封鱗市


りぃん          りぃん

     りぃん           りぃん

りぃん       りぃん

     りぃん           りぃん

りぃん          りぃん


風もないのに、それは騒がしく共鳴して鳴いていた。

連なる鳥居。遠い境内。参道にそって伸びる縁日。

けれども出店に置いてあるのは風鈴ばかり。


強烈に白い日差しの下、存在しているのは彼一人だった。
(ここは、どこだろう)
スオは風鈴の中をさまよっていた。暑さとノドの渇きが少年の体力を確実に削っていく。道を聞こうにも、彼のほかに人はなく、スオは途方に暮れていた。
シギと待ち合わせの約束をしていたスオだったが、遅刻しそうになってしまい、近道をしようと路地にを抜けたらこのざまだ。
(お祭りなんてあったっけ)
寺社の名前を見れば、今いる場所がわかるかもしれない。スオは参道を上がる。風鈴しか並べられていない出店の裏は緑が濃く、その先がどうなっているか知れない。またヘタに突っ切って知らない場所に出るよりは、建物がありそうなところに行ったほうが早いとスオは思った。
りぃん
りぃん
りぃん
風鈴の音が後ろを追いかけてくる。なにかが足りない、気持ち悪い。他にここで聞こえるのは、自分の荒い息遣いと石畳を力なく踏みつける足音だけ。
おかしいはずだった。
迷う前にはあった、あんなにうるさい蝉の声が聞こえない。まるでここだけ切り取られたように存在する空間。
(僕は、もしかしたら一生ここをさまようのかもしれない)
その考えにいたった瞬間、スオは座り込んだ。
いくら歩いても終わりのない参道。木々でさえ生物というより無機物の体をして、自分だけが異質だった。
なんだかひどく眠い。スオは身体を横たえ、目を瞑った。石畳は、なぜか冷たく心地よかった。
「おい、道のど真ん中で寝るな。恥ずかしいヤツだな」
突然聞き覚えのある声がして、スオはがばりと上体を起こした。
「シギッ」
日差しに透ける白い肌。みどり色の黒髪は、日光を反射して輪を作っていた。心底呆れた瞳がスオを見下ろしている。
紛れもなく、スオの待ち合わせの人物だった。
「遅いから心配してきてみれば。ったく、無意識に空間を渡るクセ、いい加減直してくれよ」
「シギ、言ってる意味よくわかんないんだけど」
「……別に、なんでもない」
帰るぞ、と手を伸ばされスオは迷わずその手をとった。
「ねぇ、帰るって、ここはどこなの」
立ち上がり、服についた砂を払いながら少年は問う。
「おれも知らない。でも帰り道は知ってる。時間がない。うだうだ言ってないでついてこい」
「シギってばいつも強引だ」
むくれるスオに、シギは笑いながら返す。
「いちいちおまえにお伺い立てるおれなんて、気持ち悪いだろ」
「うん」
「即答か。まあいい。それに時間がないは事実だ。日が暮れる前に急いで神社に着かないと厄介なことになる」
シギの表情が引きしまった。いつも不真面目だから、こういうときのシギには強い力がある。スオは大人しくシギについていくことにした。
「でもさ、どうして夕方までに戻らないといけないんだい」
大人しく、といっても疑問に思ったことは素直に聞く。シギはめんどくさそうに答えてやった。ここで問答してもいいことがないと思ったのだろう。
「ここは、たぶん風鈴市だ」
「風鈴市……」
「ああ。鱗を封じてある。夜になると鱗が出るから、その前に帰らないといけない」
「鱗って、なに」
「良いものじゃないことは確かだな。俺も詳しくは知らない」
(でも僕よりは知ってるよ)
スオは心の中で突っ込んだ。間違っても口には出さない。シギはスオがへりくだることを嫌う。なぜだか知らないけれど、シギは何でも一番に出来るくせ、スオを一番に扱う。こんな、何も出来ない少年を。
それから二人は黙々と歩いた。不思議なことに、スオがいくら歩いても縮まらなかった境内への距離が、シギと一緒だとだんだん近づくことができた。
最後の鳥居をくぐり、シギは溜めていた息を吐く。
「なんとか間に合ったな」
傾いた日差しが、二人の足元に長い影を作っていた。
スオは神社を見上げ、ずっと気になっていた神社の名前を呟く。
「螢神社……」
瞬間、闇が訪れた。
「シギッ」
「スオッ」
互いの名を叫んで、手をきつくつなぐ。闇は二人を覆い、しかし飲み込みはしなかった。
「どうして……真っ暗なのに。シギの姿、はっきり見える」
「見ろ」
シギに目線で示された先、そこには無数の螢が舞っていた。
否、
「あれが鱗だ」
青とも緑ともつかない小さな小さな灯が無秩序に漂う。吹けば飛びそうな淡い光。
「螢じゃ、ないの」
「違う。ここは境内だから大丈夫だったようだな。参道にいたら、間違いなくあっちの仲間入りだ。……いや、それは俺だけかもしれないが」
「え……」
「なんでもない。さぁ、帰ろう。いくら境内だからといっていつまでもいるのは良くない」
「う……ん」
良くないものだと教えられても、その美しさは惹きつけてやまないものがあった。もしかしたら、それが魔性なのかもしれない。
螢神社の扉を開けると向こう側が見えた。スオは足を踏み入れる。が、
「うわっ」
後ろでシギの悲鳴がした。振り向くと鱗が鳥居をこえて彼の周りを巻いていた。
「シギッ」
スオは手を伸ばした。届かないはずの距離であるのに、シギの細い手首をスオは掴んだ。鱗が離れる。二人は倒れこむように神社の中へ入った。
二人は帰ってきた。
こっち側も、すでに夜だった。虫の音が静まり返った路地裏にむなしく響く。
(もう、ここの世界もだめだ)
「どうしたの、シギ」
厳しい目で闇を見つめる少年に、スオは聞く。
「ん、いや、こんなに遅くなってしまって。帰ったら怒られるなって」
「そうだね。夕食抜きかも」
「ありえる」
そう言って、二人は顔を見合わせて笑った。
明日、またここで。
遅れてもいいから、変な近道するなよと釘を刺され、二人は別れた。

*   *   *


スオは見た。
シギにまとわりついていた鱗が離れて形作ったのは、少女だった。シギと瓜二つの彼女はスオを見て言ったのだ。
「――」
 そう、確かに聞いたはずなのに、スオは思い出せなかった。
それなのに、彼女の名前だけは知っていた。
?ツキコ?
誰に教えられたわけでもない。けれど、それは本能のように刷り込まれていた。
(シギ、君は知っているね。でも、僕が自分で思い出さなきゃだめだって、なんとなくわかるよ。ここでの明日は、きっともうこない)
目が覚めたら。次はどんな壊れかけの世界が待っているのだろう。


了.

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