アレクセイが嫌いなシュヴァーンの本。

目次
05〜「さめざめ」長月亜稀-羊堂
16〜「アイロニカリィ・オーダー」 ヨスガラヒネモス-Littera




「さめざめ」




「アレクセイ様。お言葉ではありますが、今日が何の日かご存知でしょうか」
「知らんな。お前のプライベートなど知る筈もないだろう」
「それは大変な問題発言です。私のプライベートを知る筈がないのはご最もですが、今日が何の日かは、貴方が上司として把握すべき事柄です」
「一体何の日だと言うのだ」
「非番です」
堂々と言い放ったシュヴァーンに、アレクセイの眉間に皺が寄る。
「何処に居た」
来るのに手間取る場所にでもいたのか、とアレクセイが問うてみる。
「寮です」
しかし、騎士団の団員の寮であれば通常勤務と同等の時間でこの場へ来れる筈ではないか。
「寮に居たのならば、どうしてもっと早く来ないのか。理由を言え」
「私は、私および私の部下にミスやトラブルが発生したわけでもないのに、非番のところを呼び出されました。その件について寮を出る前にクローム殿と交渉をしていましたので、アレクセイ様の期待よりも到着が遅くなりました」
「交渉?」
「はい、休日出勤の賃金交渉です」
「休日出勤?」
「上司からの私的な呼び出しに対し、断ることもできます。事実そのつもりでした。しかし、それではクローム殿が不憫です」
シュヴァーンの言葉に、クロームが横やりを入れる。
「アレクセイ様の急なお呼び出し、私的なそれに対して私が何かしらの対応を行うならばともかく、そこにシュヴァーン殿が巻き込まれるという事態は、本来ならばあるべきではない行動です。そこで、休日出勤……それも通常の休日出勤では申し訳がないので、特別に手当てをつけてという扱いにしていただくことで交渉を纏めました」
ということで、とクロームがアレクセイに向かって、手のひらを上にして右手を差し出す。
「なんだ、この手は」
少しだけ嫌な予感がして、アレクセイはクロームに問う。
「休日出勤分は休日出勤として給与支払いが行えます。しかし、このような特別手当は予算として確保しておりません」
「私に支払えと言うのか?」
「交際費等の経費として落とすことは出来ないとお考えください。もしお支払いいただけないのでしたら……仕方がありませんので、シュヴァーン殿にはご足労いただいたところ申し訳ありませんが、本日はこれにてお戻りいただくことになります」
アレクセイに対して、悲しそうな声でクロームは言った。
「一時間ほど余計に休日出勤として付けておきますので、それでよろしいでしょうか」
シュヴァーンには申し訳なさそうに、折衝案を提示する。シュヴァーンはそれに頷き、アレクセイに非難の視線を投げる。女性に悲しい顔をさせて、という視線だ。
「というわけですので、失礼いたします」
シュヴァーンが踵を返そうとしたその時、アレクセイがそれを止める。
「待て、わかった、支払おう」
「はい、頂けるのでしたら」
きっちりと報酬が支払われるということで、シュヴァーンは動きを止める。
「お前がそこまでの守銭奴だとは知らなかった」
アレクセイは溜息を吐き、財布を取り出した。
「これは、労働者として当然の権利を奪われたことに対する、一種のデモンストレーションです。お忘れなく」
その言葉の通り、シュヴァーンは守銭奴ではない。ただ、自らの権利を主張したいだけなのだ。
アレクセイが財布から現金を取り出そうとすると、その財布をクロームにひょいと奪われる。
「時間に応じて手当てはこちらからお渡しします」
既に二人の間では、特別手当が時間単位で支給されていることが決まっているようだった。
「……誰のおかげで将来が約束されてると思っているんだ」
聞こえないようにしたつもりかもしれないが、アレクセイの呟きを拾えない程二人は耳が遠くない。






