスは嬉しかった。ソラウへの愛の為に意に添わない行動も我慢した。それを誉められているのだ。喜ばないわけがない。
「では行って来る。日付が変わるまでには戻る」
「うん、いってらっしゃいケイネス。ランサー、僕の婚約者殿を頼んだよ。命に替えても守り通せ」
「御意」
ケイネスは後ろ髪を引かれる思いでフロアを後にした。





「満足ですか」
「まさか。」
怒りを押し殺した声に、感情を排した声が答えた。
赤い髪の男は無惨な姿になった婚約者を見下ろしていた。その頬に、一筋。一度道が出来てしまえば、止めどなく。
「ランサー」
「はい」
「おまえの企みも終わりだ。ケイネスの令呪を全て消費させて、僕を殺しても彼女はおまえのものにはならない」
「魂喰いで魔力を補うという選択肢もありますよ。受肉すれば意味もなくなる」
「でも、おまえはそうはしない。聖杯はケイネスを元の身体に戻す」
「そうですね」
「はは、やっぱりまだ分別は残っているんだな。馬鹿だなぁ、ケイネスさえ手に入れば、手段を選ばないくらい言ってくれないと、僕の張り合いがないよ」
「私の望みは、今生の主に忠義を捧げることです」
「……二人きりにしてくれ」
初めて感情の滲んだソラウの言葉を受けて、素直にサーヴァントは消えた。このままだと、もう二度とランサーはケイネスの前で実体化しないだろう。魔術回路が破壊され、魔力抵抗もない。ただの人間になってしまったケイネスに、ランサーの魅了に抗う術はない。
ソラウは婚約者の頬に手を添えた。冷たい。生きているのが不思議なくらいだ。奇跡といっていい。その奇跡に、心の底から感謝する。
感情が揺さぶられる。本物の涙が溢れる。
「馬鹿なサーヴァント。こんな結果で僕が満足するはず、ないだろう?」
声を出したら、嗚咽が止まらなくなった。
やっぱり感情をくれるのはケイネスだ。
嘘泣きでない涙なんて、初めて零した。
「まだまだだ。どう奪おうか思案していた魔術師としてのケイネスが奪われたおかげでだいぶ無くなったけど、ケイネスから奪う物は沢山残っているよ。そう、だから張り合う他無いように仕向けないと。ね、ディルムッド」
それには君から君の願いを奪わなければ。
嬉しくて嬉しくて、嬉しいという感情を感じられることが嬉しくて、男は流れるまま涙を流し続けた。


§   §   §


目覚めた瞬間、眼前には泣き腫らした婚約者の顔があった。おかげで、ケイネスは一人であったなら激しく取り乱していたであろう事態を回避した。
「ケイネス、ケイネス酷いよこんな。許せない……許せないッ」
頭を撫でてやりたいのに、どこもかしこも身体を動かすことが一切出来ない。感覚すらない。
しかし、ソラウよりもよほど泣きたい気分であるはずが、ケイネスは至極心が軽かった。この心にはソラウしかいない。ランサーを想う感情など一欠片もない。
「ソラウ、」
君さえいればなにもいらない。自分が持っているものは全て失ってしまった。このままでは君を守れない。
だからもう、帰ろう。
そう続けようとした言葉は、相手の思いもよらない提案に掻き消された。
「ケイネス、僕に令呪を譲って」
「なっ」
「僕が聖杯をとる。そしてケイネスを元の姿に戻す。君をこんな姿にした奴を、僕は絶対に絶対に許さない! だから令呪を譲って」
「ソラウ……」
「君が駄目だって言っても、腕を切り取ってでも貰うよ。聖杯に頼めば元に戻るもの」
婚約者の言動に本気を見て取ったケイネスは頷くしかなかった。言葉では説得出来ない。身体も動かない。選択肢はない。この場は彼の意見に賛同するしかない。
「解かった。令呪を譲る」
「ありがとう!」
「その代わりと言ってはなんだが、私の願いも聞き届けてはくれないか」
歓喜するソラウを宥めるように、ケイネスは言った。
「日本に腕の良い人形師がいる。彼女へ私の身体の代わりを大至急手配してくれ」
「解かった」
令呪を委譲しても、身体さえ動けばソラウの暴走も止められるだろう。――そんな認識の甘さを、ケイネスはすぐに身を持って知ることになった。



「これでよし。大丈夫だよ。おいで、ランサー」
ケイネスの目を覆うように包帯を巻き、魅了封じの術を施したソラウは、サーヴァントを呼んだ。
「ケイネスから令呪を委譲してもらった。僕が仮のマスターとなりおまえを使役し、聖杯を手に入れケイネスの身体を元に戻す。異論はないな」
「あるはずも御座いません」
車椅子に腰掛けていたケイネスは、声のする方向に顔を向けた。もちろん目隠しをされているため、ランサーの顔は見えない。
「ソラウを守ってやってくれ」
「かしこまりました、我が主よ」
「ケイネスの身体なんだけど、急すぎて足まで手に入れられなくてね、それ以外は――回路と刻印以外は元通りだから」
二人の間に割り込むようにソラウが言った。
「はい、必ずや聖杯を手に入れ、ケイネス殿の身体を魔術師として取り戻してみせます」
「うん、そういうことだ」
物解かりが良くて嬉しいよ。
ケイネスの耳に、ソラウの笑う声が届く。目が覚めてから一度も明るい表情を見せていなかった彼が、ようやく笑ってくれて、ケイネスは安堵した。
「令呪を以って命ずる。ランサーはソラウ・ヌァザレ・ソフィアリに一切危害を加えてはならず、守らねばならない」
「ソラウ……?」
だから、あまりにも会話の続きのように彼が発した言葉が自然すぎて、ケイネスは事態の把握が遅れた。
いくら確執のあった二人とはいえ、わざわざ令呪を消費することなのだろうか。
だが、次のソラウの言葉に、ケイネスは命令の真意を知った。
「令呪を以って命ずる。ランサー、ケイネスを犯せ。しかし彼女に魅了を用いることは許さない」
命令の真意を知っても、彼がその命令を下した理由が解からず、ケイネスは叫ぶ。
「ソラウ、どうして!?」
「あは、質問する暇なんてあるのかな? 早く逃げないとランサーに強姦されちゃうよ」
「っぐ、あ……お逃げ下さい、主……!」
ソラウの言葉通り、ランサーが抵抗出来たのはほんの数秒ほど。
「ひ……っ」
閉ざされた視界ではどうすることも出来ず、ケイネスは容易く床に引きずり降ろされた。
「やめ、やめろランサー」
「主、申し訳ありません主……!」
覆い被さるランサーを押し留めようとするが、サーヴァントに女の細腕が適うはずもない。
「なんだよ、もっと喜べばいいだろディルムッド。ようやく愛おしいご主人様を手に入れられるんだからさぁ」
「きっさ、まァ…!」
しゃがみこんで二人を観察するような目で見るソラウに、ランサーは怨嗟を込めて睨み付ける。だが抵抗など無駄なのだ。その手は組み敷いた女の被服を暴き、皮膚を撫でる。


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