終わらない引用符
テイルズ オブ ジ アビス ガイアシュ再録+短編集

05〜 まぃ すぃ〜と すとろべりぃ(再録)
13〜 ツンデレメイドの躾け方(再録)
30〜 HimMarshen(書き下ろし、Liebekatzeその後)
50〜 ごめんのかわりにキスしよう(書き下ろし)



『まぃ すぃ〜と すとろべりぃ』
再録:初出2006年12月29日
七年前屋敷時代-アッシュがまだルークだった頃


別に、冬に苺が食べたかったというわけでもない。
そう、ただ試しに作ってみた音機関の温室で、ペールが栽培したのが、たまたま苺だったというだけだ。初夏に採れる果物が、この寒い時期に食べられるなんて、貴族が喜びそうなことじゃないか。そう思ってご機嫌取りに持っていった――ら、自分も主も変態だったということがわかった。

控えめなノックのあと、よく知った声が入室許可を求めてきた。部屋の主はすぐに応え、読んでいた本にしおりを挟み席を立つ。
「読書中でしたか。申し訳ございません」
それを目ざとく見つけた使用人は、扉を閉めると頭を下げた。しかし主は気にしたふうでもなく、ソファに座り用件を尋ねる。持ってきたバスケットをテーブルに置くと、使用人は一礼し答えた。
「実は、苺をよろしければルーク様にと」
「苺……? この時期にか」
いぶかしむ主に、使用人はバスケットの布を取ると、そこには確かに赤くみずみずしい苺があった。
「わたくしの音機関を使って、ペールが栽培したものです。なかなか美味しくできましたので、ルーク様も是非お召し上がりください」
「ほう、確かに美味そうだな。ありがたくいただこう」
少年がさっそく一つ口に放り込む。しばしの沈黙ののち、主は言った。
「ガイ、練乳はあるか?」
「あっ、いえ。そこまで気が回らず、申し訳ございませんでした。すぐに取ってまいります」
どうやら気に入ってくれたようだ。ガイは内心ほっとため息をつく。そして急いで厨房へ走った。練乳が欲しいだなんて、やっぱり子供なんだなぁ、などと思いながら。

手渡された練乳のチューブを嬉しそうに受け取ると、ルークはそれを苺にかけようとした。しかし、中身がなかなか出てこない。眉間にシワを寄せ、一生懸命力をこめてもチューブは詰まったまま。
「中で固まっているのかもしれませんね。お貸しください」
「いや、いい。これくらい自分でやる」
助け舟を出すが、なにか意地になってきている主は頑なに自分で解決しようとする。だが少年の努力をあざ笑うかのように、まったくもって練乳が出てくる気配はない。そんなに俺に食べて欲しくないのか。ルークの眉間のシワがますます深くなる。
これ以上はさすがに無理だと思ったガイは、もう一度主に申し出た。
「ルーク様、お貸しください」
「いやだ」
「ルーク様!」
チューブをお互い握り合ったまま、二人は目線で火花を散らす。頑固者め。大人しく任せればよいものを。そう心中で悪態をつくガイ自身も意地になっている。所詮子供の二人。結局がっちりとチューブを握ったまま譲り合わない。
そして、とうとう限界がきた。
「え、うわっ」
「――!」
二人分の力で押されたチューブの中身が、爆発した。
「……ガイ」
「な、なんでございましょうか、ルーク様」
地の底から響くような主の声に、使用人は震えた。少年の赤毛は見事に練乳まみれで、まるで彼の方が苺のようだ。緩慢に頬から顎へしたたる様子がいやらしい。
瞬間、ガイは頭を振ってあらぬ妄想を散らした。彼自身も被害をこうむってはいたが、そんなことより主を汚してしまったことのほうが問題だ。
「責任、取ってくれるんだろうな」
(なんの!?)
そう突っ込みたいのをこらえ、ガイは真意をはかろうと視線で訴える。一体、彼は自分にどうして欲しいのだ。
「そこの床へ座れ。俺を抱えて食べさせろ」
「床で、ですか?」
「なんだ、この俺に地べたへ座れというのか? ソファは幸い汚れてはいないが、俺がこのままいたらそのうち練乳がついてしまうだろうが」
「でしたら、早くお着替えになられたほうが」
「至らぬやつだな。それでは練乳がなくなってしまうではないか」
「……」
主は我儘ではない。分別は本当に十の子供かと思うほどしっかりしている。しかしこういった、一見正当性がありそうな無理難題というか、傲慢な物言いはしょっちゅうだ。今回もそうであるが、それにしてもやけに今日はからんでくる。






