特務師団長と使用人



視線で人を殺せたら。
ガイラルディアはありったけの殺意を込めて眼前の男を睨み上げた。かの少年を守るように、周りには姉と使用人達が覆いかぶさっている。が、既に皆事切れている。彼の両親もこの世にはもういないだろう。男がここにいるということは、そういうことだ。
血と炎に包まれながら、ガイラルディアは家族を、日常を、総てを奪った男をゆるぎなく見据え続ける。周囲を取り巻く赤より、なお赤い男もまた少年から視線を外さなかった。
「殺しても殺し足りない、そんな顔をしているぞ。ガイラルディア・ガラン」
「……」
男の問いに、少年は答えない。ただ、きつく引き結んだ唇がわなわなと震えた。
「いい眼だ」
断固とした態度を崩さない少年に、男は口角を吊り上げる。発せられた予想外の言葉に、初めてガイラルディアの表情が動いた。

「おまえを俺の使用人にしてやる。いつでも仇を討ちにこい」

「――!」
声にならない叫びと共に、ガイは目を覚ました。
「夢、か」
起き抜けのかすれた声で、青年は現実を再認識する。ここはダアト教会、信託の盾騎士団本部だ。滅んだ故郷ではない。
「随分とまた、懐かしい」
もう、十六年も前の記憶だ。
あれの言葉の通り、伯爵の息子から、名も改めただの使用人になった。
復讐のために。
「はは、まだなのかって催促されたかな。大丈夫、忘れるわけないさ」
苦笑交じりの声音とは裏腹に、青年の瞳は暗かった。握り締めた拳が、巻き込んだシーツに皴を作る。
「アッシュは、俺が殺す」
青年は今の主人であり、仇である少年の名を決意とともに呟く。そう、夢の中では、ガイはまだ小さな五歳の少年で、アッシュは大きく、大人に見えた。だが、十六の年月がたった現在、ガイの外見年齢も背丈も、アッシュをこえた。
――信託の盾騎士団の特務師団長、六神将がひとり、鮮血のアッシュは純粋な人ではない。
外見は十七歳程の少年だが、実年齢はそれ以上だ。本人に聞いたところで素直に教えてくれるはずもないので知らないが、噂では余裕で三桁らしい。
ローレライの力をその身に宿し、神の尖兵として異端を駆逐する。アッシュは教団でも特別の存在だった。歳をとらず、導師も扱えない超振動を持ちながら、忠実に上の命令通り任務にあたる。強大な力を振るう者は、組織では厄介者扱いされることが常であるが、彼はまた少し違うようだ。厄介であることには違わないが、扱いあぐねられているわけではない。
長年傍に仕えているにも関わらず、ガイにとってアッシュは未だ謎だらけの主人であり仇だった。
(まぁ長年つったって十四になるまでダアトの士官学校に入れられてるから、アッシュといるのはここ七年くらいだけど)
士官学校を卒業して、九年ぶりにアッシュを見たときの衝撃は今でも忘れられない。
ひたすら復讐だけを考えて敵の手の中で耐えてきた。本人が迎えに来るというので、出会い頭に切りかかってやろうと思っていたというのに。記憶の中のままの姿でいたものだから、あっけにとられて襲う機会を逸してしまった。
噂でアッシュの特異な話は聞いていたが、単に誇張やホラだと思っていた。友人らしい友人も作らず、人付き合いも最低限。ひたすらアッシュを殺すため勉学に励んできたガイは、一言で言えば世間知らずになってしまっていた。
この出来事でガイは心を入れ替えた。といってもアッシュを殺すことを諦めたわけでは、けっしてない。常に笑顔で愛想よく。相手の心にするりと入り込めるような好青年を演じるよう心がけた。それに、もともと生来の性格はこっちだ。おかげで教団内でも、如才なく日々生活していけるようになった。
そもそも。アッシュを殺そうと思っているのだから、逆に怪しまれないよう猫を被る必要がある。標的のアッシュ以外、ガイが危険な思惑で働いていることは誰も知らないだろう。第三者がいない隙を狙ってはいるものの、二人きりだろうがなんだろうが、アッシュは簡単に討ち取らせてはくれない。
「さて、今日も一日、頑張るとしますかね」
今度こそ、とガイは寝台から降り、伸びをして朝の支度を始めた。

