「お帰りなさい/初めまして/久しぶり
ルーク・フォン・ファブレ」

ルビタ7

倒れた身体から広がる深紅が、彼の髪が伸びているかのような錯覚を起こす。
乾いた音を響かせ、手にした刀が滑り落ちた。

嗚呼、なんということだろう。
失ってから初めて気付くなんて。

「   」

己が瞳から零れ落ちた心の血は湿った地面に混じり、その痕跡を消した。


酷い夢を見た。
恐怖に飛び起きた身体は、汗を含んだ衣服がじっとりと張り付いて気持ち悪い。荒い呼吸に上下する胸と耳障りな呼吸音。何度でも何度でもそれは彼を打ちのめし、執拗に追いかけ逃げることを許さない。
忘れるな。
罪を。
おまえに安寧は許されない。
復讐を果たすその日まで。/心の弱さを白日に晒すその日まで。

だから、これもその悪い夢の続きなんだ――。

血溜まりに倒れる深紅の髪をした少年を見下ろしながら、ガイは叫んだ。


「ガイ、なぁ。冗談だって、いつもみたく笑ってくれよ。馬鹿だなルークって、」
無理矢理笑顔を作ろうとして、ルークは失敗した。震える声は、希望にすがろうとする絶望の声。目前で繰り広げられた惨劇は、夢だと言ってほしい。痛ましい仲間の眼差しは、己に向けられているのか、ガイに向けられているのか。いや、両方だろう。
「馬鹿だな、ルーク」
ガイは笑った。いつものように。
ルークも笑い返そうとした。そう、これは嘘だ。
朱に染まり倒れている父に、ナタリアが必死でヒールをかけているのも。ガイの握っている刀に血がついているのも、全部、全部。
ユリアシティで行われた終戦会議で起こった、突然の凶行に誰もが驚きを隠せない。
「今までが、全部嘘だったんだよ」
今度こそ、ルークの表情は凍りついた。
王女の治癒術のおかげでなんとか一命を取り留めたクリムゾンに一瞬視線を移し、ガイは残念そうなため息をつく。インゴベルトとピオニー、テオドーロを守るように臨戦態勢で立つかつての仲間を見渡し、ガイは宣言した。
「我が名は信託の盾騎士団六神将がひとり、閃光のガイラルディア。故郷を滅ぼし、家族を殺された恨み、はらさせてもらう」
ガイラルディアは刀を構える。ルークは動けない。ティアとジェイドが詠唱を開始した。アニスがトクナガを巨大化させる。
しかし、次の瞬間視界を埋めた予期せぬ白煙に、みなむせ返る。
「しかし一対五ではさすがに分が悪い。ここは一旦引かせてもらうよ」
すぐにジェイドの譜術で起こした風で視界は晴れたが、ガイラルディアの姿は、もうそこになかった。

ガイは目の前で起こったことが信じられなかった。意思に反して体は勝手に剣を抜き、公爵に切りかかった。
夢を見ているように、自分であって自分でない誰かが自分を動かしている。
(やめろっ、やめてくれっ)
叫んでも声はでない。
抜き身の刀は鞘に戻らない。
ガイラルディアの体は会議場を後にし、ユリアロードへと走っている。
「遅いよ、遊びすぎだ」
「はは。遊び、ね」
退路を確保していたシンクの苦言を気にした様子もなくガイラルディアは流水洞を抜け、二人は地上に戻った。
「ヴァンは?」
「シェリダン包囲の準備中だ。この時期にあんたが戻ると聞いて、計画に支障が出てる」
シンクの態度は相変わらずつっけんどんだ。
「そりゃあ悪かった。けど、一度に仇がそろう機会なんて滅多にないからな。それに、そろそろ我慢の限界だった。――結局、暗殺は失敗したけどな」
「はっ、七年間もファブレで過ごしてたオマエが我慢の限界? 笑わせるね。どうせすぐにアイツらはレプリカ大地に呑まれて死ぬ。余計な手を煩わせるな」
「手厳しいことで」
暗殺が失敗したところで支障はない。しかしこの手で屠りたいという我侭に振り回されたシンクは、大変機嫌が悪かった。
(ここは、俺が六神将として生きている世界なのか……!)
認めたくない現実に、ガイはしばし言葉を失っていた。今までの世界では、その世界にもともといた自分に自然と成り変わっていた。だが、ここは精神だけ体に寄生した状態で、ガイの体はその世界のガイの意思に従って動いている。
(これじゃあ、アッシュを探せない。いや、アッシュと会えば六神将の俺はアッシュを殺してしまう)
今まで譜石に戻るには、アッシュの同意が必要だった。
もし、このまま世界が崩壊してしまったら。
ガイラルディアがアッシュを殺してしまったら。
自分の存在もアッシュも消えてしまうのではないか?
最悪の事態に、ガイは戦慄する。
(くそ、なんとかこの体の主導権を握らないと)
『それは無理だな』
(なっ)
突如思考に割り込んできた声に、ガイは驚く。
『俺の体は俺のものだ。世界が滅びるのを指を加えて見てるがいいさ』
お互い存在が認識できる事実にそれならば、とガイは六神将である己を説得しようと試みる。
(やめろ、ガイラルディア。ヴァンはレプリカ世界を作ったら、おまえも殺すつもりだ)
『知ってるさ』
(っ、知ってるならどうして、)
「アンタ、ボクの説明聞いてるの?」
「いたっ。と、すまない。ちょっと頭ん中のヤツがうるさくてな」
シェリダン封鎖に関する話に、相槌も打たないガイラルディアを不審に思ったシンクがガイの足を蹴った。だが一向に要領を得ない返答に、シンクは青筋を一つ増やす。
『説得なんて無駄だぜ? ――もう、黙ってろ』
(待て!)
ガイが実体のない腕を伸ばす。
それきり、何を言ってもうんともすんともこの体は答えなかった。どうやら完璧に思考から締め出されてしまったらしい。本当に、このまま世界が滅びるのをただ見ているだけしかできないのか。
(頼む、ルーク、アッシュッ。俺を止めてくれ!)
ガイの叫びに答える者は、誰もいなかった。


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