『ツンデレメイドの躾け方』
再録:初出2007年01月28日
本編中-空白の一ヶ月




端的に表わしすぎると、金がない。
それが、元神託の盾騎士団特務師団長、鮮血のアッシュの現在の状態だった。総長であるヴァンが死んでから、騎士団は再編中であるがアッシュは結局戻らず、彼はギンジと漆黒の翼と共にいた。ヴァンがいなくなってもまだキナくさい平穏に、彼は独自に調査を進めていたのだ。そうしたなかで、食費といった生活費はもちろんのこと、漆黒の翼を雇う金額も馬鹿にならない。収入源がまったくない今、金欠はごく自然の流れで行き着いた状況であった。
ギンジはいったんシェリダンに帰したし、漆黒の翼はしばらく公演中だ。とりあえず、短期で集中的に雇ってもらえるところを探しにグランコクマに来たアッシュは、酒場で求人票を見ていた。仕事は大変でもいい。なるべく高収入なものを、と選んでいると酒場の主人が声をかけてきた。
「お客様、仕事を探しておいでですか」
「ああ。内容はきつくてもいい。短期で時給が高いものを探している」
「でしたら、このようなものがありますよ。いかがですか」
急募!! 家事手伝い。初心者歓迎。なるべく長期が好ましいが短期も可。とにかく人手不足。
主人が差し出してきた書類には、達筆で切羽詰った求人案内が書かれていた。給料もここにあるなかで一番高い。書面の雰囲気から、相当な重労働のようであるがアッシュは意思を固めた。
「主、いい仕事を紹介してくれた。世話になったな」
「いえいえ」
礼儀正しく一礼した主人に見送られ、アッシュは書類に書かれた住所へ向かった。なんとなく記憶に引っかかることがあったが、結局思い出せない。
――そして三時間後、アッシュはあそこで気付いていればと後悔するはめになった。


たどり着いたのは、貴族達の瀟洒な邸宅が並ぶ一等地だった。求人票に肝心の雇い主の名が書かれていなかったので、なんとなく予想していたが、まさかこんな立派な屋敷だったとは。確かに不審者は面接で弾けばいいが、無用心ではなかろうか。それだけ人手不足でなりふりかまっていられないということなのだろうが、それが幸いした。こんなに稼ぎのいい仕事、自分のような人間ではなかなか雇ってもらえる機会はない。もちろん雇われる自信はあるので、アッシュはそう考えたわけだが。
重厚な木の扉をノックすると、メイドが一人顔を出した。求人票を見てきた旨を報告し書類を渡すと、彼女はしばしお待ちくださいと言い残し、奥へ消えた。ノックしてから反応があるまで少しかかったので、確かにこの規模の屋敷にしては人手が足りないなとアッシュは目算する。扉の隙間から見えた内装は、立派なホールが広がっていて調度品にも掃除が行き届いていた。人は足りてなくても、財力はあるようだ。
そんなことを考えていると、さっきと同じメイドが再び現れ屋敷内へとアッシュを招き入れた。
「伯爵様が直接お会いになるそうです、どうぞこちらへ」
この屋敷の主人は伯爵らしい。主人自ら面接とは、人手不足だろうが、とりあえず使用人は誰でもいいというわけではなさそうだ。アッシュは気を引き締める。
「失礼します。伯爵様、アッシュ様をお連れいたしました」
アッシュをメイドは室内へ通す。そして、主である伯爵の姿をみとめた瞬間、少年は全力で後悔した。
屋敷の主人である伯爵とは、ガイラルディア・ガラン・ガルディス。つまり、ガイ・セシルだった。

