のオルビタ3
「往け、我が同胞を擁きしヒトの子よ。」


世界は滅ぶ。
けれども私は信じたい。
だからこの預言を(えら) んだのだ。
滅びるしかない世界に生きる、人の
心を
意思を
道筋を
縁りあわせ、繋ぎあわせ。
けっして奇跡を信じたのではない。
私は人を信じたのだ。

兄弟には酷なことを押し付けたと思う。
愛しい私の子の手を血に染めもした。
世界を守るために多くの命を犠牲にした。
いや、弄んだ。
私は救世主ではない。
咎人だ。


あたたかい。
心地よい振動。
懐かしい。
「――ぅ、」
揺れる視界に入ったのは、金の髪と広い肩、そして地面。
「ち、ちう……ぇ……」
「あ、気付いた」
落ち着いた声がして、揺れが止まった。同時におぼろげだった意識と記憶が急速に覚醒していく。
ガイは金髪の青年に背負われていた。
「あなたは、」
「僕が誰とか、ここは何処だとか、今の状況がどうなってるとか、説明してあげたいのは山々なんだけど、実はいま、それどころじゃないんだ。悪いけど」
聞こうとしていた事を先回りされ、ガイは何も言えなくなってしまった。ローレライの召喚に成功してからの記憶がない。確か、ローレライはアッシュのもとへ送るとかなんとか、そんなようなことを言っていた気がするのだが。では、この青年がアッシュなのだろうか。
いや、ありえない。
「ニゲル、急いでいることだし、とりあえず彼を下ろしたらどうだ」
後ろから、利発そうな少年の声がした。自分を背負っている青年は、どうやらニゲルという名前らしい。
「いや、まって。ガイラルディア、歩ける?」
「は、はい」
咄嗟に返答して、気付いた。
(なんで俺の名前を知っているんだ!?)
ガイの返答を受けて、ニゲルの手が解けた。名前に気を取られてしまっていたガイは、受身をとれずそのまま落下する。
「やっぱり、僕がまだおぶっていたほうがいいみたいだね」
ふりむき、青年が呆れながら手を差し伸べる。
青い瞳、落ち着いた端正な顔立ち。初めて出会う人物なのに、ガイは既視感を覚えた。
「なんで、俺の名前を」
「あー、うっかりしてた。しょうがない、とりあえず自己紹介くらいはしておこっか。僕の名前はニゲル・シグムント。始めましてだね、子孫」
ガイの口と目が、ぽかんと開いた。
呆然とするガイの手をぶんぶんと振って、ニゲルは――いや、ユリアの三番目の弟子(ニゲル・シグムント) は答えた。
「笑えない冗談はよしてくれ」
慌てて握られた手を振り解くと、先ほどまで後ろにいた少年がでてきて、シグムントに見事な突っ込みを入れた。剣の鞘でスネを一突き。シグムントは声も上げられず座りこむ。
「まったく、子孫が見れて浮かれるのはわかるが、さっきの発言は軽率だったぞ。おまえらしくもない」
燃え立つような赤い髪に、深い森の緑を写し取った瞳が印象的な少年だった。彼は年の割には不遜な態度と言葉遣いでシグムントを一瞥すると、ガイに向きなおる。
「私はオパール・キムラヌート。知っている通り、ユリアの十番目の弟子だ。信じる信じないはどうでもいい。今は逃げている途中なので、しのごの言わず私達についてこい。あとでたっぷり苦情(はなし) は聞いてやる。ニゲルが」
「僕が!?」
「あたりまえだ。見ろ、おまえのせいで追いつかれた」
ガイは少年の言葉に呆けていた口を閉じた。彼の言う通り、後ろから殺気がせまってくる。しかし、道が曲がっているため、この森の中では肝心の姿は見えない。
キムラヌートは先ほどの剣をシグムントに投げつけると――どうやら剣はもともとニゲルのものらしい――背負っていた弓をつがえた。
「ピアシスライン!」
矢が風を切り、森の中へ消える。一体どこを狙っているのかと怪訝に思った瞬間、野太い悲鳴が木々を震わせた。
いったい、どんな目を持っているんだ! ガイは目の前で起こったことが信じられなかった。ランバルディア流創始者はとんだ天才少年だ。
「なにをぼさっとしている。走れ!」
キムラヌートはもう一本矢を放つと駆けだした。シグムントが座りこむガイの手を引っ張りあげる。
「追われているって、どういうことなんだ」
「あいつらはイスパニアの兵だ。ユリアの弟子である僕達を捕まえようとしている」
走りながらも、ガイはなんとか今の状況を知りたくてシグムントに質問した。
「もっとも、ガイラルディアはユリアの弟子じゃないけれどね。でも関係ないわけじゃないよ。ローレライの莫迦が君をイスパニアなんかに放り出すからいけないんだ。おかげで君を迎えに敵国に侵入しなきゃならなくなった。ようするに、とばっちり」
ガイはもう何もしゃべれなかった。息が切れるので話しにくいというのもあるが、なによりこのいかにも涼やかな青年が、ローレライの名をだすとき忌々しそうに舌打ちをしたのだ。怒りのオーラがむんむんと立ち登り、これ以上の質問はうっかりとばっちりをくらいそうなのでやめた。これ以上、もう妙なとばっちりはたくさんだ。
「駄目だ、ニゲル。先回りされた」
先を行くキムラヌートが止まった。地の利は完全にこちら側の不利。がさがさと茂みをわり、十人ほどのイスパニア兵が道をふさぐ。
「仕方ない。ガイラルディアは剣がないから、僕が倒したやつのでもかっぱらって」
了解の返答をする間もなく、シグムントは敵にむかってつっこんでいってしまった。
「エアリアルレイザーッ」
キムラヌートが近づいてきたイスパニア兵を払う。体勢を整えて起き上がろうとしたところに、シグムントが一撃でまずは一人目を倒した。
「ガイラルディア、受け取れ!」
祖先から投げてよこされた敵の剣を、ガイはしっかりと受け止める。キムラヌートが後退し、ガイが前衛に出た。
もう、ガイはこの青年はシグムントであないと否定することが出来なかった。限られた人間にしか伝えられていないシグムント流派を、彼は完璧に自分のものにしている。いや、本人だから当然か。俊足の剣でまたたく間に敵を切り伏せていく。
だがそれ以上に、彼の手に握られた青く輝く刀身、宝刀ガルディオスが彼が本物である確かな証拠。七賢者ギーメル・ガルディオスが愛するシグムントに捧げた剣だ。柄の意匠はガイが知る物と多少違うが、ガイはこんなにも光るガルディオスを見たことがなかった。
一方、キムラヌートの援護も強力だった。弓は正確無比に狙いを外さず、支援譜術とあわせて前衛をサポートしている。結果、ものの数分で行く手を阻む者達は一掃された。
「なかなかやるね、ガイラルディア」
「あ、ありがとうございます」
流派の祖に誉められたが、ガイは余計恥ずかしくなる一方だった。彼の方が、数倍、いや何十倍も強い。
「よかったら今度手合わせでも」
「ニゲル」
キムラヌートに睨まれ、シグムントは首をすくめて口を閉じた。
「ゆっくり立ち話なぞしている場合か。また次か来るとも限らん。森を出てすぐの国境を超えればヤツらも深追いはできない。さっさと行くぞ」
ずかずかと大またで歩き出した少年に続き、青年達も遅れじと後を追った。