「アイロニカリィ・オーダー」




「実は来月、私は団長に就任することが決まった」
「はぁ――って、ええええ!?」
あやうく流してしまいそうになった。騎士は隊長首席の言葉に素っ頓狂な声を上げた。
「そんな大事なこと、俺なんかに話してもいいんですか」
「いいから話している」
そりゃそうだ、馬鹿な質問をしてしまった。
「続けるが、いいかね。とにかく、そういうわけで君を小隊長にしようと思う」
「とにかくもそういうわけでも、全然理由として繋がってません! ていうかそれただの職権乱用じゃないですか!!」
「私の傍には、そうやって面と向かって罵し、違った、意見してくれるものが必要だと思ってな」
「いや、その割にはさっきから俺の突っ込みで都合の悪い部分とか聞いてなかったり、そっちで勝手に納得してたりしてませんか」
「そんなことはない。聞いているぞ、反応しないだけで」
「一緒です! ああもうなんなんですか、罵られるのが好きなんて、隊長はそういう種類の人なんですか」
「まさか。どちらかというと、私は罵るほうが好きな人間だ」
「俺、隊長主席は全てにおいて完璧で、性格が悪いなんてカケラも思っていませんでしたが、今の言葉で考えを改めさせていただくほかなくなりました」
「そうだな、君だけには改めてもらおう」
アレクセイは笑って席を立った。咄嗟に身構えはしたが、シュヴァーンはそれ以上動くことができない。言葉ならばまだぎりぎりだ。手などあげられるわけがない。だから、アレクセイの次の言葉と行動を身に受けたとき、逃げ出さなかったことを心底後悔した。
「君相手にしかこんな気持ちにならない」
「んぐっ!?」
男の言葉を理解したくなかったがために生じた時間差で、シュヴァーンはアレクセイに引き寄せられその唇を奪われていた。
「――!!!!!!」
声にならない悲鳴を上げで、青年は男を突き放した。
「意外だな。噛まれるかと思ったのに」
「あっ、貴方は! まったく一体どういうつもりですかッ、そりゃ噛めれば噛みましたけど、俺は必要以上に貴方に触れたくもないし話したくもないし、ましてやその血液を口の中にだっていれたくな――あ、」
しまった言い過ぎたと、こちらを変わらず笑顔でみつめるアレクセイの視線でシュヴァーンは我に返った。
「申し訳ありません。失言でした。どうか、どうかお忘れください」
目線を下げ口元を手で覆った青年に、安心したまえと男が言った。
「私も、君のことが大嫌いだ」
おそらく、シュヴァーンは産まれてこのかたここまで理解に苦しんだことはなかったろう。
「言動と行動が一致してませんッ、なんで嫌いな相手にキスなんてするんですか!?」
「嫌いだから、君のその唇を奪いたくなった」
先ほどからアレクセイのつむぐ「嫌いだ」という台詞は、うっかりしていれば「好きだ」と聞こえそうなほど、甘く熱意がこもっていた。こちらとしては、アレクセイに好かれていないという事実は喜ぶべきものだ。がしかし、お互い意見が一致しているという事実は、喜べなかった。それほどシュヴァーンはアレクセイを嫌っている。嫌っている相手には、極力近寄りたくない。だというのにアレクセイは嫌っている相手にキスをしたいらしい。
「まったくもって理解不能です」
「いや、そんなことはないぞ」
アレクセイが再び近づいてくる。今度こそ、シュヴァーンは逃げようと踵を返した。だが、扉まであと少しというところで腕を捕まれる。勢いのまま身体を反転させ、男は青年を扉に貼り付けた。両腕をやすやすとその大きな手で括り上げられている以外は拘束されていないというのに、雰囲気でシュヴァーンはもう身動きができない。怖い。さっきまでの笑顔が嘘のように消えて、真剣と形容するのはいささか鋭すぎる視線が、青年の瞳を射抜くように見下ろしていた。圧倒される。絶対的な支配。再び唇は塞がれ、今度は舌まで入ってきた。
「んっ…ふ…ッア」
すぐにでもその舌の根から噛み千切ってしまいたいのに、躯は言うことをきかない。萎縮し、諾々と濃密な口付けを受け入れている。頬に添えられた手の平は、呼吸すら奪うキスの猛々しさとはうって変わって至極優しく気遣いに溢れていた。
やめてくれ、ばらばらになてしまう。
膝が笑う。躯に力が入らない。腕を留められていなければ、崩れ落ちてしまう。
もう――。
「嫌いな人間に、こんなことをされるのはどんな気分かね?」
「ッ」
大切ななにかを手放しかけたところを、狙ったように男は言った。今ならば躊躇なく舌を噛み切ってやれたというのに、すでに口腔は荒い息しか出入りしていない。いくら嫌いな相手に嫌がらせをするにしたって、体を張りすぎだ!
「そっちこそ、嫌いな人間にこんなことをするのはどんな気分ですか」
「むろん、愉快に決まっている」
「こん、の……ッ。あんたって人は!」
こんなに最低な言葉は聞いたことがない。敬語で罵る余裕すら吹っ飛んだ。
「君は一つ勘違いしているようだから言っておこう。確かに、私は君が嫌いだ。だが、大変気にいっている」
「俺はそろそろあんたの思考を理解しようとすることを放棄したほうがいいんじゃないかと思ってきた」
「ほう、努力の結果が空しいことになるな」
いちいち癇に障る言い方をする。シュヴァーンがさらに文句を言う前に、アレクセイは話を続けた。