そうだ、あの筆跡! どこかで見たと思ったら、ガイのじゃないか。人手不足なのも道理だ。ガルディオス家はつい先日復興されたばかり。没収された財産は戻っても、人間は戻らない。こんなところ、もう一分一秒もいられない! アッシュは憤然と部屋を飛び出そうとした。しかし先ほどのメイドがしっかりと扉の前に立っており、アッシュの退出を阻んでいる。無理矢理どかしてもいいが、ヘタをすれば犯罪者になってしまう。どうすればこの状況を切り抜けられる?
「青くなったり赤くなったり、相変わらずアッシュは面白いな。まさかうちの使用人になりたいだなんて。メイドから聞いたときは驚いたよ」
どうやらガイは使用人として雇って欲しいと尋ねてきた男の名がアッシュであると伝えられ、急遽自分で面接することにしたようだ。
応接室らしい落ち着いた室内。大理石のテーブルを挟んで柔らかそうなソファに座った青年は、書類にサインをする。
「もちろん即・採用」
びしっ、とガイは親指を立てた。書類は雇用書だろう。反応のないアッシュをいぶかしんだガイは、その紙を持って立ち上がり、少年の前に立つ。
「ほら、こっちはおまえの控え」
「誰がおまえなんぞに雇われるかぁあああああ!!!」
差し出された書類を、アッシュは弾き落とす。が、勢い余った手は余計なものまで落としてしまった。
がっしゃーん
絨毯を敷いた床であってなお、派手な音が響く。さきほどまで少年のいたすぐ近くの棚にあった壺は、無残な姿で床に散っていた。
「……五百万ガルド」
「え、」
凍った静寂を破ったのは、ガイの地を這うようなつぶやきだった。
「その壺、五百万ガルドはくだらない」
こうして、アッシュはガルディオス家の使用人になることが決まった。




ワンピースのスカートはふわりと膨らんで、裾が揺れるたびに純白のペチコートがちらりとのぞく。ライン入りのエプロンとフリル付カチューシャは使用人の証。今日もご主人様のため、奉仕の精神を忘れない。そう、その衣装をまとうのが一般的な女性であったなら。
「ガイッ、てめぇなに考えてやがるっ!?」
扉を勢いよく開き、メイド服を着た少年が叫んだ。燃えるような赤い髪を下ろし、白いカチューシャがよく映える。大またで歩くために、ひるがえるスカートからはペチコートがちらりどころか丸見えだ。
「よく似合ってるよ、アッシュ」
ガイは感心して手を叩く。少年の叫びなど聞こえなかったふうで、喜色満面でアッシュに近づく。そして
「!」
ぺろん
藤色のスカートをめくりあげた。
「なにしやがるっ」
メイドのコブシを伯爵はひらりとかわす。アッシュの顔は真っ赤だ。もともと興奮して赤かったが、さらに赤い。
「ちゃんとガーターもつけてるな。えらいえらい」
「おまえが用意したんだから、確かめなくてもわかるだろうが! そもそも俺の話を聞けっ。これはなんのつもりだ、ガイ!」
「アッシュを使用人にするつもり」
それはわかる。さっき聞いた。というか自分でその状況を招いた。が、聞きたいのはそういうことじゃない。
「なんでメイド服なんだ! ていうかなんで男物で俺にサイズがぴったりなんだ!」
少年の魂の叫びに、青年はなんだそんなこと、と破顔する。
「そんなの、俺がいつかアッシュに着せたいと思って作っておいたからに決まってるじゃないか」
伯爵はメイドからくり出されたコブシを、今度は避けられなかった。
割った壺を弁償するために雇われることとなったアッシュであったが、使用人として用意された服はメイド服だった。律儀に着替えたアッシュもアッシュだが、ガイの「五百万ガルド」の言葉の前にはなす術もない。
「で、俺はなにをすればいいんだ」
使用人にしては尊大すぎる態度でメイドが問う。腕を組み、仁王立ちで青年を見上げる。本人は精一杯虚勢を張っているのだが、メイド服のせいで台無しだ。
「アッシュは俺の世話係ってことで。ほら、昔俺がおまえにしてた感じだよ」
雇い主の言葉に、アッシュは七年前の記憶を掘り起こす。あまりいい気分はしなかったが、自分が招いた失態だ。仕方がない。
朝起こして着替えを手伝い……あれ、そういえばガイは俺の見えないところでも色々俺に関わる仕事をしていたよな。
少年は意外に自分が元使用人の行動を把握していなかったことに驚いた。
「ガイ、やはり働く以上きっちりしなければ。詳しくはメイド長に聞きくということでいいな」
「うーん。べつに夜のご奉仕さえしてくれれば、あとは遊んでても――ぐはっ」
メイドは伯爵を蹴り飛ばした。