使用人が主人の居室へ赴くと、すでにアッシュは身支度を整えていた。いつものことだ。
「食堂へ行く。片付けておいてくれ」
「かしこまりました」
アッシュはガイを一瞥しただけで、すぐに部屋から出て行った。まったく変わらない毎朝のやり取り。
当たり前だが、ガイはアッシュに食事を作らないし、また作ったとしても彼は手を付けない。毒殺される可能性があるからだ。が、そもそもガイはそれを望んでいないので、彼に手料理を振舞うことは絶対にない。第一毒を入手するのが面倒だし、間接的に殺害するよりこの手で直接胴と首を別れさせなければ気がすまない。
ガイが使用人としてすることは、部屋の掃除や衣類の洗濯くらいだ。やることが少なすぎて、午前中にほぼ終わってしまう。まったく働き甲斐が無い。あとは同僚の仕事を手伝ったり、自主鍛錬にいそしむくらいだ。時間はかなり自由に使える、といえば聞こえはいいが、それはそれで困ったことになる。
アッシュは、日中は任務でいない。夜戻ってきてもガイに用事がなければ呼び出さない。
言ってしまえば、暇なのである。
(俺がアッシュを殺す前に、俺が暇に殺される……)
床を掃きながら、ガイは盛大にため息をついた。
毎日毎日毎日毎日、掃除と洗濯を自分の分も一緒にちょっとやって、稽古や手伝いをするだけ。アッシュといる時間など、ほんのわずかだ。
復讐が生きる目的だというのに、アッシュといる時間は一日平均五分以下。対する無為の時間は二十三時間五十五分。アッシュは五分を守りぬけばいいのだから、割りに合わない。
「使用人やめて、信託の盾騎士団にはいろうかなぁ」
そうすればアッシュといる時間も増える。実際、卒業するとき色々声がかかりまくったし。実力的には問題ない。
「でも、周りに人がいると殺すとき邪魔だしなぁ」
今まで何度か襲ったことはある。が、それはもう五年も前のことで、机で書き物をしているアッシュに剣を振るったが首を傾けただけで避け、何事もなかったように仕事を続けられたりと、歯牙にもかけられなかった。
今のほうがずっと強くなったので、アッシュもガイを相手にしたときは本気を出さなくてはけなくなる。そうなればこちらも無傷では済まされないし、何事もなかったようにはいかない。
機会は一度きり。失敗は許されない。
もし仕留め損なったら、ガイは捕らえられ残りの人生を獄中で過ごすことになるか、反撃してきたアッシュに殺されてしまうかの二択だ。
相対的にアッシュといる時間が増えても、第三者という想定外が起こる要因は極力排除したい。
「やっぱ使用人しかないか」
ほうきの柄に手を乗せ顎をつくと、青年は物悲しく呟いた。

