次の日、出仕すると一番に報告書を提出したガイは、ジェイドに呼び出され再び彼の執務室にいた。
「譜石を調べてみましたが、別段変ったところはありませんでした。中身の炎が気になりますが、さすがに割ってみることはできませんしね。あ、これはお返しします」
死霊使いの台詞に肝を冷やしたのか、はたまた早く手元に戻したかったのか、ガイは急いで譜石を受け取った。
「あなたはアッシュを探すとおっしゃいましたが、何か他に彼がいるような場所の心当たりでも?」
「いや……」
「お話になりませんね」
売り言葉に買い言葉とまではいかないが、昨日勢いよく啖呵を切ったことをガイは後悔した。だが、探すと決めたのは本心だ。ここでフォミクリーを発明したジェイドを味方につけなければ始まらない。議論は結局うやむやになってしまったままだ。ガイは一晩中ジェイドを説得する方法を考えていた。
「一応、一つだけないこともない」
「ほう?」
歯切れの悪い物言いに、少将の目が鋭くなる。もしこれで駄目なら。一生かかっていもいい、世界中、草の根分けても一人でアッシュを探し出す。
「ローレライに、話を聞けないだろうか」
「ローレライに?」
思いもよらなかったのだろう、死霊使いが息を飲む。ガイはジェイドが次に何か言うよりも早く、言葉を続ける。
「ローレライは今音譜帯の七層にいる。そこに行って、直接聞くんだ。以前地殻に突入したとき、ティアにローレライが乗り移ったことがあったろう。だから、本体の近くに行けばローレライと接触できるんじゃないのか? アッシュを探すことはローレライの意向でもあるし、可能性はあると思う」
「……第七層までは、地上からゆうに二百キロメートル近く離れているのですよ? アルビオールでは無理です。どうやってそこまで行くつもりですか」
「ローレライに接触することについては、何も言わないのか?」
したり顔で聞き返す伯爵に、長い嘆息ののち、少将はついに降参した。
「確かに、今の状況でそれ以外の有効策はなさそうです。仕方ありません。七層へ行く方法は私がなんとかさせましょう。さいわい、そういうことにしか使い道がないのを、一匹牢屋に飼っていますしね」
「ディストか?」
青年の口にした名には反応せず、将校は続けた。
「シェリダンでも成層圏突破の研究をしています。多少時間はかかってしまうでしょうが、あの無駄飯食らいならなんとかするでしょう。七層へ行くときはティアも連れていったほうがいいですね。ガイ、頼まれてくれますか?」
「もちろん。陛下からはきっちり休暇をもぎとれるだろうしな」
二人は悪巧みが成功したような笑みを浮かべる。
十日後、ガイは再びダアトの土を踏んでいた。



ティアが入室してきたのは、ポットの中身がカラになり茶菓子も全てたいらげ本を一冊読み終り、二冊目に手をのばそうかというときであった。
「ごめんなさい。なかなか仕事がひと段落しなくて」
「いや、こっちこそ悪かったよ、急にたずねたりしてさ」
目次まで目を通した本を閉じると、ガイは応接室の椅子から立ち上がり詠師に謝罪する。
「それで、大切な話って?」
客に着席するよう仕草で示し、かわりをつごうと少女はポットを持ち上げる。しかしすでにカラと知って、青年に改めて謝罪した。
「はは、気にするなって。それより君も座ってくれ。話すと、長くなる」
ティアが腰掛けるのを待って、ガイは旧図書室でアッシュに出会ったこと。そして、アッシュを探すため第七層のローレライに接触しようとしていることを説明した。
「もちろん、協力させてもらうわ」
話している間、少女は一度も目線を逸らさなかった。表情も崩さず、ただ一度、大爆発の事実を知ったときだけその瞳を大きく揺らした。
「ありがとう、そう言ってもらえて嬉しいよ」
「それで、だいたいいつ頃七層へ?」
「うーん。それが、ディストがアルビオールの推進装置を完成させないことには、どうにもならなくてさ」
第七層へ行く手段として採用されたのは、アルビオールを改造し、シェリダンで研究されていた推進装置と滑走路を使用する案だった。短期間ででき、最も効率のよい方法だとディストは鼻息荒く、さらにくどくど説明しようとしていたが、ジェイドが黙らせた。
シェリダンはシェリダンで、世界を救った二人のためならばと、快く応じてくれた。ディストの譜業技術も噂に聞いているらしく、案外そっちのほうが目当てだったかもしれない。
「ティアは、」
「うん?」
「ローレライは、応えてくれると思うか?」
「ガイ……」
青年の呟きが、カラのカップにこぼれる。
ジェイドが相手のときには見せられなかった不安。ローレライと契約を交わした始祖の血を引く音律士。音譜帯は、まだ誰も足を踏み入れたことのない未知の世界だ。彼女を危険にさらしてしまうことへの恐れ。ローレライが応えてくれる保障など、一切ない。さまざまな想いが、ガイの頭の中を渦巻いていた。
「大丈夫よ」
ティアの言葉に、ガイははっと顔を上げた。
「ローレライなんかが応えてくれなくても、ガイ、あなたならきっとアッシュを探し出せるわ」
「ティア……ッ」
ローレライなんか。まさかユリアの子孫からそんな台詞が出てくるなんて!
ガイは、とたんに心が軽くなった。そうだ、やる前から弱きになってどうする。
「それにね。私も、信じてるから」
ガイの笑みに応えるように、ティアは微笑んだ。
少女も、いや、少女だけでない。 たとえ記憶しか残らないと言われても。
「そうだな、俺も、信じてるよ」
彼をわたしたちはずっと待ち続ける。わたしたちなら信じ続けられる、ずっと待っていられるという確信。
「さぁ、このことを早くナタリアとアニスにも知らせなくちゃね」
がぜん張り切るティアに、ガイは慌ててそれは自分がやるからと止めた。なにしろ、皇帝から終わるまで帰ってくるなとスネられた。多忙な彼女と違って時間はたっぷりあるのだ。
ガイは改めて、自分を助けてくれる周囲の人間に感謝した。


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