しかし、結局メイド長に聞いても伯爵様の言うことだけ聞いていればいいと追い返されてしまった。なんという根回しの早さ。敵ながらに天晴れとしか言いようがない。すごすごと元の応接室に戻ってくると、むかつく程満面の笑顔でガイが待っていた。
「確かに、うちは時給高いよ? けど五百万ガルドなんてマトモに働いて、たまるまで何年かかると思う?」
「……」
口元は笑っていても、瞳は剣呑な光をたたえている。す、と男の手が少年の顎にかかった。
「俺のいうことを聞くことしか、他に道は残されていないんだよ、アッシュは」
畜生、これじゃあ使用人どころか奴隷以下だ。耳元で囁かれた言葉が、真実であるのはわかっている。それだけに、余計やるせなかった。
ぎり、と爪が食い込む手のひら。それをいたわるように開き、青年は微笑む。
「それじゃ、まずはディナーの前に風呂といきますか」
茶化すような口調。明るい、元のガイがいた。






『HimMarshen』
書き下ろし:『Liebekatze』その後
パラレル-世界に空が戻るまでのお話
以前出した本の続編ですが、ほぼ別物といっても差し支えないほど話が飛躍していますので、以下の点を押さえれば既刊を読んでいなくとも問題ありません、むしろ読んでたほうが問題ありそうなくらいです。

※Liebekatze概略
・世界は瘴気に覆われておりバチカルしか人間は生きれない。
・アッシュは愛玩人間として『館』で働かされる『猫』だったが『空』に憧れ逃げ出し、ガイに助けられる。
・『館』はガルディオス家が経営しており、実は跡取り息子だったガイは家のやり方が気に入らず出奔していた。
・ガイの正体を知ったアッシュは裏切られたと思い『館』に戻るが、ガイは家督を継ぎアッシュを自由にする。
・誤解が解けてめでたしめでたし。


ほんの冗談だと思っていた。いや、冗談という表現は悪かったか。彼は本気でそう言ったのだろうが、自分は娘が父親に「大きくなったらパパと結婚するの」と指きりするような感覚で聞いていた(申し訳ないとは思うが、これ以上を望むのは恐ろしかったのだ)。
だから、彼が約束を本当に実行しようとしていたことを知って驚いてしまった。

