朝。ドーンに豪快なボディプレスで起こされると、日課らしい庭の散歩についていくことになった。タベリウスの話では、村の子供とは一緒に遊べていないようだったので、これくらいしか外にでていないようだ。今日は彼をつれて村に出てみようかと考えていたとき、ドーンがぱっとしゃがんだ。
「ガイはここに落ちたんだよ」
ドーンがぐりぐりと地面を指差す。すぐ隣には池があり、ガイは心底地面に落ちた事を感謝した。
セントレア邸は村の端にあり、ガイのいた部屋の窓は村の方向を向いていた。庭というよりは途中から森になっている。手入れはしているのかしていないのか草木しかないが、荒れているというわけではない。
「見つけてくれて、ありがとうな」
「えへへー」
ドーンの頭を撫でるとくしゃくしゃと表情をまるめて少年は笑った。本当に、ここのところ人と触れ合う時間が少なかったのだろう。年が離れているガイにも、よくなついていた。
家へ戻ると、タベリウスはすでに仕事にでていた。シネラリアは、今日は具合が悪いらしく――もしかしたら昨日は無理していて、それがたたったのかもしれない――ドーンと二人で朝食を食べた。
「今日はちょっと外にいってくるよ」
「くれぐれも、坊ちゃまをお願いいたします」
ウスースに深々と頭を下げられ、ガイはドーンを連れて村へ出た。ドーンはあまり乗り気でなさそうだったが、ガイが一緒ならば仕方がないというふうだった。
「ほら、あれがシネラリア。お母さんと一緒の花だよ」:
誰かの家の庭の一角に生えていた花を指差すと、ドーンが興味深げに花を見つめる。柵で仕切られてるわけでもないので、すぐ近くまで寄って行った。
「おはようございます」
「おはよう、おや、あんた見かけない顔だね」
ちょうど、家の人間らしい女性がでてきて、ガイは慌ててあいさつした。
「旅の途中で倒れてしまったところをセントレア商会の旦那様に助けていただいたんですよ」
満面の笑みで笑いかけると、女性は少し顔を赤らめて言った。
「そうだったのかい、ここは宿もないような小さな村だからね。何も無いけれど、ゆっくりしていくといいよ」
「はい」
「これ、あげるよ。持ってお行き」
ドーンがシネラリアを気に入ったのをわかっていたのだろう。赤と青と黄色の花をそれぞれ二本ずつ摘むと、女性は少年に手渡した。
「あ、ありがとう、ございます」
ドーンがしどろもどろになりながらも、なんとか礼を言うと、女性は何故か豪快に笑って行ってしまった。
「俺、この村の人たちと話したの、久しぶりだよ」
「はは、ドーンは結構大人受けはいいと思うんだけどな」
都会から来た少年と村の子供では、やはりとっつきにくいのかもしれない。けれどもドーンは商家の息子らしく、それなりに礼儀正しいし、気の利く子だ。好奇心が人一倍あって、少々暴走しがちであることが欠点か。
アッシュとルークの子供のころを足して二で割ったような気がして、ガイは可笑しくなった。
(アッシュもこれくらい肩の力が抜けてればな)
ガイがアッシュに――ルーク・フォン・ファブレに使えたのは七歳のときだったか。十歳になって、七歳になったアッシュには、すでに年下であるという意識は薄かった。いや、むしろ時折大人でさえ顔負けの聡明さに、嫉妬と哀れみと衝撃を覚えた。
「ねぇ、なんか向こうの方が騒がしいみたいだから行ってみようよ」
ドーンが指差した先に人だかりができていた。了承した瞬間走りだしたドーンに苦笑しながら、ガイは後を追いかける。
「まあ、ガイではありませんか」
人垣の向こうへ消えた少年を追い、ガイも人を掻き分けたとき、懐かしい声がした。
「え、ナ、ナタリア!? それにティアとアニスまで。一体どうしたっていうんだ」
人垣の中心には、一年前に旅をした仲間の半分が揃っていた。
「こっちこそ、どうしたか聞きたいわ。ガイ、あなたはアッシュを探しに他の世界に行ったのに、どうしてこんなところにいるの」
「いやー、色々俺にも事情があってだな」
村人の視線がガイに注がれる。居心地が悪くなったドーンはガイの袖を引き尋ねた。
「ガイ、このお姉さん達、ガイの知り合いなの?」
「あらっ」
「まぁ」
「へぇー」
ようやくドーンに気付いた女性陣から、感嘆の声がもれた。
「昔のアッシュと瓜二つですわ」
「ほんとだー、面影があるある」
「なるほど、そういうことね」