掃除と洗濯が終わり、ガイは昼食をとりに食堂へ向かった。すれ違う人とにこやかに挨拶を交わす。彼らの誰も、ガイがアッシュを殺すためにここにいることを知らない。
「これはこれは、ガイではありませんか」
食堂につくと、眼鏡をかけた青白い男に話しかけられた。アッシュと同じく六神将の一人、死神ディストだ。
「こんにちは。ディスト様もお食事ですか」
ガイはにこやかに挨拶する。彼はあまり教団内で好かれていない存在だが、ガイもそれに倣う必要はない。
「ええ、そうです」
「よろしければご一緒しても? この間の話にでていた音機関について、またおうかがいしたいのですが」
青年のおずおずとした申し出に、男は大仰に答えた。
「いいですとも! 私は忙しいですが、あなたはなかなか骨があるので時間を割いてあげてもいいでしょう」
「ありがとうございます」
頭を下げ丁寧に礼を述べると、男は上機嫌なのか鼻歌を飛ばしながら歩き出した。ガイはまだ注文をしていないので、ディストに一言ことわり昼食を頼んでから彼の隣に座る。周囲の人間が遠巻きに見守る中、ガイは延々ディストの話に耳を傾け続けた。
「あーあ、ガイってば優しいんだから。無理して毎回付き合わなくてもいいのに。律儀〜」
ディストが去ると、一人の少女が青年に話しかけてきた。「アニス、」
導師守護役である彼女は、ガイが信託の盾で最初話しかけた人間だ。広い教団内部で迷っていたとき、たまたまこの小さな少女が居合わせた。
「無理なんてしてないさ。俺も音機関には興味あるし」
「そお? ああなったらディストしつこいよ〜? あたしなんてトクナガ作ってもらえたのはラッキーだったけど、いっつもご飯のとき一緒になるのは簡便してほしかったなぁ」
今はガイに対象が移ってるから違うけど。
当時を思い出してやれやれとお手上げのポーズをとるアニスに、ガイは苦笑でもってしか返せない。
事実、ディストの話は興味深い。暇を持て余したガイが唯一持った趣味が音機関いじりだった。それに、教団では誰とも衝突せずにいたい。本当にディストが邪魔だと感じても、ガイは邪険にすることはできなかった。
「あっ、ヤバ。もうこんな時間。そんじゃ、ガイ。まったね〜」
「ああ、慌てすぎて転ぶなよ」
アニスは仕事だか用事があったのだろう。壁の時計を見ると飛び上がって挨拶もそこそこに食堂から消えた。

夕方、再びガイはアッシュの部屋にいた。珍しくアッシュから呼び出しがあったのだ。
「前々から思っていたが、別に用がなくても顔ぐらい出したっていいんだぞ」
「はっ?」
思わず上げた素っ頓狂な声を、失態だと悔やむ考えすら起こらなかった。アッシュの言葉が予想外すぎて、ガイはそれ以上の思考を停止する。
アッシュはアッシュで、机で書き物をしながら話しているため、背後に立つガイからは彼がどのような表情をしているか確認できない。
「ディストが、おまえのことを褒めていた」
「はぁ」
別に、褒められるようなことは何一つしていない。ガイは回らない頭で、気の抜けた返事をするのがやっとだった。
しかも、それきりアッシュが黙ってしまったため、ガイも何も言えない(ガイがアッシュへ自主的に発言することはまれだ)。が、この沈黙、どうもうっとうしい。
「ええと、つまり俺はアッシュの使用人なんだから、ご主人様ともちゃんと会話しろってことですか」
ガイは二人のときは主人であってもアッシュを呼び捨てにしている。始めにアッシュからそう指示された。
「そういう意味じゃない」
(いや、おもいっきりそういう意味だろ)
少年が否定した言葉は普段どおり平坦なものだったが、ガイにはわかる。かすかな棘が混じっていた。
「おまえにとっても、そのほうが都合がいいだろう。一日五分未満では。」
「はいはい、それはありがたいことですね」
はからずして口をついてしまった皮肉に、ガイは顔をしかめた。互いに表情が見える位置にいなくてよかったと思う。とんだ失態だ。
「いくら言っても聞かなかったおまえが、他人や他のことに関わるのはいいことだ。が、そうなったからには俺にも監督責任がある。もう少し、目の届くところにいろ」
「さようでございますか」
なんだ。ガイは拍子抜けした。アッシュとは滅多に話さないのにディストと話したことが気にいらないのかと思ったが、そうではないようだ。苛立ちをはらんでいると感じた言葉も、ガイがそういう勘違いをしていることに対してだろう。
ガイはアッシュを殺すためにいる。それがアッシュ以外と親交を深めた場合、アッシュだけの問題ではなくなるから、管理の目を光らせたいといったところか。
いや、だがそうすると『いくら言っても聞かなかった』とうい言葉と矛盾する。確かに、思い返すとダアトに来た初期の頃は、まだ十台だった自分にアッシュはなにかと世話を焼いていてくれた気がする。今よりも傍にいてくれたし、話もした。街、人、物、世界。色々なものを見せてもらった気がする。
(いつからだ? こんなに俺達が離れるようになったのは)
思い出せない。どうして。
ガイは込み上げる不快感に益々苛立ちをつのらせた。
だが、特に決定的な出来事があったわけでもないから、理由を思い出せないのも道理だ。アッシュへは自然と、歳をとるようにガイの側から一歩ずつ離れていった。
理由はない。なのに『理由がある』と考えたのは、なぜだ?
(埒もない)
「ご命令とあらば、このガイ・セシル、積極的にご機嫌うかがいに参ります」
ガイは小さく頭を振り、馬鹿な考えを振り払うと典雅に腰を折って返答した。頭を上げきる前に、アッシュが振り向いたのが気配で分かる。
「用事はこれだけじゃない。来週、導師がマルクトを巡礼される。俺もついて行くことになった。おまえもこい」
「わかりました」
姿勢を正し、視線の合った相手に青年はにっこりと微笑んだ。アッシュの不機嫌値が一気に跳ね上がるのが手に取るように分かる。
「ああ言っといてなんだが、今日はもう戻れ。今日中にこの報告書を仕上げないといけないから、近くに人がいては気が散る」
「はい、それでは失礼いたします。アッシュ様」
使用人が再び頭を下げ戻したとき、主人はもうこちらを向いてはいなかった。ガイは音を立てないように退出する。
(気が散る、か。あんなに俺に対して臨戦態勢じゃ、そりゃ仕事に集中もできないだろうさ)
ああもう、本当に苛々する。こんなに腹立たしいのは久しぶりだ。
ガイは一直線に自室へ帰ると、冷たいシャワーを浴びただけで夕食もとらず寝てしまった。