「アッシュに必ず空を見せる」

あれから三年。世界は未だ瘴気に包まれている。


1

「ただいま! アッシュ」
帰宅一番、出迎えた青年を男が抱きしめた。いつものことだが暑苦しい。
しかし、嫌ではない。
「俺がいなかった間、なにか変わったことはなかったか」
「いいや」
ぎゅむぎゅむと抱きしめられたままアッシュは答える。ガイが屋敷に戻るのは、実に十日ぶりである。その間アッシュは家のことを任されているのだが、家令が優秀すぎて正直アッシュの出る幕はない。アッシュは屋敷の中で日がな一日読書したり稽古したり邪魔にならない範囲で家事(の練習)をしてみたりと、暇を持て余している。
だから、以前ガイに聞かれた。不満は無いかと。
あるわけがない。ガイと、平和に暮らせる。それだけで幸せだった。
けれどもただ、一つ。
(まわりの環境じゃなく、俺は、自分がなにも出来ないことが不満だ)
幸せだと答えた口で、それは言えなかった。ガイはなにか言い足そうだったが、すこし笑って頭を撫でただけだった。……口に出さずとも伝わってしまったらしい。恥ずかしい。
「なにもないなら、よかった」
ガイが笑いかける。土産を買ってきたとアッシュを解放すると、綺麗な包みを取り出した。それもいつものこと。長く留守にすると、必ず贈り物をくれる。
アッシュはいつも目の前で開いて言う。
「ありがとう、ガイ」
今回の中身は、美味しそうな焼き菓子だった。
「実は結構アッシュに報告しないといけないこと、色々あってさ。これ食いながら話させてくれよ」
「わかった」
珍しいこともあるものだ。ガイが相談など。アッシュは彼がなにをしているかは、なんとなくくらいしか把握していない。『館』から解放されて、もうアッシュはガイの――正確にはガルディオス家との直接関係が無くなった(もちろんガイは当主で、その伴侶としてアッシュは存在しているわけだが。ガイという存在がなければ、アッシュはもうガルディオスに繋がらない)。それなのに相談? される内容の心当たりなど、まったくない。
とりあえずガイの部屋へ二人は向かう。クッキーはメイドに渡した。すぐに飲み物と一緒に持ってくるだろう。
「明日、アッシュを第一層に連れていきたいんだけど」
「ぶっ」
席につくなり、だっだ。まだ菓子もきていない!
「い、いきなりだな」
「うん、ごめん」
男は苦笑しながら頭をかいた。
「話せば長くなるんだけどさ。実はアッシュの写真をナタリアに見られちまってな。あ、俺彼女とは一応幼馴染なんだよ。それで是非会いたいって、言われてさ」
ちょっとまて。なんだそれは。
アッシュはしょっぱなから突っ込み所が多すぎて、逆に突っ込めなかった。ナタリアといえば、この世界の――バチカルの王女だ。それとガイが幼馴染? いやガイは貴族だから幼馴染でも不思議はないかもしれないが、俺の写真なんていつ撮った。覚えが無い。更にそれを王女に見られたってどういうシュチュエーションだ。そしてどうして「会いたい」になるんだ。話が飛びすぎだろう。
「公式の場でもないし、ちょっと遊びに行くんだと思ってついてきてくれないか?」
「……まったく話が長くないんだが」
そして突っ込めたのは、そこだけだった。
「あ、あれ。うん。そうだな」
張本人のガイが首をかしげた。世話は無い。おそらくナタリア姫がアッシュに会いたいという下りが、色々あったのだろう。ガイはとてつもなく苦労だかなんだか、時間がかかったから、『話せば長くなる』と自然に出てしまったに違いない。
「アッシュが嫌だっていうなら、無理強いはしないけど」
今更、顎を引いて恐る恐る訪ねる。アッシュは嘆息した。もとより気持ちは決まっている。
「いや、別にかまわない。連れて行け」
「ほんとか!?」
ぱっと表情をほころばせたガイに、アッシュは内心笑いを噛み殺した。ガイの性格だ。アッシュの意思は尊重してくれるだろうが、王女に言い訳やらなんやらさせるのは忍びなかった。ガイの態度から見るに、絶対連れて来いと言われているのだろう。
「よかったぁ」
胸を撫で下ろす様子に、己の想像が外れではないことをアッシュは確認した。

