アステルは逃げ出さない 1 「ブウサギ連続失踪事件、ですか?」 ガイのうろんな返答に、グランコクマ宮殿の主、ピオニー・ウパラ・マルクト九世は身悶えた。そんな所作がいちいち大げさ、かつ当てつけがましい。ことブウサギのこととなると、彼を止めることは出来ないのだ。 ガイに限らず同席していたルーク、ティア、ナタリア、アニスは「メンドークサイときに来てしまった」と心の中でぼやいた。 たまたま近くにいたジェイド(可愛い方)をふんずと抱きしめ、皇帝は鼻息荒く続ける。 「そうだ。最近帝国各地でブウサギがいなくなっている。しかも食用の高級品種のみ!」 元来ブウサギは食用であるという突っ込みを、ガイは賢明にも飲み込んだ。この上司のおかげで、最近ひそやかにブウサギがペットとして流行っているのだ。 そして皇帝のブウサギは、きっと食べるとおいしいと思う。一ヶ月手間と隙に精魂を入れて世話をしてきた自分が言うのだから、間違いない。 「正確には、鶏や牛等他の家畜も、ですが」 「おお! 可愛くない方のジェイド、その通りだ」 折よくジェイドが入室し、皇帝の言葉に付け足す。 軍部に用事があると、ジェイドがグランコクマに寄るようパーティーに願い出、ルーク達は了承した。わけだが、街で待つつもりだった彼らはピオニーに拉致られて今にいたる。 「だから、旅先で手がかりなり何なり、つかんだら知らせてくれ。もし俺の可愛いネフリー達までさらわれてしまったらと思うと夜も眠れん!」 「わ、わかりました。何かわかったことがあったら、すぐにお伝えします」 ピオニーのものすごい気迫に、ルークはがくがくと縦に首を振る。怖い。 「私もちょっと、その件が気になっていましてね。こうして戻ってみたんですよ」 「あら、でしたら最初からそうおっしゃってくださればよろしかったのに」 王女の言葉に、軍人は首を横に振る。 「いえ、これはマルクトの問題ですから、みなさんをわずらわせることは出来ません。まぁ、もう巻き込んでしまっていますがね。それに結果も空振りでしたから。最近の情報部は少したるんでいるようですね」 眼鏡を押し上げる死霊使いに、ルーク達は震え上がった。光源もないのに眼鏡が光ったのは気のせいだと思いたい。 「今日はもうこんな時間だし、城で休んでいくといい」 窓からは茜色の光が差し込んでいる。無理矢理話を聞いてもらって悪かったと謝るピオニーに、ルーク達は甘えることにした。 夜。久しぶりに一行は豪勢な食事にありつくことが出来た。客室も一人一室を与えられ、各自おもいおもいにくつろいでいる。 「ふぅ〜、ちょっと食いすぎちまったかな」 ガイは一人宮殿の廊下を歩いていた。腹ごなしとしてこの広く美しい造りの建造物はちょうどいい。 「これはこれは、ガルディオス伯爵ではありませんか」 角を曲がった廊下の先で、ガイは一人の初老の男に声をかけられた。 「ランビス殿」 「覚えてくださっていたとは光栄です」 男は慇懃に腰を折る。 ネオ・ランビスはマルクト軍人であったが、数ヶ月前に退役し、親の後を継いでケセドニアの商人になっている。年のころは、たしか四十代半ばだったか。ひょろりとした痩身で、柔らかな銀の瞳と髪の持ち主だ。いつも笑っているため、表情から思考を読み取ることは難しい。柔和な笑顔は一見軍人よりも商人の方が似合っているように見えるが、相応の実力の持ち主だ。 ガイは爵位授与式のときに一度顔を見た程度だったが、その武勇は聞き及んでいる。急進派の一人で、ホド戦争時、容赦ない戦いぶりでキムラスカに恐れられていた将の一人だ。軍にいればそれなりの地位を約束されていただろうに、突然家業を継ぐと言い出して、当時は大騒ぎになった。 「いえ。こちらこそ、私のような若輩者を覚えていてくださり光栄です」 深々と頭をたれるガイに、ランビスは苦笑する。 「今は一介の商人です。貴族が軽々しく頭を下げてはいけません」 「すみません」 口調は穏やかであったが、有無を言わせぬ迫力にガイは直立不動の姿勢になる。 「こちらからお声をかけていて申し訳ありませんが、これから商談がありますので失礼させていただきます。ことが一段落しましたら、是非ご贔屓に」 「はい」 角へ消えたランビスを見送り、ガイは再び歩きだした。 (ふー、驚いたな。まさかあのネオ・ランビスと逢うなんて。笑顔は笑顔でも、旦那とはまた違う怖さだな) 噂通り油断出来ない人物だったと気の抜けた声で呟いたとき、ガイは唐突に立ち止まった。 