暁のオルビタ4
眩い光に塗りつぶされていた視界が唐突に開ける。
ティアは素早くベルトを外し、隣に座るガイにかけよった。ローレライはガイをアッシュの元に送ると言ったが、彼はそこに微動だにせず座っている。
『そんな、どういうことなの!?』
だがヘルメットを覗きこんだ彼女は悲鳴を上げた。中には、持ち主を亡くした衣服が所在なさげに浮かんでいる。
『どうしたんですが、ティアさん』
ギンジが状況の説明を求める。しかし、答えたのは別の者だった。
《安心するがいい、ユリアの子よ》
もういなくなってしまったと思っていたのに、ローレライの声が響き、ティア達は再度驚く。
《シグムントの子は我が同胞
の元へと旅立った》
こぶし大の焔がティアの目の前に灯り、言葉と共に小さく揺れる。音律士の少女は動けない。畏怖の念が心を縛り、ガイの行方も、これからどうしていいかも、その唇から発することが出来なかった。
《私が力をかせるのはここまでだ》
『待ってください!』
焔が縮む。ようやくしぼりだした叫びもむなしく、今度こそローレライは消えた。ローレライがこれ以上何もできないというのなら、自分達もそこまでだ。むしろ、ローレライはねぎらってくれていたように思える。ローレライは知っているのだ、我々にしかできないことを。
ガイが戻ってくることを信じて、待つ。
(どうか、無事で)
戻る事を信じて待つことを常に課せられている身に、あと一人二人増えようと大差ない。
そんなわけで最終的な心配は、ガイが戻ってきたとき服を着ているかどうかだと、戻ったティアにアニスが神妙に呟いた。これには全員が吹き出した。
ああ、そうだ大丈夫。
私達たちは、あなたの帰りを待っている。
すべてがあった。
しかし、ガイラルディア
というこの矮小な身体には理解することは不可能だった。
呼吸する胸も、所在ない腕も、立つ場所のない足も、自分という自我もすべてが見えた。かろうじて理解できる範囲だ。だが、それはありえなかった。
気持ち悪い!
三百六十度、人間でありながら全方位の景色が見える。吐き気をもよおし、手を口元にあてる。すると、声が聞こえた。
「すまない。人間とは不便なものだったな」
声と共に収束する視界。狭まった視野は、安堵と多少の寂寥感をガイに与えた。
「どうだ、これで大丈夫だろう」
聞き覚えがある。さっきまで会話していた者の声だ。焔がとぐろをまき、見知った人物が目の前に現われる。
「ザイン」
「よっ。ガイラルディア、気分はどうだ」
腕を振り上げウィンクを飛ばした七賢者に名を呼ばれ、ガイはおもいきり脱力する。
あー、なんかこいつが仲間から微妙な扱いを受けていた理由がわかった気がする。
「気分はともかく、身体には異常ない」
「なんだ、引っかかるものいいだな。せっかく調整してやったのに」
いかにも不満そうに唇を尖らせる。こいつ、なんかキャラが違わないか? 不審な目でザインを眺めつつ、ガイは別のことを尋ねた。
「そんなことより、ここはどこなんだ」
「よくぞ聞いてくれた! ここはどこでもあって、どこにもない場所だ」
わあ、こいつ殴っていいかな。
胸を張り自信満々に答えたザインに、ガイは殺意を覚えた。
「まてまて早まるなガイラルディア! とりあえず第七層だと思っとけ」
ザインが血相を変えて後じさる。気付けば自分の手にはガルディオスが握られていた。いぶかしがる青年に、ザインはこれさいわいと話題転換をはかる。
「ギーメルとシグムントからの餞別な。第七音素で構成されているのならどうにでもなるが、ガルディオスは違うからな。丸腰もなんだから、持ってろ」
「どうにかなるなら、なんで最初から剣をくれなかったんだ」
イスパニア兵と戦ったときのことを暗に非難する。
「えー、俺が剣を贈るのはユリア一人だけって心に誓ってんの。これ絶対」
ガイの額に再び青筋が浮かぶのを見てとり、ザインはまた話を変える。
「あ、でも服は俺の特製だからな! ガイラルディアしか持ってこれなかったから、とりあえず時代と場所にあった服装に毎回してやる」