翌日、アッシュは初めてバチカル第一層の土を踏んだ。


「ようこそおいでくださいました、アッシュ」
ナタリア王女は噂に違わない人物だった。応接室で待っていたガイとアッシュに笑顔で挨拶すると、青年にためらいなく手を差し伸べる。一瞬判断に迷うも、手の甲でなく平が上を向いていたので、ぎこちなくではあったが握手をした。
「突然無理を言ってしまってごめんなさい。でも、どうしても会って直接確かめてみたかったんですの」
確かめてみたかった?
どういうことだ。アッシュは隣のガイを仰ぎ見る。
「ごめん、アッシュ。騙まし討ちみたいなことをして。でも本当のことを話したら、絶対嫌がると思ってさ」
ガイが視線を合わせることなく謝罪した。
「ちゃんと、目を見て謝れ。そして説明しろ」
「ごめん、アッシュの本当の生まれについて、確かめる必要ができたんだ」
確かめる必要があった、ではなくできた? アッシュは硬い表情のまま説明を促した。
「俺は、アッシュがどこの誰だって構わない。ただ、俺の隣にいてくれれば。けど、もしアッシュがファブレ家の人間だとしたら」
話は別だ。
男は唇を噛み締めた。ファブレの名はアッシュも知っている。王族と縁戚関係のある大貴族だ。過去同じように有力貴族だったガルディオス家を一度没落寸前にまで叩き落したのもファブレだ。今はガイのおかげで全盛期とはいかないが、ガルディオスもそれなりに力をつけている。
「ただ、勘違いしないでくれ。アッシュがガルディオスを陥れたファブレの人間であることが問題じゃなくて、預言されていた『ローレライの力を継ぐ、王族に連なる赤い髪の男子』であることが問題なんだ。確定したわけじゃないけど」
「ガイが俺を家柄で嫌いになるなんて、思ってないから安心して続けろ」
青年は男の杞憂を鼻で吹き飛ばした。不機嫌極まりない応対であったが、ガイの喜びようはなかった。途端に元気になり話を続ける。もっとも、表情は真剣そのものだが。取り巻く雰囲気が明るくなったといえばいいか。
「ファブレ家にはルークっていう跡取り息子がいるんだけど、それまで人前に出たことはなかったんだ。それが二十歳になって、ようやく社交界に出てきた。驚いたよ、ルークはアッシュと瓜二つだった」
「だが、俺は生まれも育ちも『館』だ。他人の空似じゃないのか?」
アッシュは先ほどから心中に抱えていた疑問を呈した。生まれもなにもない。
「そう、だから俺はアッシュが本当に『館』の『猫』の子だったのか調べてみたんだよ。結果は黒。書類には、アッシュの母だった『猫』は亡くなっているとあったけど、彼女自体の記録はなかったんだ」
「――ッ」
アッシュは息を呑んだ。ああ、それならば確かにガイが最初にいい訳した通り嫌がるだろう。つまり、自分は捨てられた子供だ。本当の両親がいるとしても、会いたいとは思わないし、会ったとしても向こうも迷惑だと考える。だから、本当にファブレの子か確かめる為に上へ連れて行くと最初に言われたら断わる。
「別に、アッシュがただファブレの人間だっていうだけなら俺はアッシュをここまで連れてこなかったよ。だけど、さっきも言った通り、預言に詠まれた者だとしたら、大変なことになる」
「その、何度も言っている『預言』とはなんだ。それが分からないこといは、俺はさっぱりだ」
「では、ここからはわたくしが説明しますわ」
先ほどから頻出している知らない情報に苛立つアッシュに、ナタリアが言った。
「世界が瘴気に包まれて二千年。ですが、まさにその二千年後に瘴気を消す存在が現われると、そう王族やそれに近いものに伝わる預言があるのです」
昔、バチカルの空は瘴気がなく青空が見えると聞いたが、それは貴族の見栄っぱりな嘘だった。空を見せると約束してくれたガイに「空なんて第一層に行けば見放題じゃないのか」と聞いてわかったことだ。
ナタリアのいう預言が、まさに自分のことだとしたら、確かに大変だ。ガイも、それは驚いてアッシュがファブレの人間か確かめようとするだろう。なんといっても、空を見せることができるわけだし。
だが、それにしてはナタリアの様子がおかしい。自分はファブレに戻るつもりもないし本当の両親なんてどうでもいいが、瘴気が消せるなら消してやりたいと思う。でもルークという同じ預言に詠まれた『兄弟』がいるというなら、アッシュという存在は不要ではないのか? 彼女もそれが分からないような愚鈍な人間ではないはずだ。
なのに、ナタリアの表情は大変厳しい。
「ただし、」
ナタリアは意を決するように、毅然とし王女として言い放った。
「もし双子だった場合、その片割れは瘴気の世界を存続させると預言に詠まれています」
「なっ。俺は聞いてないぞ」
一番最初に反応したのはガイだった。席を立ちナタリアに詰め寄ろうとする。が、それは果たせなかった。
「ごめんなさい、ガイ」
音もなく現われた、仮面の少年の一撃でガイは昏倒した。
「アッシュ、貴方も大人しくしてください。やはり貴方はファブレ家の者。手荒な真似はしたくありません」
もう一人、ナタリアの背後に大柄な黒づくめの男が現われていた。アッシュが指先一つ動かすだけで、彼はこちらの息の根を躊躇なく止めるだろう。
「わかった。俺はどうなってもいい。ガイは関係ないんだろう?」
暗に、そちらの言うとおりにするからガイに手を出すなとアッシュは答える。
「……ご協力、感謝いたしますわ」
頭を下げた後、ナタリアは背後の男に目線を移す。そこでアッシュの意識は途切れた。