言葉にせずとも察してくれた彼女達に、ガイは感謝した。ドーンはわけがわからずガイの後ろに隠れる。と、
「おーい、村長を連れてきたよ」
青年が老人の手を引き、人垣を割ってきた。どうやら村の責任者待ちだったらしい。
「ありがとうございます。初めまして、キムラスカ教団詠師、ティア・グランツです。あとの二人は教団とバチカルの人間で、私の手伝いをしてくれるものです。お話をうかがってもよろしいですか?」
ティアが青年に礼をいい、村長にあいさつする。ガイもまったく事情がわからず、二人のやり取りを注視する。
「詠師さまが、はるばるこのような田舎にどういったご用件でしょうか」
村長は突然振って湧いた出来事に今にも倒れてしまいそうだった。頭とは正反対に生えたふさふさの眉毛と髭がぷるぷる震えている。
「一月ほど前から、この村に異変が起こっていると報告があります」
「はて? わしらはこのとおり、普通に何事もなく暮らしておりますが」
村長の言葉通り、この村に別段変ったことなど見受けられない。しかし。
「ガーイ┬」
「うわああっ――あ?」
突然アニスが抱きついてきて、ガイは悲鳴を上げた。だが、アニスがガイに触れることはなかった。
「そんな馬鹿な」
「ね、おかしいでしょ」
アニスが、ガイの体をすり抜けた。
ガイは我が目を疑った。振り返り、何故か可愛らしくポーズを決めているアニスに触れようと、おそるおそる手を伸ばす。しかし、その手がアニスに触れることはなかった。
「わかった? これがこの村の異常」
「そして、それをこの村の人たちは認識していないのです」
アニスの言葉を引き継ぎ、ナタリアが厳しい表情で告げる。
彼女達の言った通り、人が人の体をすり抜けたにもかかわらず、周りの人間達はまったく平然としていた。
「ともかく、調査とやらには協力させていただきます。村も好きに見ていってください」
「ありがとうございます。また何かあったらお尋ねしますね。みなさんも、どうぞ仕事に戻ってください」
村長はとりあえずまた家へと戻っていった。突然の詠師訪問に、相当まいっているらしい。村長がいなくなると、村人たちも散っていった。何人かものめずらしそうに見ているものもいたが(しかも全員なぜか男性だった)、失礼でしょ!という奥方に耳やら腕を引っ張られて行ってしまった。
「村人と外部の人間が触れることができず、村人はそれを認知していない。それを確かめるために、私達はここへ来たのよ」
「そうだったのか。びっくりしたよ、この世界はやっぱり元の世界なんだな」
ティアはローレライの言葉通り、ガイが本当に違う世界へ行っていたのだと、改めて思った。存外早く再会できたが、ガイの口振りとこの少年から、まだ旅は終わっていないことをさとる。
「こんにちは、私はティア。あなたのお名前は?」
「ドーン。ドーン・セントレア」
真っ赤になってガイの後ろで答える少年に、ティアは苦笑する。
「セントレア? もしかして、彼はセントレア商会の関係者ですの?」
「ああ。彼はタベリウス・セントレアの息子だ」
「まぁ、そうでしたの。初めまして。お父様とは懇意にしていますのよ」
さすがに名は明かさなかったが、ナタリアの言葉にドーンは初めて笑顔を見せた。父と親交があると知ったからだろう。
「あたしはアニスだよ、よろしくね」
トクナガの腕を振って自己紹介する少女に、すでにドーンは警戒を解いていた。人形が気に入ったのか、前に出てトクナガの腕をつかみ「よろしく」と小声で返事をする。実はけっこう人見知りする子なのかもしれない。
「触れ合えないのは人間だけで、物は大丈夫なのよ」
「なるほど、物資の供給に支障はないってことか」
トクナガを握ったまま離さないドーンを見ながらティアが言った。アッシュの問題もある。ガイはやっかいなところに来てしまったと顎に手を添えた。
「いや、まてよ。異常が起きたのは一月前って言ったよな」
「ええ、それが何か?」
「実は……」
セントレア一家がやってきた時期と一致すると、小声で告げたガイに、ティアは表情を引き締めた。

この村の異常に、ドーン――いや、アッシュが関わっているかもしれない。
ドーンをトクナガとアニスにまかせ、ガイとティアとナタリアは広場の端でひそひそと相談していた。
