最初に眼に飛び込んできたのは、大きな大きな純白の翼。中心にまるで白いゆりかごに包まれるようにサチが横たわっている。
その寝台の横に、よく見知ったサチの両親の姿があった。

「チサトおばさん、庸介おじさん、サチは……」
「ごめんなさいね、正義くん。こんなところに呼びつけてしまって。本当はもっと早くこうしてあげたかったんだけど、こっちも忙しくて」
チサトおばさんはクマの浮いた顔で無理やり笑顔を作った。
「いえ。僕も、何日かショックでとんでましたから。サチのこと誰より何より好きなのに、現実についていけなくて思考を手放してしまった。失格です、僕。……サチとは、話せますか」
「ええ、もちろんよ。そのためにあなたを呼んだのだから。最後の、お別れのために」

「え――」

一瞬思考が、サチの羽根色に染まった。

「ちょ、ちょっと待ってくださいっ。どうゆうことですかそれはっ」
「落ち着きなさい、正義。サチにさわる」
庸介おじさんが、髭がのびっぱなしの顎を振る。なんで、なんで二人ともっ。サチの親なのに諦めるのか。落ち着いてなんていられるはずないじゃないかっ。

「……まさ、よしく、ん。お父さんもお母さんも、悪くないの。一生懸命、私を助けるために、頑張ってくれたのよ」
 蚊の鳴くような声だったけど、僕は確かにサチの声を聞いた。高ぶっていた気分が、妙に平らになっていく。

それは、わかったからだ。
彼女の、声を聞いて。
彼女の、表情を見て。

サチは静かにしゃべりだす。
「お父さんとお母さんは、ここでいろんな研究をしていたの。私がお腹にいるのも、ほんと最初は気付かないで。ある日お母さんは実験中につわりが酷くて倒れて、実験は失敗。母子ともに危険な状態だったらしいんだ。奇跡的に命をとりとめたんだけど、そのとき私に天使病の因子が入っちゃったみたいなの。実験が失敗したせいで、研究所は閉鎖されてしまった。だから、そのことはわからなかったの。
そしてね、正義君。半年前、由司が死んだとき、それは起こったの」

由司。半年前に交通事故で死んだ、僕の兄。

「誰か、私を罰して下さい、って。あんなに強くなにかを願ったことなんてなかった。そしたらね、因子が答えてくれたの。お前の罪にふさわしい罰を与えてやろうって。で、こんなになっちゃった。世界は眠って、私の翼はどんどん大きくなる。そして、

私を殺さない限り、世界は目覚めない」

「――っ」

なんて、悪い夢。

「私が死ねば、世界は救われるんだよ」
そう言って、サチは微笑んだ。それはそれは嬉しそうに、誇らしげに。
「もうここまでしたら、罰を受けさせるしか、ないものね」
僕は、やっぱり失格だ。
ごめんね、正義君。やっぱり私、あなたの大切な家族を、たとえ直接傷つけてなくても、死ぬ原因を作ってしまった自分を許せない」

サチがこんなにも思いつめていたのに、気付かなかった。ううん、気付いていたけれど、これほどとは思わなかった、思えなかった自分の落ち度だ。
「何事もなかったみたいに、あなたの隣で笑うなんて、出来ない」
君のせいじゃない。
ただ、彼女を傷付けたくなかった。それが結果的に彼女を傷つけた。

「世界まで、なんの罪もない人まで巻き込んじゃって、私ってほんとどうしょもない人間だね」
もしこれが、偶然サチに降りかかった災厄だったら。僕は世界を敵にまわしてでもサチを死なせやしない。
でもその災厄が彼女自身望んだ結果だとしたら――。

「サチ、由司兄さんのことをそこまで想ってくれてありがとう」
きっと孝司は怒るだろうな。なんでそんなすごすごサチを諦められるんだって。
きっと誰でもそう言うだろう。でも、後世にはそれが抜け落ちて、自分の身をなげだして世界を救った少女としてしか伝わらない。実際、国がそのように情報操作するはずだ。たった独りの少女の想いのために、世界が滅びるなんてあってはならない、と。
「お父さん、お母さん最後のわがままを聞いてくれてありがとう。もう、大丈夫」
晴れやかに、サチは自分をコロセと言った。

「サチが発現する前に、天使病にかかった人間は眠らないんだ。だから、今は世界中がほぼ無政府状態といってもいい。――世界のためにわが子を手にかける親を許してくれ。」
康介おじさんが、たんたんと準備を進めながら贖罪の言葉を口にする。

「正義くん。手、にぎってて」
サチの右手。あたたかい。
一瞬の躊躇のあと、康介おじさんが左手に筋弛緩剤を注射した。

「大好きよ、正義くん」
「僕もだよ。サチを世界で一番想ってる」



―― IV ――


サチは英雄になった。

メディアはこぞって彼女の自己犠牲をたたえ、世論はおおいにわいた。政府は原因の究明から目をそらさせることに成功したわけだ。

僕にはまだ、なにが本当に正しかったのかわからない。それとも、正しいことなんてなかったのかな。一人一人が自分の正しいと思ったことを選んだ結果がこうなったのだから。

昼休み、昔サチと過ごした裏庭は一年たった今でも変わらない。ここでぼーっとしたり考え事をしたり本をよんだりするのが僕の日課になっていた。
もうすぐ五時間目が始まる。僕はけっきょく全然読み進めなかったページに、もう一度しおりをはさんだ。

純白に輝く、サチの羽根を。

Fin.


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