2

頭が割れるように痛い。
アッシュが目覚めたのは牢だった。味気ない石壁と、無情な格子。その割に、今横になっている寝台は寝心地がよかった。
「最後にもう一度、ガイに会いたかったな」
言葉にすると、駄目だった。薄暗い牢に響いた自身の声で涙腺が緩みそうになる。
(未練がましい。……なぜさっさと一思いに殺してくれなかった?)
生きていることが不思議だった。ナタリアの口振りでは、自分は存在していてはいけない人間だ。それなのにご丁寧に素敵な寝台付きで牢に放り込んである意味がわからない。
(つまり、生かしておくのが困る人間と、死なせてしまうのが困る人間がいる。しかもナタリアと張り合えるほど力を持った。そういうことか)
はっきり言って瘴気まみれの世界を存続させることにどんなメリットがあるかはわからないが、今の状態が変わることに抵抗を覚えたり、なんらかの不都合が発生する連中もいるのだろう。
ナタリアのような人間なら、不都合や抵抗があろうとも最善のために自分を消してくれると思うが、世の中そんな人間ばかりではない。
そして、自分もその一人だ。
(なぜならば、俺は死のうと思わない)
せめてあと一目でもガイに会いたい。だが、そんなことをすればガイは世界を敵に回してでも俺を助けようとしてしまうだろう。それは、たまらなく嬉しい。これ以上ない誘惑だ。
だから、その前に死ななければ。そう分かっているのに、ガイのためならば命なんて惜しくないのに、ガイの生きる世界に瘴気なんてあって欲しくないのに、ただ「あと一目会いたい」という理由で躊躇してしまっている。
会いたいけれども会ってはいけない、そのジレンマに今はどうすることもできない。膠着状態。
だから、誰かが手を下してくれるのを待っている。卑怯だ。そして相手も周到だ。アッシュが自ら己に手を下さないと知って拘束せず監禁している。
アッシュは眼を閉じる。考えるのが苦痛だった。だから、今はもう眠ってしまえ――。

*   *   *

頭が割れるように痛い。
ガイが目覚めたのは牢だった。味気ない石壁と、無情な格子。その割に、今横になっている寝台は寝心地がよかった。
「よかった、まだアッシュは生きてる」
言葉にすると、駄目だった。薄暗い牢に響いた自身の声で涙腺が緩みそうになる。
(俺がアッシュを助けられないように、閉じ込めておいてるってことだからな)
だが彼が生きていることは不思議だった。ナタリアの口振りでは、アッシュは存在していてはいけない人間だ。それなのに殺さず、ガイまでご丁寧に素敵な寝台付きで牢に放り込んである。
(つまり、生かしておくのが困る人間と、死なせてしまうのが困る人間がいる。しかもナタリアと張り合えるほど力を持った。そういうことか)
はっきり言って瘴気まみれの世界を存続させることにどんなメリットがあるかはわからないが、今の状態が変わることに抵抗を覚えたり、なんらかの不都合が発生する連中もいるのだろう。
ナタリアのような人間なら、不都合や抵抗があろうとも最善のためにアッシュを殺してしまうと思うが、世の中そんな人間ばかりではない。
そして、自分もその一人だ。
(なぜならば、俺はアッシュを助けたい)
アッシュを犠牲にして手に入れる世界なんぞクソくらえ、だ。瘴気が晴れて空が見えるようになっても、見せたい相手がいなければ意味がない。
元々、預言自体はガルディオス家にも伝わっていた。家が凋落したのは五歳のときだったから、過去の遺産なんてほとんど覚えてないし、伝えてだってもらっていないがたまたまそれだけは覚えていた。だがまだまだ調べ足りない。今だって手元にないものがいくつかある。
もう昔とは違うのだ。やろうと思えばなんだってできる。
「ガルディオスの力を舐めるなよ」
家の圧力か強硬手段かは判断しかねるが、手遅れになる前にここから出られる確信がある。
ガイは眼を閉じた。これ以上考えるのには材料が足りない。だから、今は体力を温存するために眠るに限る。






