「うまくもぐりこむことができましたわ」
「ナタリア、そういう誤解をまねく表現は、ちょっと……」
部屋の案内と昼食が済み、ガイ、ティア、ナタリア、アニス、ドーンの五人は再び村にいた。
ドーンは相変わらずトクナガに夢中のようで、くりだす必殺パンチを果敢にも受け止めている。くれぐれも本気にならないでくれよ、とアニスに祈りながら、年長組みはそんな二人を引き離さないよう相談しつつ歩いていた。
村人に話を聞くも、誰も自覚していない。出入りの商人に聞いても、触れない以外にわかることもなく。結局何の進展もないまま日が暮れてしまった。
「おかえりなさいませ。夕食の準備ができております」
セントレア邸に帰った一行を待っていたのは、相変わらず固い表情のウスースだった。
まずはいったん部屋に引き上げてから、とドーンと別れガイ達は客室の並ぶ廊下を歩く。
『おい』
「え――」
今、確かに誰かが呼びとめた。なのに振り返ったのはガイだけで、女性陣は不思議そうにガイを見つめる。
「今、声が」
『まだ知覚できるのはおまえだけか』
「!?」
ガイの言葉に被せて、前後左右どこからでもない音が響く。そして、ガイは見た。
眼前に赤い髪碧の瞳の、
『夕食に気をつけろ』
「待――っ」
何もない空間を凝視したかと思えば、唐突に手を伸ばした青年に、三人はぎょっとする。
「今、『夕食に気をつけろ』って」
自分でも信じられないのか、ガイが伸ばした右手を閉じたり開いたりしながら呟く。ほんの一瞬だったが、第七音素意識集合体がそこにいた。
「ガイ、どういうこと?」
代表して、ティアが質問する。
「アッシュかローレライか第七賢者か、一瞬だったからわからないけど、赤い髪で碧の瞳の人の形をしたてて、さっき俺そうに言ったんだ。……音素帯以外で干渉してきたのは初めてだ」
やはりこの件、アッシュがなんらかの形で関わっている。淡い熱を発する腰の譜石ケースを、ガイは握りしめた。

今日の調査の結果やら、ボロを出さないようにあたりさわりのない会話で、本日の夕食もなんとか乗り切ることに成功した。やはり嘘とは相当精神が磨耗されるのか、部屋へつくなりガイはぐったりと寝台に倒れこんだ。
「――」
いつの間にか眠ってしまっていたようだ。ガイはかすかな気配で目をさました。誰かが見ている。
殺気、というよりも怒気か。そして戸惑い、恐れ、迷い――複雑に絡みあった人間の意識が、ガイを注視している。
「!」
扉を蹴破り、下敷きにした人間を捕まえ、引きずり出し後ろでに拘束する。ものの数秒の出来事に、襲撃未遂者は悲鳴すらあげることができなかった。
「ティア!」
呼び声は合図。暗い廊下に明かりがつくと、ガイに呼ばれた少女の他に、ナタリアとアニスも廊下に出てくる。そして、取り押さえられた人物を確認し、みな一様に息を飲んだ。
「タベリウスさん、どうして」
ガイがうめくように呟く。
「すいませんっ、すいませんっ」
青年の言葉に非難の響きはなかったが、タベリウスは必死に謝罪する。
「すべてお話していただけますね」
ガイの念押しに首も千切れんばかりに何度も頷くこの男に、青年は拘束を解いた。
ガイが泊まっていた部屋は扉が壊れてしまったので、隣のティアの部屋へ移動すると、四人に囲まれて一人椅子に座ったタベリウスが涙を流して許しを乞う。
「本当に申し訳ありません。けれど、でも、こうでもしないと、私は……!」
「落ち着いてください。――まず、どうして俺達の食事に毒を盛ったりなんか。いえ、」
ガイは一旦、言葉を止めた。
「どうして俺達を殺そうとしたんですか?」
最初から直球の質問に、タベリウスの肩がびくりと揺れた。青年の声は落ち着いていたが、底に孕む迫力に男は潰される思いがした。
「あなたがたが、妻を連れ戻しにきたからです」
「シネラリアさんを?」
四人は驚いた。ドーンならばわかる。彼はアッシュなのだから。しかし、なぜそれがシネラリアになるのだ?
「妻は、本当のシネラリアは一ヶ月前にこの村で亡くなりました」
信じられない。現に、今日だって夕食を一緒に食べたではないか。確かに何かの病気なのだろうが、それでも、どうみたって彼女は血肉が通った人だった。
「そこに『彼』がやってきたのです。私が悲嘆にくれているとき『彼』は言いました。姿形は違えど、妻を蘇らせてやると。私はいちもにもなく承諾しましたよ。もともと紅毛緑眼でしたが、確かに蘇った妻の顔は別人でした。ですが、仕草や性格、口調……。総てが妻そのものでした。」
みな、あまりの衝撃に口を開くことができない。タベリウスの淡々とした声だけが床にこぼれていく。
「そして『彼』は妻の記憶から、七年前に死産した私達の子供まで創ってくれました。妻の動作が不安定になると言われましたが、私は願いました。失ってしまった、家族の夢を取り戻したかった。けれども、『彼』は最後にこう言ったのです」
タベリウスは言葉を一旦区切り、決心するように息を大きく吸い込んで吐いた。
「『いつか必ず、栄光の使者が迎えに来る』と」
「栄光の、使者?」
ガイがようやく言葉をしぼりだす。タベリウスは口元を歪めて笑う。
「あなた方のことですよ」
そう言って見た、タベリウスの暗い瞳。ガイは背筋に冷たいものが走った。
「はじめは、その使者がくれば妻達と本当に別れるつもりでした。つかの間の、楽しい夢が見れた、と。ですが、ガイさん、貴方が記憶を失っていることを知って、私は……諦めることができなくなった。手元において、監視して、もし記憶が戻るようなことがあれば――」
その先は、聞かずともわかった。
「ところが、私をあざ笑うかのように、さらに使者は増えた。だから私は最終手段にでました。事を荒立てたくはなかったので、毒を使いましたが、きかなかったのには驚きました。やはり、死者と暮らすなど間違っていたのです」
「あなたは、村の異常をわかっていたんですね」
ティアはタベリウスが自分達を殺そうとしたことについては、何も言わなかった。
「はい。音素を固定させるための副作用だと『彼』は言っていました」
「わかりました。……ガイ、私達の出番はここまでだわ。あとは、あなたの使命よ。わかるわね」
「ああ」
そして、深く下げられた頭にタベリウスは目をみはった。
「俺は、あなたの大切な人を、奪いにきました。そして『彼』は、俺の大切な人なんです。俺は、彼を探してここに来たんです。記憶がないというのも嘘です。本当に、すみませんでした」
「ガイラルディア、さん」
「明日の夜、また、ここでお待ちしております」
タベリウスは、小さく肯定の返事をした。