「ドーンがアッシュの譜石を収めたケースに触れたとたん、光が溢れた。ドーンは紛れもなくアッシュだ」
「でも、おかしいですわね。ドーンの年齢では計算が合いませんわ」
「そこなんだよなー」
「教団の図書室でガイがアッシュと会ったときも、異常が確認されていたわ。今回の村の件と、やっぱり関係はあるんじゃないかしら」
「あら、それはどんなふうに?」
「さ、さぁ。それはこれから調査しないと」
「とりあえず、ここで立ち話していても何も解決しないということはわかったな」
ガイの言葉に、ガイを含めて全員がため息をつく。
「……そういえば、今日の宿はどうするんだ? この村に宿屋はないぞ」
「えっ」
「まぁ」
てっきり宿があるとばかり思っていたのだろう。予想外の出来事に、二人は目を丸くする。
「そうだな、もしドーンが村の異常に関わっているとしたら、調査しやすいように三人とも俺の知り合いってことでセントレア邸にお世話になるってのはどうだ?」
「なんというか、したたかというか」
「神経が図太くなりましたわね、ガイ」
「え?」
俺ってばナイスアイデア☆ きっと『すごいわガイ』って言われちまうな、などという青年の表情兼もくろみは、二人の発言により粉々に砕けた。

「というわけで、この三人は俺の知り合いらしいんです。俺の記憶も元に戻したいし、彼女達も村の調査にやってきたはいいが宿がない。今までお世話になっているのは重々承知ですが、彼女達にも泊まる場所を提供していただきたいのです」
セントレア邸に戻り事情を説明したガイがシネラリアに頭を下げると、続けて三人の女性達が頭をさげた。全然意味はわかっていないだろうが、ドーンも一緒に頭を下げている。
「ローレライ教団詠師ティア・グランツです」
「同じく、ローレライ教団信託の盾騎士団所属アニス・タトリン響長です」
「音機関研究所キムラスカ支部所属ナタリー・キムランです」
一様に自己紹介が終わり、五人の視線がシネラリアに注がれる。シネラリアはしばし逡巡したのち
「私だけの一存では決めかねます。主人と相談してみましょう」
と返答した。
「それにしても、ガイラルディアさん。これだけ女性に知り合いがおられるなんて、なかなか隅に置けませんわね」
シネラリアが好機の目でガイを見ながら笑う。それまでまったくの無表情だっただけに、一同はほっとした。

息を切らしたタベリウスが到着したのは半刻後だった。
「いえ、実はですね。ちょうど村長から調査団の方々を泊めて欲しいと打診があったんですよ」
タベリウスの意外な言葉に、全員苦笑する。
「なぁーんだ。ガイ、そのまんまでも泊めてもらえたんじゃーん」
アニスがガイの背をばしんと叩こうとして、つき抜けてソファを殴っている。ただ叩かれたにしては――しかも実際に触れられてはいないのに――大げさな悲鳴を青年はあげた。そんなやりとりを、タベリウスは気にした様子もなく続ける。
「世話するものが少なく、充分なおもてなしができないのは心苦しいですが、どうぞこんな家でよろしければお泊まりください」
「いえ、もう本当におかまいなく。泊めてくださるだけで嬉しいです」
ティアの言葉に、ナタリアとアニスもそろって礼を述べる。
「少し遅くなりますが、昼食を用意させます。その間に、私が部屋の案内をしますから」
「もう体調は戻ったわ。部屋の案内は私がするから、あなたは仕事へ戻ってくださいな」
「ん、そうか、悪いな」
タベリウスの提案をシネラリアが引き継いだ。中むつましい様子に、ガイ達まであてられそうだ。ドーンはしばらく彼女達も一緒に暮らすらしいということは理解できたのか、しっかりとアニスの横をキープしている。どうやら相当トクナガが気に入ったらしい。
「あ、そうだ! 母さんこれ!」
トクナガに手を伸ばそうとして、ドーンは自分の手に何が握られているのか気付いた。
「これ母さんの花なんだって! ガイが教えてくれたんだ。村のおばちゃんがくれたんだよっ」
トクナガへの興味は一瞬で消え去り、ドーンは母親へ小走りに近づき花をつきだす。
「まあ、こんなに! ドーン、ありがとう」
多少しなびてはいたが、水につければすぐに復活するだろう。シネラリアは同じ名を持つ花を受け取り、息子の頭をなでた。


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