麦藁法師

風が吹くたび、麦藁畑いっぱいに黄金の波が広がる。
入道雲。
照りつける日差し。
帰りにアイスでも買って帰ろうか。
僕はとりとめなく、そんなことを考えながら学校へ向かっていた。
明日から夏休みだ。

麦畑の中に、僕の学校はある。今日は授業はなく、終業式だけだ。ホームルームで通知表を受け取り、さっさと帰る生徒も少なくないだろう。
「おはよう、スオ」
「シギ」
おはよう、と僕は続けて返す。シギはいまのところ、僕の一番仲のいい友達だ。

「今日は終業式に出ようと思ってるって、セラにさっき聞いたけど、本当なのかい」
シギはめったに学校の行事に出ない。それ以前に、授業もほとんど出ないさぼり魔だ。その彼が、今日は終業式に出るという。セラは嘘をつけない。でも、にはかに信じられなくて、僕は本人に直接聞いてみた。

「たまにはいいだろ」
「はは、雪が降るかも」
どうやらシギは本気のようで、冗談ではなく僕は心底そう思った。
成績はいいのに授業はさぼる。学年一足が速いのに、運動会に、そもそも行事に出ない。シギは、なんでも一番なのに、何もしなかった。昔は、そんなんじゃなかったのに。
ただ、僕はそれでいいと思う。彼の白く細い手足は、なにかすればすぐにでも壊れてしまいそうだった。
白くて、質感のない、曇りガラス硝子なんだと。


僕とシギは麦の穂の合間をぬい、隠れ鬼をしながら帰りの道を行く。僕が鬼だ。もし麦畑を抜けるまでに鬼だったら、世界堂でアイスをおごらなくてはならない。はっきりいって、僕はシギを捕まえられるとは思えない。こういうことにかけては、彼は天才的だ。ことに、今はアイスを賭けている。じゃんけんで負けて鬼になってしまったとき、僕は早々に諦めていたのだ。

シギを探しながら、僕は延々と歩き続けた。
おかしい。
もう、麦畑を抜けてもいいはずだ。なのにいっこう麦の森は途切れる気配が無い。もしかして西側に来てしまったのだろうか。西は東とは比べ物にならないほど広く畑が連なっているのだ。
僕はいったん学校に戻ろうと、時計台を探した。校庭の西南にある時計台はこのあたりの建物じゃ、市立博物館の万華塔の次に高いのだ。だから、それを目印に戻ればいい。


……だが、時計台は見あたらなかった。
「嘘だろ、ここは一体どこなんだよ……」
僕は座り込んだ。一気に疲れた感じだ。
漏らした言葉とは裏腹に、あまりの非現実さに冷静になってきた。だって、明日からは夏休みで、シギと鬼ごっこをしていいて、世界堂のアイスをおごらなきゃいけなくて、明後日から三日間、祖母の家に遊びにいったり、それ以外はシギと遊んだり、ねぇ。
僕は、笑った。

「何が可笑シイの?」
突然、声をかけられて僕は笑うのをやめた。声の主はいつの間にか後ろに立っていた。僕と同じ年頃だろうけど、目深に麦藁帽子を被っていて顔はよく解らない。声も体型も服装も中性的で男か女かも判断できない。
「友達と隠れ鬼をしていて迷ってしまったんだよ」
「それって笑うコト?」
僕が答えると、その子は不思議そうにまた聞いてきた。

「どっちかっていうと、泣くことかも」
「帰リたい?」
「もちろん」
「ホントウに?」
何を言い出すんだろう。そんなの、あたりまえじゃないか。明日から夏休みなんだ。
「君、名前は?」
「ツキコ」
「僕はスオ。ねぇツキコ、帰り道解るかい?」
ツキコと名乗った子に、今は頼るしかない。多少腹の立つ相手でも、僕にはツキコしかいなかった。

「……ほんとうに、カエリタイの?」
「だから、さっきからそういってる」
いらいらしながら答える。この口ぶりは、帰り道を知っている。もう日もかげってきてるし、一時間もすれば夜になってしまうだろう。早く帰らないと心配をかけていまうのに。
「わかった。じゃあ、これを被って」
ツキコはしかたなさそうにそういって、被っていた麦藁帽子を僕に被せた。
「ばイばイ」
「っ、ツキコ、おまえ、」
あらわになったツキコの顔に、僕は混乱した。詰め寄ろうと手をのばす。

手は、空をきった。


ツキコはいない。遠くに、時計台が見える。
「現実デハ、ずっと一緒ニいられないのに」
ツキコの声が聞こえたきがした。

麦畑を出たところで、シギは待っていた。僕の姿を認めると急いで駈け寄ってくる。
「スオ、遅いじゃないか」
「……ごめん、なんか迷っちゃてさ」
「心配させたかわりに、アイスだけじゃなくてカキ氷もおごらせるぞ」
「うん」
言うことはちゃっかりしてるが、シギは本当に心配していたんだと思
う。

道すがら、僕はツキコの話をした。
「それ、きっと麦藁法師だ。俺達が楽しそうに遊んでるのを見て、イタズラしたくなったんだろうな、きっと」
シギはそう言って、法師は人をからかうのが好きだからと付け足した。
今日はもう遅いからと、祖母の家から帰ってから遊ぶ約束をとりつけた。アイスとカキ氷もそのときだ。
そして、僕らは別れた。
シギの歩く道のさきに、黄金の光がさす。夕暮で麦畑にみえた。


祖母の家から帰った翌日、シギの家に遊びにいった。するとシギの母が泣きはらした目をしながら玄関へと出てきた。
「スオ君、実はね、シギは……一昨日から行方不明なの」
僕は頭を殴られた気がした。実際にはそんなことされていないけど、気が遠くなった。シギの母の口が動いてるだけで、僕には彼女が何を話しているか理解できなくなった。

後で知った話だが、シギにはツキコという姉がいた。シギとツキコは、姉弟というには少々親密すぎるほど親しかったらしい。彼女は明日から夏休みという、ちょうど今ぐらいの時期に学校の周りの麦畑で、隠れ鬼をしていていなくなったそうだ。
きっと、シギは会いにいったのだ。

無限に広がる麦畑で見たツキコはシギとそっくりだった。


夏休みが終わって、僕は学校へ行った。
シギがなにごともなかったように始業式にでている。
僕らは以前と変わらず、話をして、遊んで、ケンカもした。どうして帰ってきたかとか、そんな話はいっさいしていない。ただシギはぽつりと、もう法師は表われない。そう言ったくらいだった。

シギはあれ以来、終業式にでたことがない。 

了.


Back