よもふけたころ、ようやく国境を超えた二つ目の街にガイ達は到着した。街は瓦礫の間にテントが張られ、中の住人は眠っているようだった。これでも戦争による被害は軽いほうだとシグムントは言った。
中心部はなんとか町並みが残っており、半分瓦礫に埋まって余計複雑になった路地を三人は歩く。今にも傾きそうな家の前で、シグムントが扉を七回ノックし呟いた。
「ローレライの御霊(意思)は」
「ユリアと共に」
内側から少女の声がして、扉が開いたと同時に
「ニゲルお帰りなさい!」
声の主と思われる少女がシグムントに抱きついた。
「ギ、ギーメル、ガイラルディアがびっくりしているよ」
「あれ、ほんとだ」
突然女性が現われて、ガイは一瞬にしてその場から瓦礫の影に逃げていた。
「ごめんねー。大丈夫だって、とって食いやしないから」
おいでおいでと少女に手招きされ、ガイは三人のもとへ戻ってくる。女性恐怖症のことは二人に話していなかったので、単に驚いただけだと思ったようだ。偉大な先祖にびびりと勘違いされるか、女性恐怖症が知られるか。どっちにしろ、ガイは絶望的な気持ちになった。
「すいませんでした」
「うーうん、あたしこそごめんね。ニゲルが無事に帰ってきてくれたことが嬉しくて」
少女がはにかんだ笑みを浮かべる。扉の隙間からもれる光が、ふわりと風で一瞬舞った金の髪を優しく透かした。
「さ、入って入って。お姉ちゃんが首を長くして待ってるんだから」
「フラヴィオとローズは」
「それがまだなの」
「そうか、夜明けまでに戻ってこなかったら探しにいかなくてはならないな」
家に入り、奥の部屋の隠し隠し階段をくだりながら、少女とシグムントは会話をしていた。それを横で聞きながら、ガイは雲の上でも歩いているような気持ちだった。ギーメルという名が聞き間違いでなければ、この少女は七賢者の一人、ギーメル・ガルディオス。自分の祖先ということになる。
「おねーちゃん、ニゲル達が帰ってきたよ」
階段を下り、細い通路を何度か曲がった先にあった扉を開け、ギーメルは元気に言いはなった。
「おかえりなさい、無事でよかったわ」
部屋の中、席を立った少女の背を亜麻色の髪が流れた。こちらに向き直った顔は、一緒に旅をした音律士の面影が濃い。出迎えた少女に、ガイは打ち震えた。
「ガイラルディア・ガラン、お待ちしておりました」
「ユリア・ジュエ……」
ローレライと契約を結び、二千年前の世界を救った少女がそこに立っていた。懐の譜石が熱い。第七音素同士、共鳴しているのかもしれない。
「今日はもうお疲れでしょう。つもる話はあとにして、ゆっくりお休みください」
優しい口調であるのに、有無を言わせぬ迫力があった。今はゆっくり休んでいる場合じゃないと思いつつも、ガイは気付けばうなずいていた。
「は、はい」
目の前の現実は信じられないと思っても真実で、聞きたい事も沢山過ぎて、とにかく許容量を超えすぎた頭は、その日すぐ眠りに落ちた。



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