「朝だよ、ガイラルディア」
身体を揺さぶられて、ガイは目が覚めた。地下にあるので明かりがないため、太陽の光という自然の目覚まし時計がないこの部屋で、昨晩の疲れもあってかガイは寝坊してしまったようだ。
「すみません、すぐに起きます」
慌ててガイは服を着ると、洗面所はこっちだと苦笑するジグムントのあとに続く。
すっかり支度をおえて広間(といっても人が十人も座れないような部屋だったが)に案内されたガイは、そこで簡単な朝食をだされた。食べ終わって食器を片付けたシグムントと入れ替えに、ユリアとギーメルが入ってきた。
「お、おはようございます」
「昨日はよく眠れた?」
「はい」
始祖を前にし、ガイは緊張しかしていなかった。さっき食べた朝食が胃の中で踊っている。
「難しいわね。何から説明すればいいかしら」
ガイの目の前の席に座なりユリアはため息をついた。
「お姉ちゃん大丈夫だって。なんてったって私の子孫だし」
ユリアの隣に座ったギーメルが理由になっていない理由でユリアを励ます。
「すでにお察しの通り、ガイラルディア、この世界はあなたの生きている世界ではありません。あなた方が、創世歴と呼ぶ世界です」
「はい」
「ですが、この世界はあなたの世界の過去ではないのです」
「……はい?」
「ああ、やっぱり説明が難しいわ」
目が点になったガイに、ユリアはいやいやと首を振った。その仕草は、始祖と呼ばれ崇められている救世主とは思えない、普通の、年相応の少女のものだ。ガイはなにかがガラガラと崩壊していく音を聞いた。
「あの、ここは過去の世界で、俺はローレライに時間を過去に飛び越えさせられたんじゃないんですか?」
おずおずと質問する青年に、少女はまた首を振った。
「いいえ、ですから違うのです。しいて言えば、これはローレライの夢。観測者が無くなれば、消えてしまう世界です」
「ローレライの、夢?」
「正確には、アッシュの夢かもしれませんけれど」
「っ」
始祖が口にしたその名に、ガイは一瞬息を止めた。
「この世界はあなたの世界の過去であって過去でない。この世界は、あなたの世界の過去に起こった出来事が観測者によって再生されています。ただ再生・再現されているだけのこの世界の出来事は、あなたの生きている世界に影響はないのです。歴史を変えても、ガイラルディアの世界は変らない。一つの平行世界です」
「ですが、預言によって一つの道筋に定められた未来を、俺達の世界は歩んできました。預言のある世界に、平行世界はありえない」
「あら、ではどうして平行世界という概念がない世界に、平行世界という言葉があるのかしら」
「えっ」
いたずらをみつけた母親のようにユリアは微笑んだ。
「冗談です。ガイラルディアは存外騙されやすい人間ですね。そう――本筋からそれてしまいますが、一つ話をしましょう」
ユリアの言葉も自分の言葉も、よく考えてみれば、通っているようでまったく筋が通っていない。ようやく納得した表情を浮かべたガイに、ユリア話を続けた。
「ローレライは世界の滅亡を詠みました。これは決まっていることです。当然ね、預言は定められた未来なのだから。でも、私は未来が定められていないことを知っています」
「……」
彼女の言葉は矛盾しているが、ガイは黙って聞いていた。なぜならガイもまた、知っているからだ。未来は定められていないということを。
「実は預言も無数にあるのです。一つだけ共通していることは、二〇〇〇年後、世界が滅びるということだけ。ただそこにいたる道筋が無数にある。その一つを私は選びとり、のちの世界のために詠みました」
「そ、んな」
預言が無数にある。
それは、オールドラントを生きるものにとって、考えも及ばない事実だった。
「信じられないのも無理はありません。私が、世界をそのように縛りましたから。この星に住む人間の、過去も未来もすべての、どの人間より、私の手は血塗れです」
「ユリア……」
「そんなお顔をなさらないで。そこは怒るところです。私がルーク・フォン・ファブレの死を詠んだことをお忘れですか?」
「ルークは死んでいない!」
声を荒げて否定したガイに、ユリアは微笑んだ。わざと挑発したのだが、予想以上の反応が返ってきて逆に申し訳ないくらいだ。
「あ、す、すいません」
我に帰り謝ってきた青年に、ユリアも謝った。
「いいのよ。こちらこそごめんなさい。でも、とても嬉しいわ。こんなに心から笑いたいと思ったことは久しぶり。アッシュがあなたを選んだ気持ちがわかります」
「ユリア、なぜあなたがアッシュを知っているのですが。それに俺のことも」
ガイはようやく疑問に思っていたことを口にできた。
「あなたのことはローレライが教えてくれました。ローレライは過去にあり今にあり未来にある普遍の存在。彼の同位体のアッシュは、ローレライそのもの。そして、全ての音素振動を持つ私も、ローレライの仮性同位体です。アッシュだけでなく、ルークも私の愛しい兄弟たちです。彼らの幸せは私の幸せ。だからガイ、どうかアッシュを助けてあげてください」
「もちろん、そのつもりです」