「よかったの? つかまえなくて」
アニスの言葉に答えるものはいなかった。アニスも返事は期待していなかったのだろう。タベリウスが去った椅子を元の位置に戻すとため息をつく。
「でも、ちょっとリヴァイブはきつかったねー」
「俺も。一般人相手でよかったぜ」
実は、夕食の毒はナタリアの譜術で半強制的に無効化したのだ。毒によって一度行動不能になったのを、リヴァイブで毒を消して復帰する、という荒業だ。毒によるダメージが全快するわけではないのだが、事前に対処できるのはこの方法しかなかった。
「さーて、今度こそ朝までぐっすり体力全快するまで眠るとしますか!」
トクナガを振り回しながらアニスが部屋を出る。ガイもナタリアもならって部屋を出た。


久しぶりに丸一日父親と母親と過ごせるとあって、ドーンは朝から大はしゃぎだった。そんな彼らを見送られ、形ばかりの調査にティア達は村へくりだす。
長いような短いような一日だった。
明日も、明後日も続くと思えるような、普遍的で平和なとある一日のはずだった。
それを奪う。
今までわたってきた夢とは違う。
本当に本当の現実。
タベリウスは、これからもこの世界で生き続ける。独りで。
「アッシュ。会いたかった」
ティアの部屋へあらわれたシネラリアへ、ガイはそう呼びかけた。シネラリアはわけがわからないといった様子で、タベリウスを見る。しかし夫は首をふるだけ。
「あなたを迎えにきました」
「ガイラルディアさん、突然なにをおっしゃるの」
シネラリアはドーンを握る手に力をこめる。守りたい人。ずっと一緒にいたい人。だから、ドーンがその手を振り解き、ガイに伸ばしたことに、シネラリアは取り乱した。
「ドーン! だめっ」
「ガイ、俺はおぼえているよ。俺が覚えているよ。俺は母さんの一部だから。まっさらな俺に、母さんの必要ない部分が全部ある」
母親が制止するのも聞かず、ドーンはガイが持つ譜石のケースに手を伸ばす。
「おかえり」
「ただいま」
言葉と光とともに、ケースの中に焔のない譜石が一つ現われる。
「ああああっ」
シネラリアが顔を覆い崩れ落ちた。
「ごめんなさい! ごめんなさいあなたっ」
「シネラリア――ッ」
タベリウスがシネラリアを抱き止めようと手を伸ばす。だが、それは叶わなかった。それでも透き通る妻の体を必死にかき抱く。
同時に譜石に焔がともる。
その光景を最後に、ガイは姿を消した。

続く
>>