満開のセレニアの中、長い栗毛をなびかせて少女が歌っていた。だが、風はない、歌声も聞こえない。
「ティア?」
「待ってたわ」
声をかけると、少女は振り返った。同時に、自分達を覆うドームが形成される。ここは、ユリアシティだ。
「アッシュはすぐに行ってしまったわ。兄さんのお墓があるせいかしらね」
ティアの表情が髪で影になってよく見えない。
「教えて。ルークは何処にいるの」
少女が面を上げた。頬が濡れている。
「大佐の……いえ、少将とあなたの話を聞いたとき、本当は嘘だって思いたかった。叫びたかった。泣きたかった。教えて、ルークは何処にいるの、そうすれば私も探しに行けるのに!」
ティアがガイの胸を叩いた。
譜歌が聞こえる。
音でなく、最果ての空から流れる風のように。
「これから、俺はルークに会うよ。一緒に行くか?」
「行けないわ。私はここから動けない」
くぐもった嗚咽とともに、ティアが呟く。震える肩が痛ましい。だが、その肩に背に、腕を回すのは自分の役目ではない。
「だから伝えて。あなたも、迷っていてはいけないって。創めの場所へ還って。そうしたら私もうたえるようになるから」
「わかった」
しばらく動かなかった少女だが、ようやく落ち着いたのか涙を拭いながら青年から離れる。
「アッシュはファブレ夫妻のところへ行ったわ」
「わかった。ありがとう、ティア」
「さようなら」
次に会ったときこそ――元の世界に戻ったときこそ彼女自身の口から譜歌が聴けるだろう。
セレニアの小さな灯が集まる。
それは、一つの部屋の明かりとなった。



「あら、ガイ。待っていましたよ」
青年の出現に、シュザンヌは使用人時代と変わらぬ笑顔を向けた。
「遅かったな、アッシュはナタリアに逢いに行った」
「アッシュを追いかけます。扉を示していただけますか?」
公爵の言葉に、ガイは力強く返答する。
「よかろう。だがそれには一つ質問に答えなければならない。ガイラルディア・ガラン・ガルディオス」
「はい」
クリムゾンとシュザンヌの視線が注がれる。ガイは自らひざをついた。
「沢山、伝えたいことがあったのに、あの子はありがとうと言っただけで、すぐに行ってしまったから」
「我々は息子達を、ルークとアッシュを愛していると伝えて欲しい」
「必ず、お伝えします」
最敬礼で答えると、二人は寂しそうに笑った。
出来れば直接伝えたいのに、できない歯がゆさ。今更ながらに、ガイはこの旅に自分一人だけでなく、他の仲間達の想いも背負っていることを知らされた。
ファブレ夫妻が遠のき、バチカル城が近づく。視線が駆け上がり窓を捕らえ、夜空を見上げる王女の隣に降り立った。



「アッシュときたら薄情ですのよ。アニスや他の仲間のところには長居してくれたのに、わたくしと叔母様達のところは、一瞬なんですもの」
「それは、アッシュらしいというかなんというか」
ふくれるナタリアに、ガイは苦笑する。しかしそんなガイの態度をナタリアは手厳しく批判した。
「いいえ、らしいのではありません。そうせざるをえなかったから」
王女は伯爵に向きなおると、まっすぐに見つめた。
「わたくしは、アッシュのすべてを受け入れる覚悟がありました。でもアッシュはわたくしにやがて訪れる死を知らせてはくれませんでした。わたしくしはそれが嬉しくて、悲しくてなりません」
「ナタリア?」
「ティアはルークが消えることを知れました。しかしルークも同様、皆に知られたくないと思っていたことは、アッシュと同じ。アッシュは決して、決して私には教えることはなかったでしょう」
それはそうだろう。自分達はルークが消えることを、気付いていた。しかしお互い悟られないようにしていた。それはルークは仲間が、我々はルークが大切で守りたいものだったから。
「けれどもガイ、あなたには出来たはず。わたくしは、あなたが羨ましいのです」
「ナタリア、さっきから言っていることがわからない」
ナタリアが自分を羨むような点はどこにもないはずだ。
「……アッシュがルークのもとから去りました。ルークが待っています。ガイ、お行きなさい」
ナタリアの言葉にガイは衝撃を受けた。つまり、ナタリアはガイがアッシュに追いつけぬよう時間稼ぎをしていたということだ。
「君は一体、」
「このわたくしは、わたくしであってわたくしではありません。アッシュの夢に作られた、アッシュの罪悪感という主観的わたくし」
「つまり、ここの夢のアッシュは俺に会いたくない、と?」
「いいえ、このわたくしに手を貸してくれたのはルークです。ルークに会う前に、アッシュに追いつかないように」
「そうか、ありがとう。ナタリアが気にやむことはない。君が俺を羨ましい思う理由を、ルークに聞いてくるさ」
「ありがとうございます」
彼女の口から言わせるのはあまりにも酷であろう言葉。ガイは最も自分に効果のあるルークから聞くことを宣言する。
夜が明けて朝が来た。
ここはもう城ではなかった。最後の地、エルドラントにガイは立っていた。