「ここ、どこだ」 ガイは来た道を引き返すことにした。 元信託の盾騎士団、六神将鮮血のアッシュは焦っていた。驚いていた。慌てていた。 (どうしてガイがここに!?) 動転のあまり、一瞬気配が乱れた。確かにガイはマルクト貴族で宮殿にいてもおかしくはないが、時期的にいないと踏んでこの仕事を引き受けただけに、動揺は激しい。が、様子を見る限り気付かれてはいないようだ。廊下の死角で、アッシュはそっとため息をつく。 (自国の城で迷うなよ) こっそり突っ込んだあと、アッシュは再びランビスの尾行を続ける。元マルクト軍第五師団長、ネオ・ランビス。現在ランビスはケセドニアでもアスターに次ぐ有力商家の一つだ。ランビス家は一度は凋落したものの、戻った彼の尽力で再び力を取り戻した。だが、 (それは裏でレプリカを使った違法な取引のおかげだ) アッシュはアスターの依頼でランビスを調べていた。教団を離れ、収入源のないアッシュにとって、アスターは格好の金づるだった。逆に、アスターにとってもアッシュはあつらえ向きの諜報員で、お互いの利害が一致しただけに過ぎない。宝珠探索と同時平行してアッシュは各地で依頼をこなし、軍資金を稼いでいた 今回の依頼内容は、ランビスの違法取引の証拠をつかむことだ。 まだ世間に広まってはいないが、いざ購入した家畜をしめると消えてしまった、という事例が多く報告されている。各地で高級品種の家畜が失踪していることと、この件は繋がっている――。レプリカ事情にも精通しているアスターは、盗まれた家畜をレプリカとして大量生産し、売りさばかれていることに気付いた。 高級品種が破格の値段で取引されている。市場への影響も、そろそろ無視出来ない。地殻降下に瘴気の復活と、ただでさえ今の経済は不安定なのだ。だが、業者はトカゲの尻尾切りのように、叩いても叩いても上に繋がらずきりがない。このままではケセドニア商人の信用が丸つぶれだ。しかし『レプリカ』は慎重な扱いを要するため、大々的な捜査は難しい。組織的かつ計画的な犯行に、アスターは人員をさけずにいた。 そしてこの件に限っては、アッシュはまさにうってつけで、アスターにこき使われまくっている。 ランビスが目をつけられた理由は二つ。 レプリカの生成法を知っているであろうこと。 時期が合うこと。 なんとも頼りない事由だったが、他の怪しい商人を調べても彼らはすべてシロだった。 (奴がクロにしろシロにしろ、とにかくはっきりすればいい) アッシュはランビスが入室していった扉の前で、中の様子をうかがおうとする。 (大気に集いし第三音素の力よ、外つ国の風を運び我が助けとなれ) アッシュは会話を拾うため、力ある言葉を発する。しかし音素が耳元に集約する気配がしただけで、術が発動されることはなかった。 (ちっ、やはり譜術は駄目か) ここまで侵入するだけでも、相当な労力を要した。さすがはグランコクマ宮、世界の半分を握る皇帝の住居だ。守備力は半端ではない。他の方法を考えようとした、そのとき 「あれ、アッシュ。こんなところで何やってんだ?」 「〜〜〜ッ!!!」 アッシュは悲鳴を危うく飲み込んだ。振り返りざま肩に置かれた手を払い、小声で怒鳴る。 「ガイ! 莫迦、気付かれたらどうする、うるさい、空気読め、どっかいけ!」 少年の剣幕は予想以上で、ガイは驚くより呆けてしまった。実はランビスと逢ったとき第三の気配感じ、勝手知ったる宮殿の構造を利用して、気配の後を追いかけていたのだ。正体はアッシュだったことが判明し、純粋な疑問と好奇心で声をかけたのだが、今になってまずい状況であることがわかってしまった。 「すまん、でももう遅いと思うぜ?」 嫌な汗を流しながら苦笑いしか出来ないガイ。アッシュの後ろの扉が開き、ランビスが極上の笑顔で迎える。 「これはこれは。招かれざる客が到着したようだ」 アッシュは顔をしかめた。何もランビスに見つかってしまったことに対してではない。錆びついた、血の匂い。 「マルテュス男爵!?」 ガイがソファの横で倒れている人物の名を叫ぶ。 ここはひとまず退散しなければと、アッシュは視線を巡らせるが時すでに遅し。ランビスも何者かにつけられていることに気付いていたのだ。マルクト兵の包囲網は、すでに完成していた。 「この者達を捕らえよ。マルテュス卿を殺害した現行犯だ」 到着した兵士に、ランビスが命ずる。グランコクマ宮で、この人数相手に逃げ切ることは不可能だ。アッシュとガイは大人しく捕まるしか、道は残されていなかった。 |