「そうでしね。無粋なことを言ってしまいました」
強い意思の宿るガイの瞳を、ユリアは頼もしく見つめる。
「先ほどこの世界はアッシュの観測により成り立っていると言いましたね。裏返せば、アッシュは必ずこの世界のどこかにいるということ。時間がありません、早くアッシュを探しだしてください」
「時間が、ない?」
思いもよらない制約に、ガイは目をしばたいた。
「この世界は過去の再生です。ですがあなたが来たことによって、この世界に歪みが生じました。過去の再現と言っても、このように居ないはずのあなたと私は話す事ができていますが、それにも限界があります。限界、つまり歪みがこの世界の許容量を越したとき、あなたとアッシュごと世界は壊れます」
「限界までの時間は?」
「すみませんが、それは私にもわかりません。ですが、急いだほうがいいでしょう」
ユリアが下を向き、きゅっと唇を噛んだ。あなたのせいではないと、ガイが言おうとしたとき、ユリアがキッと顔を上げた。
「まったく、ローレライも莫迦よ。そのことをわかっているくせに、あなたイスパニアに放り出すなんて! ほんとうに困ったひとっ」
「ユ、ユリア……?」
先ほどガイの中でガラガラと崩れた何かが、今度は粉々に粉砕された。
「おかげでこっそり抜け出さなきゃいけなかったし」
ユリアがため息をつくと、今まで静かに二人の話を聞いていたギーメルも、同じくため息をつく。
「今頃フレイルは心配で気が狂ってるに違いないねー」
「連れてきても心配するから置いてきたのだけれど。それに、彼も私も不在では皆が困ってしまうわ」
腕を組み眉を寄せる偉大な始祖に、青年はおそるおそる質問した。
「あの、一応今何人連れてるんですか」
「私とギーメルとニゲルとオパールとフラヴィオとローズ、あとザインの七人ね」
「結構大所帯ですね」
たしかローズ・ゲブラーはユリアの五番目の、フラヴィオ・ケムダーは八番目の弟子だ。ザインは七賢者の一人だし、そうそうたる顔ぶれが出迎えに来たと、ガイは目眩がした。
「ローズとフラヴィオは囮になってもらったの。まだ帰ってきていないから、オパールが探しに行ったわ」
「すみません、俺が敵対関係の国にいたばっかりに」
「だから気にしないで。あとでローレライをとっちめればすむことだもの」
ユリアがひらひらと手を振る。
ガイの中で粉々に粉砕されたなにかは、今度は細かすぎて粉塵となり霧散した。
「そういえばザインは? あたし結局昨日から一度も見てないんだけど」
ギーメルの言葉に、ユリアもそうなのよねと心配そうに同意する。
「アッシュを探せと言いましたが、世界は広大です。実は、一応心当たりがあるというか、確率の高い人間をつれてきたんですけれど」
「まさか、それが七賢者のザインだと?」
ガイが懐疑的な声色で聞く。
「ええ。――七賢者は、音素意識集合体の同位体ですから」
もう滅多なことでも驚くことがないと思っていたガイだったが、さすがに驚かずにはいられなかった。無意識に視線を祖先へ向ける。
「あたしはシルフの同位体なんだよ」
ギーメルが人差し指で自分の頬を指した。同時に、小さなつむじ風が彼女の黄金色の髪を揺らす。
「では、ザインが第七音素の同位体だと?」
「……わかりません」
「え、先ほど七賢者は同位体だと」
「では、訂正します。ザイン以外の七賢者は同位体です」
ユリアは微笑んでいるが、それ以上の追求を許さないものだった。
「いっつも神出鬼没で何処にいてもいなくてもいいけど、やっぱりこういうときにいないのは困るから、あたしちょっと探しに言ってくる」
空気を読んだギーメルが部屋を出た。どうやら仲間内でもザインの扱いは微妙らしい。
「私がお話すできることはこれくらいです。他に聞きたいことはありますか?」
「じゃあ、一つだけ。俺はこの世界のアッシュを見つけたらどうやって帰ればいい」
「おそらく、他のアッシュも同じように夢を見ているはず。譜石が三つも集まれば、その力で他の世界に跳躍が可能だとローレライは言っていました」
「それを聞いて安心したよ。まったく、しかしローレライもなんで肝心なことは言わずにさっさと俺を飛ばすんだ」
「ほんとう、そうですね」
緊張が解け、ユリアもガイも声を立てて笑った。と、そこへノックの音が響く。
「楽しそうなところ失礼するよ。ユリア、ローズとフラヴィオが帰ってきた」
シグムントが扉を開き、朗報を伝える。
「まぁ、それはよかったわ」
少女が手を胸の前に合わせほっとした表情を見せるが、そうでもないとシグムントは首を振る。
「でもちょっと困ったことになっててね」
「わかりました。ごめんなさいね、ガイ。少しここで待っていてくれるかしら」
「ああ」
険しい表情になったユリアは足早に出ていく。
一人部屋に残されたガイは、彼女の謝罪を聞くことはなかった。
「ごめんなさい、ガイラルディア。できれば気付かないで。ローレライが急いだのは、あなたの邪魔をする人物がいるからなのよ」



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