「久しぶり、だな」
「ああ」
答えたルークの表情は固い。
生成途中の、白亜の城。ルークは別れたままの、一年前と変わらない姿で立っていた。
「わかってると思うけど、ここにいるのはアッシュが見ているルークじゃない。アッシュの夢じゃない、ちゃんと俺の自我でいるルークだ」
「……ティアが、ちゃんと創めの場所へ還って欲しいって言っていた」
ルークに逢えた喜びが、急速にしぼんでいく。ガイはルークを直視するのが怖かった。けれども、目を逸らしてはならない。
「かえるさ、ガイが譜石を集めるのを諦めてくれれば」
「どうして、譜石を集めさせたくないんだ」
「俺さ、アッシュが消えるって、知ってた」
ガイの質問には答えず、ルークは言った。その言葉の内容の重大さに、青年は再度質問を繰り返すことが出来ない。
「だから必死で約束したんだ。生きて、帰ってこいって。そうしたらアッシュはちゃんと約束してやるって、生きるって言った。笑えるよな、お互い、消えるのに約束してさ」
「ルーク……」
眼下の少年はホールをあてもなく歩く。周回する真ん中には、あの落とし穴があった。
「おれは、ティアやナタリアやアニスやジェイド、そしてガイのおかげでルークだって、俺は俺だって思えるようになれた。そのことには感謝してる。けどさ」
ぴたり、とルークが落とし穴の前で止まる。
「アッシュは俺でしか、アッシュっていう自我を納得させることができなかった。おかしいと思わないか?」
「おかし、い?」
「そう。俺じゃなくても、アッシュを助けられる人間がいたんじゃないかってことだよ」
「ルークにしては、回りくどい言い方をするな」
ガイの心臓が早鐘を打った。血がどくどくと耳の奥を揺さぶる。ルークの次の言葉に返事ができるかわからないくらい、口が渇いて呼吸が浅い。
「ガイだよ」
ナタリアが羨ましいと言っていた、理由。
「別に、今更過去のことを攻めるわけじゃない。だからさ、今更って感じなんだよな。今更アッシュを助けてどうするんだ? 自己満足? アッシュはガイのせいでばらばらになったのに」
「違う、自己満足なんかじゃ、」
「そりゃ確かにさぁ、ガイもいっぱいいっぱいだと思うよ。俺が消えちゃうって知ってたし、親友を敵視してるやつがいたら親友のこと、守りたいもんな」
階段の上に立つガイを見る視線がそれた。対象的に、落とし穴を見下ろす視線は、あくまでも穏やかだ。
「でも俺わかってた。アッシュはそうしなきゃアッシュを保てなかった。俺を否定しなきゃ、自分が壊れる。けど、それを俺がわかってるって知ったら、ますますアッシュは崩壊する。俺を否定しなくてアッシュでいられるには、俺が助けるんじゃだめなんだよ。俺じゃなくて、他の人間じゃなきゃ。それができなくって、結局アッシュは最後の最後で俺と戦って自分を取り戻して、死んだ」
「――っ」
「ガイなにりに仕方なかったって、わかってるけど、やっぱり駄目なんだ。俺がしたくて出来ないことを、俺以外が出来るって知ってるのに、その本人がやらないのは我慢できなかった。ま、これも俺のわがままなんだけどさ。でも、今回はたまたまそのわがままと、アッシュの考えが同調しちまった。譜石を集めること、ローレライはアッシュも望んでるって言ってたけど、あれ、嘘なんだよ」
「な、」
「本当だったら、ザインなんかじゃなくってとっくにアッシュがガイの前に現われてるはずだろ」
「けど、ダアトの図書室であった二人のアッシュは」
「アッシュだって人間だよ。想いだって矛盾する。助けて欲しいアッシュと、もう思い残すことなく、いっそ壊れてばらばらでいたいアッシュ。ガイはまんまと助けて欲しいアッシュに逢って、お気楽に騙されてたわけ」
何も、何も言い返せなかった。さらにとどめとばかりに、ルークは言う。
「ジェイドから大爆発の話、聞いただろ? つまり、アッシュは俺の記憶を持ってアッシュという自我の『ルーク・フォン・ファブレ』になる。自分がいらないって、望まれてない世界に戻るなんて嫌だったんだ」
ルークの瞳から涙がこぼれた。受け入れられる場所がない悲哀を誰よりも知っている。望まれていないと恐れ、悲しみ、いらないと言われるまえに消えてしまいたいと、同じ気持ちを共有したからこそ、ルークは今回の行動にでた。
「望まれてないなんて、そんなことない! 公爵もシュザンヌ様も、ナタリアも待ってる! もちろん、俺だってっ」
ガイは走った。あの落とし穴の下に、アッシュがいる。
「確かに、今更都合がいいのかもしれない。アッシュを否定し続けて、今になって真実を知って助けたいだなんて。けれども、俺は、アッシュともう一度逢いたいんだ! 逢って伝えたいことが沢山ある!」
ガイがルークの眼前に立つ。ルークは無言で両手を広げた。
「だからルーク、そこを通してくれっ」
「嫌だと言ったら?」
「おまえを倒してでも、俺はアッシュに逢う!!」
二人の視線が真っ向からぶつかり合う。見えない火花を散らして、お互い一歩も譲らない。
だが、
「俺が出来るのは、ここまでだ」
唐突に、ルークは退いた。
「あとは、アッシュが決める」
「ルーク……」
「おまえのその想い、全部アッシュにぶつけてやれよ」
「ありがとう」
ガイはルークの立っていた場所に立つ。だが、まだアッシュの元へは行けない。この場所から消えるまえに、ガイはルークに伝えなければならないことがあった。
「公爵とシュザンヌ様が、おまえを愛してるって」
「うん、俺も父上と母上が大好きだった」
「そして、俺も。おまえが帰ってくるのを待ってる」
だがルークの返事を聞く前に落とし穴が開き、ガイを奈落へ招いた。


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