『ごめんのかわりにキスしよう』
書き下ろし
エンディング後




「アッシュごめんっっっ」
群生するセレニアで夜露に濡れるのもかまわず、還ってきた赤毛の青年にガイは土下座した。
見事な土下座だった。
青年の手前まで全力で助走し、飛び込むように指先を揃え身体を投げ出し大きくジャンプ。うつくしい弧を描き重力に従って落下。きちんと足から着地したとは思えぬほど、そのまま流れるようなフォームで、土下座。
あまりの唐突な一連の動作に、誰も動けない。
ローレライが解放されて約一年。ルーク・フォン・ファブレの誕生日に彼は還ってきた。タタル渓谷に集まった仲間達は瞬時に理解した。彼は、アッシュだ。その、直後の出来事だった。
「ガ、ガイ……?」
勇気を振り絞って、謝られた当人であるアッシュがガイに声を掛ける。みな、二人の挙動を息を呑んで見守っていた。いや、見守らんでいい。突っ込むなりなんなり、頼むから助けてくれ。そんな視線も同時に周囲へ巡らせてみるが、誰も応えてくれない。ジェイドだけはにやにやと見守っている。あの眼鏡!
「謝ってもすむような事じゃないってわかってる。けれど謝らせてくれ。アッシュ、本当に悪かった」
「……」
反応に困った青年は、無言でもって応えるしか出来ない。そんな、突然に謝られても。
だが、ガイはそうは受け取らなかったようだ。無言は拒否――とはいかないまでも、マイナス方向での返事としてガイは解釈し、続ける。
「酷い言葉しかかけることが出来なくてごめん。酷い態度でしか接することが出来なくてごめん。許してくれとは言わない。けれど、少しでも、まだ俺を……幼馴染としてみてくれるなら、」
どうか立ち上がることを促し、久しぶり初めましてよろしくと、握手を交わし新しい関係を築かせてほしい。
男の頼みに、果たしてどう答えるのか青年へ視線が集中する。アッシュは困った。これは明らかに「許してあげなよ」フラグ。彼らの視線はそう物語っている。だが、申し訳ないことにその期待に沿うことは、応えることは、頷くことは出来ない。
ガイの言葉には、胸をえぐられた。帰還早々途方もなく傷ついたが、だがそれでよかったのかもしれない。
「ごめん、ガイ。俺はお前のこと幼馴染としてはみれない」
アッシュの答えに、セレニアの花が夜露以外の水気に濡れた。




「もーどーしてアッシュってばあんなふうに答えたの!? 信じらんなーい」
巨大にしたトクナガにぐりぐりと乗っかり、アニスが手足をばたばたさせた。十六歳らしからぬ子供のようなダダり具合にティアが苦言を呈す。
「アニス、そんなふうに言うものじゃないわ」
「だってー」
ぶーぶーと唇を尖らせ、少女はトクナガから下りる。
「仕事であいつらのところへパシらされる、あたしの身にもなってよ」
あれからアッシュもガイもキムラスカとマルクトに戻ったが、教団とやりとりがあれば昔の誼みでアニスが遣わされる(ティアは詠師となって、あまり気軽には動けなくなってしまった)。
「あいつらあたしにお互いの様子聞いてくるんだよ!? 自分で確かめろっつーの!」
ぼごっ。
鈍い音を立ててトクナガの一部がへこむ。アニスの剣幕に、ティアはもうなにも言わなかった。というか言えなかった。確かに、もっともすぎる意見だ。
「もちろん直接言いましたよ? ええ、言いました! あたしなんかに聞くより会いに行けって! そしたら
『アッシュには嫌われちまったからな』
『あんなふうに答えたのに、会いに行けるはずなかろう』ですよ!? もう馬鹿!? 馬鹿なの!? っていうか馬鹿だよね!!!!?!」
「アニス……」
アッシュとガイの口真似をし、またトクナガを殴った少女に、ティアは額に手を当てた。頭が痛い。
「アニスの意見は当然だけど、」
「だけどなに!? ティアだってわかってるでしょ、っていうかモロバレのマルバレ! あいつらお互いちゃんと好き同士なのに、わけわかんない」
途端、アニスは大人しくなった。小さくしたトクナガを抱え顎をのせて「むぅ〜」と唸る。
「なんであいつら、お互いのことわからないのかな。あんなにわかりやすいのに」
「当人だからこそ、わからないこともあるわ」
「アニスちゃん的には我慢の限界です。もう強硬手段に出てイイデスカ」
据わった目で暗く呟く少女に、とうとうティアは言った。さっきまでのたしなめる雰囲気はどこへやら。
「そうね、実は丁度ナタリアからも打診があったところなの。私は静観したいところだけど、アニスがそこまで言うなら任せるわ」
「え。」
なにそれ聞いてない。
強硬手段といっても、言葉の綾だ。まさか本気で自分自身の力で二人をどうこうしようと頑張る気はなかった。
アニスはまんまとティアにはめられた。