ダアトを出るのは何年ぶりだろうか。
船上で風を受けながら、ガイは遠ざかるパダミア大陸を見て思った。確か四年ほど前に、アッシュについてケセドニアへ行って以来か。人の多さや砂漠に驚いた覚えがある。どうして忘れていたのだろう。
自分の記憶を誰かがこっそりしまっている、そんな気持ちの悪い感覚を、ここのところガイは感じていた。今はしまいこまれたそれを片っ端から開いている最中だ。用がなくても顔を出せと言われてから連日アッシュの部屋を訪れるようになって、あんなこともあった、こんなこともあったと思い出すことができた。とりとめのない話が全部昔話というのは正直笑えないが、ぽつぽつと語るアッシュの言葉が、一つ一つ見えなかった幕を取り除いていくように過去の記憶が蘇る。
確かに七年も前の出来事など、細かいことにいたるまで覚えていることはないだろう。しかし、ここ数年のアッシュと断絶していた状態が七年前からであるような錯覚に陥っていた身にとって、それは酷く新鮮で驚くべきことだった。
「ここにいたのか」
「アッシュ……様」
すっかり聞きなれたものになった声に振り向くと、当の本人がいた。
「いい、どうせ誰も聞いていない」
一応まわりに教団員がいるのでかしこまったガイをアッシュは面倒くさそうに制する。そして、当然のように主は使用人の隣に立つと、同じように手すりに身体を預けた。
「おまえを外に連れて行くのは四年ぶりか」
「ええ。俺も、今それを思い出していたところです」
目を細めるアッシュの言葉に、ガイも眩しそうに海原を見つめる。太陽光が反射し、海鳥が光を背負って飛んでいる。しばしの無言の後、少年が呟いた。
「気持ちがいいな」
「え、」
「気候だ。晴れている。風もさほど強くない」
そうですね、と、答えようとしたガイの口を、裏切るように一瞬強く吹いた風が塞いだ。血よりも赤いアッシュの長い髪が、豊かにたなびく。驚かされて見開いた碧玉を、頭を抑えようとした腕が一瞬遮る。乱れた髪を整わせながら、交わった視線。強くない、と言った途端風に遊ばれて、恥ずかしさを誤魔化すように、
「――っ」
アッシュが、笑った。
「ガイ?」
固いものをよく噛まないで飲み込んだような顔をした青年に、少年が一体どうしたのかと呼びかけた。
「なんでもありません」
青年はその言葉にあわてて首を振った。
「船にでも酔ったか?」
「ちが……そうですね、少し気分が悪いです。申し訳ありませんが下がらせていただきます」
少年が次の言葉をかける暇もなく、青年は船室へ戻った。