最後の物言いは気にくわなかったが、ガイは改めて自分の身体を見た。そういえば服装など全然気にしていなかった――というか気にする暇もなかった。今の服はルーク達と旅をしていたころの馴染み深いものだが、創世歴にいたときは特徴のない地味な色合いのチュニックとズボンだった、と思う。
「本当は最初に説明してやりたかったんだが、こっちにも色々事情があってな。イスパニアに放り出したことは反省してる。というか、おまえらがちょうどイスパニア上空あたりを飛んでたからな。引っこ抜くのに場所を変えるのはメンドクサ、じゃなかった、大変なんだ」
「……」
黙りこくったガイに、ザインは身構えた。気をつけていても相手をおちょくる口調になってしまうのはこの身体の悪い癖だ。
「……ザイン、おまえはローレライなのか?」
「へ?」
しかしザインの考えとは裏腹にガイはまったく別のことを口にした。
「いや、なんつーかアッシュだ、俺は」
「なんできっぱり断言しないんだよ」
痛いところを突かれ、ザインは明らかに狼狽した。
「アッシュだというのなら、俺はおまえなんかよりアッシュのほうと話がしたいんだが」
「そう悲しいこというなよ。だから色々事情があるって言っただろ」
「……」
うわあ、頼むからそんな目で睨まないでくれよ、おにーさん悲しいよ。
ザインがふざけて話をそらそうとするが、ガイは声を荒げることはなかった。とうとう観念して、ザインは口を割る。
「俺は、アッシュの中でもローレライに一番近い部分だ。ザインもローレライそのものだったから、一番相性がいい。それに、」
「それに?」
濁した言葉の先をガイがうながす。ふざけていたのがあだとなったのか、本当に言いたくないのにガイにそうは見えていない。
「アッシュがまだ、おまえと話したがっていない」
ザインはガイから目を逸らした。小さく息を飲む音しか聞こえなかったが、それで充分だった。胸が痛い、これはアッシュの痛みだ。ガイが悪いのではない、まだ、自分の覚悟ができていないだけなのに、謝罪の言葉すら彼を傷つけると思うと、なにも出来なかった。
「まー、なんだ、その分俺が色々教えてやるから。ローレライに教授されるんだ、光栄に思え」
「おまえに慰められるとはな」
「あのなー、だからこれでも俺一応アッシュなんだからな!?アッシュだって本当はおまえとこういうふうに、ふざけあったり軽口叩いて――ッ」
「ザイン?」
突然喉にグミがつかえたような顔をして男は黙った。
「なんでもない。今のは忘れてくれ」
ガイはまだ何か言いたそうだったが、ザインは話を本筋に戻してガイの追求を封じた。アッシュが怒って声帯を止めたなんて、ローレライとして情けなくて言えたものではない。
「ともかく! とりあえずガイはこれからアッシュの夢を渡って、譜石を集めてもらう。俺は創世歴しか存在していないから、俺 を持っているおまえにしか口を挟むことしかできない。他の世界で、俺は無力だ。あんまり頼るな。ただ、一度だけシルフがおまえの力になってやるそうだ。あいつはギーメルが好きだからな、子孫になにかしてやりたいらしい。ガルディオスも望めば具現する。
肝心の、アッシュ見つけて譜石に戻す方法はわからん! 状況に応じて臨機応変だ。頑張れ。俺から言えるのはこれくらいだ」
「……まったくもって、有益な情報がおまえ以外の存在しかなかったんだか」
シルフとガルディオス以外、ザインの言葉に目新しい情報がない。ガイはこのちゃらんぽらんなアッシュ兼七賢者兼ローレライと話している自分に、いい加減むなしさを覚えはじめていた。
「だから俺あんまり役に立たないって言っただろ。本当はもっと色々説明してやりたいんだけど、すまん。俺がふざけてたせいだよな、時間かかりすぎてあいつに見つかっちまった」
「あいつ?」
ガイの疑問の言葉を待たず、景色が一変した。
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