・ ・ ・ 4 バーナビーが迎えに来るまで虎徹は昨日のことをすっかり忘れていた。 朝の支度をして、出かけようとしたときインターホンが鳴って、バーナビーの声がした。 『おはようございます、虎徹さん。気分はどうですか』 玄関の扉一枚を隔てて、気遣いの言葉を発するバーナビーがいる。 音と気配で向こうも自分がすぐそこにいるのがわかっている。だから、早く返事をしてでなければ、いけないのに、動かない。 きちんと相手をしなければならないのに、バーナビーが怖い。昨日の様子から、きちんと対処しなければこの青年は引き下がらない。それはわかっているのに、腕が脚が声が体が動かない。 『虎徹さん? あの、やっぱり無理しないでいいですよ。僕からロイズさんには言っておきますから。また帰りに寄ります。じゃあ、』 「ま、待てって!」 帰りに来るなんて、そのほうが困る。扉を勢いよく開けて出てきた虎徹に、バーナビーはきれいな顔で笑顔をつくった。 「おはようございます。大丈夫ですか?」 「あ、ああ。おはよう」 ひきつった笑みで挨拶して、サイドカーに乗り込む。バーナビーは勢いよくバイクを走らせた。 アポロンメディアに到着しても、バーナビーは虎徹をデスクに向かわせず待機室に連れて行った。ヒーローが出動まで控えている部屋だが、宿泊設備も整っている。以前飛行船が止まった事件があったようなとき、ヒーローが長時間待機できるようにしてあるのだ。 「すみません、どうしても二人きりで話したいことがあって」 パートナーであるヒーローが能力を発動できなくなれば、それは話したいこともあるだろう。内容はわからないが。 「虎徹さんを送った後、緊急の会議がありました。アポロンメディアはあなたを解雇するつもりです」 「そうだろう、な」 不思議と、衝撃はなかった。知っていたことを、改めて口にされた、そんな感じだ。 「けれど、どうにか頼み込んで条件付きで延期してもらえました。一か月以内に能力が戻れば、またヒーローになれます」 「バニー?」 虎徹の前で、語気荒くこちらをまっすぐ見上げてくる青年の様子に、男は一歩下がりそうになった。 また、バーナビーもそんな虎徹の態度に拳を握りしめる。 「どうしちゃったんですか、おかしいですよ虎徹さん!」 「おかしいって、おまえのほうこそそんな怒鳴ってどうしたんだよ」 「どうしたもこうしたも、あなたヒーローでしょう!? それなのに、どうして、そんな。僕のパートナーの、鏑木虎徹はヒーローでなくなるのに、そんなこと言う人じゃない。そんな、他人事みたいにっ」 無性に、バーナビーの言葉に腹が立った。能力もなくてなにがヒーローだ。鏑木虎徹はそんなこと言わない? 勝手な理想押し付けるなよ。 ヒーローが理想を押し付けられるのは、ある種当然だったが、それでもバーナビーに言われたこで虎徹はひどく憤慨した。 「おまえに俺のなにが――」 「ええ、わかるわけないです」 なにがわかると、怒鳴ろうとしたのをバーナビーがもう否定した。次の言葉をぶつける前に、青年の言葉がぶつかる。 「でも、これまであなたと一緒にいて、わかってることはあります。理想を押し付けられるのがいやですか? ヒーローであった今までのあなたなら、僕にそんなこと絶対言わないですよね。裏返せば、今のあなたは僕に自分を見てほしいってことでしょう? その通りです、僕はありのままのあなたを見ていられます。本音をいえば、能力がなくったって、関係ない。僕は虎徹さんと一緒にいたい」 「っ、」 ストレートすぎる言葉に、男は言葉を失う。 「だから賭けをしましょう」 「か、賭け?」 いきなり話が飛んで、虎徹の思考が追い付かない。 「僕があなたの能力を取り戻します」 「はぁ!?」 もうさっきから全然意味が分からない。能力喪失は虎徹の問題だ。それを、バーナビーが取り戻させる? 目を丸くする虎徹を、バーナビーは抱き寄せた。以前と変わらない、腕と胸と、熱い吐息。 「ちょ、おま、はな――」 「俺が勝ったら、あなたをください。負けたらあなたの好きにすればいい」 抵抗しようとした腕を捕まえられ、耳元で囁かれた言葉がとどめのように虎徹を止めた。 音が聞こえる。 どくどくと、脈打つ血液の音、鼓動。 「虎徹さんが俺を好きだと認めさせてみせます。あなたの罪悪感を消し去りましょう、俺なしでは生きていけないほど、俺を愛せるようにさせてみせます」 そうすればあなたの能力が戻るはずだから。 自信と確信に満ちたバーナビーの言葉に、虎徹の気持ちはえぐられた。 「俺がおまえを、好き、だって、なに馬鹿な、」 「馬鹿はあなたです。僕のこと好きなくせに気づかないふりして、抑え込んで、その結果がこれですよ」 あなたは自分の気持ちに気付きたくなくて、僕から離れようとしているだけだ。能力がなくなれば、ヒーローでいられなくなりますからね。 「やめ、やめろ……っ」 「やめません」 抱きしめる力を強めて、バーナビーは言う。 「あなたが裏切ったから、奥さんが怒って能力を消した? ふざけないでくださいよ、あなたが愛した人は、あなたがヒーローであれと最後まで望んだかたでしょう。自分の気持ちに嘘をつく罪悪感を、人のせいにしないでください」 「――ッ!」 やめてくれ。 もうやめてくれ。 俺はいらないんだ。もう、今のままでいいんだ。これ以上はいらないんだ。 離してくれ、抱きしめないでくれ、見逃してくれ、怖いんだ。 俺は、俺はもうなにかを失うのは怖いんだ。 「うっ……く、っ」 震える背中を、バーナビーが撫でた。 こぼれる涙を、バーナビーの唇がすくった。 嗚咽のもれる口を、バーナビーに塞がれた。 「ん、ぅ」 差し込まれてきた熱い舌に、痺れる。 抱きしめられるのは心地がよかった。キスも、いやではなかった。むしろ、気持ちがいい。 バーナビーの言葉で暴かれてしまった心を、バーナビーの肌が蕩かす。乾燥したそれをひたひたにするくらい、注がれる。 行動が、言葉が、殻を割られたそこに浸みこむ。 ・ ・ ・ |